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そういえば、初めてルカに会った日もこんな風だった気がする。
アニーに連れられるがまま入った部屋は、いつか見た部屋のように重厚で豪奢だった。
そして「もう遅いですから夜着に」と着替えを持って来られた。
恥ずかしいから一人で着替えると告げると、アニーが他のメイドを下がらせた。
「私一人ですので我慢してくださいまし」
それでもやっぱり恥ずかしいと言いかけたが、彼女も仕事なのだから仕方無いかと思い、服を脱ぐ。
そしてすぐに後悔した。何が何でも人に見られてはいけなかったのだと。
肌着代わりにワンピースの下に膝下まであるスリップを着けていたが、それでは胸元に咲いた花を隠す事ができなかった。
「ぁっ」
慌てて脱いだ服を胸元にあてがう。見られてしまってはいないだろうかと伺うようにアニーを見る。
「どうかなさいましたでしょうか?」
アニーは新しい服を持ってにこやかな表情をしている。
(……見られた? でも)
まじまじとアニーを見つめる。アニーは不思議そうに小首を傾げる。
「ううん、なんでもない、です」
(よかった……見られなかったみたい)
それからどうにか胸元を見られないように、尚且つ怪しまれないように工夫をしながら着替えた。
アニーはテキパキと動き、有希の明日の服を選別すると他の服を片付け、雑談を交わしている間に食事を摂っていないという事を言ってしまったために、軽食の準備を始める。
客間のソファに座り、目の前のテーブルで食事の準備が着々と進んでいくのを見ながら、ぼんやりと今日のことを振り返っていた。
(疲れたなぁ……)
緊張の糸は完全に切れ、残った安堵と疲労でぐったりとしていた。
(今日一日でいろんな事があったな……ヴィヴィに久しぶりに会ったし――――ルカにも、会えた)
温かなスープの匂いを察知して、腹がきゅるると鳴る。
(変なの……今までずっとあたしが汲んであげる側だったのに)
リビドムを回っている間も、フォルでも、ずっと有希は看病する側だった。今の有希のように、動けない人の元へ持っていき、口元までスプーンを運んでいた。
(セレナ達と一緒に……)
はっと思い出す。薄紫に揺れる髪。夕焼けのような橙色の瞳。
「セレナ!」
「どうかなさいましたか、ユーキ様!?」
ぼんやりと座っていたのに、突然声を荒げた有希にアニーは驚いて振り向く。有希はソファに預けていた背中を起こし、目を瞬かせている。
「セレナとヴィーゴさん、それにラッドにも会わなきゃ! ルカが起きたって伝えなきゃ」
どうして今まで忘れていたのだろう。馬鹿だと自分を罵りたい気持ちでいっぱいになる。
「ユーキ様、本日はもう夜も遅いですから、明日にいたしましょう?」
「その方がいいのかもしれないけど、でもやっぱり待ってるんじゃないかって心配だし……」
ルカに会うためにアドルンドにやってきたのだ。その目標が達成されたからには、早く連絡をしなければ。
立ち上がって、扉に向かう。あと数歩というところで、その扉が自動的に開いた。
「ルカ」
現れたのはルカで、首から柔らかそうなタオルを掛けている。金色の髪がしっとりと濡れている。
かさぶたを全て洗い落としたようで、昼過ぎまで十日熱でうなされていた人とは思えない。
ルカは有希と視線を合わせると、アニーを見遣る。
「ユーキ様が、ご友人様にルカ様がご起床されたことをお伝えに行くと仰られて……」
「行ってもいい?」
ルカは困惑しているアニーに一瞥する。
「アインならもう連絡はしてある。そのうち来るだろう」
「あ、アインさん」
(忘れてた)
心の中でごめんなさいと呟いて、首を振る。
「じゃなくて、リビドムからあたしと一緒に来てくれた人たち」
「『セレナとヴィーゴさん』か?」
「そう! ラッドの屋敷で待っててもらってるの」
ルカの右眉がぴくりと動く。仏頂面は相変わらずで、何を考えているのかわからない。
「……ルカ?」
「わかった。明日朝一で来るように言っておく」
そう言うと、くいと顎で示す。辿るように見ると、アニーはスープの載ったトレイを持ったまま立ち尽くしている。
「アニーのスープは美味いぞ」
ぽんと頭を軽く叩き、ルカはすたすたと歩く。
「…………うん」
踵を返し、ルカの向かい側のソファに腰を降ろす。アニーは微笑みながら食事の準備を続ける。
食事の準備が済んでいない内から、ルカはスープに手を伸ばし、飲み始める。
「ルカ様、お行儀が悪いですよ。あとほんの少しでもお待ちになれないのですか?」
アニーが野菜の載った皿を置く。
こちらの世界では、食事の際、料理を卓に運ぶ順番があるらしい。堅苦しい場でない限りあまり順番に固執はしないがルカは王族だ。アニーがきっちりと順を追っていく。一番最後に飲み物を注ぐのが通例である。そして食卓の準備がすべて整ってから食事を始めるのがマナーなのだ。
「長いこと食事を摂っていないんだ。待てというのが拷問だろう」
言って、有希にも手をつけるように目配せする。アニーは有希のグラスに水をまだ注いでいない。
「……いただきます」
そう言っておずおずスプーンに手を伸ばす。アニーは驚いたように有希を見ると、すぐさま反対側のルカを見て、破顔する。
「まったく、ひねくれたお方ですこと。十分に髪も乾いていないのもその為でしたの?」
「?」
くすくすと笑うアニーを尻目に、ルカは仏頂面でスープをおかわりした。
アインが現れたのは、有希がデザートのムースにスプーンを突き刺した瞬間だった。
「ルカ様! ルカ様が起きられたって本当ですか!?」
大きな声とガツンという音と共に扉が開かれる。部屋に居た全員が開いた扉を見る。
そこには、ぜいぜいと息を切らし、額を真っ赤にさせたアインが扉に抱きつくようにもたれていた。
「ルカ様ぁあ~~~~」
黒目がちな瞳を潤ませて、よろよろと部屋に入る。そして向かい側に座っていた有希の存在に今気付いたようで、有希を見てあんぐりと口をあけた。
「っユーキ!! え、えぇ? あれ、どうして、」
「えっと、話すと長くなるんだけど……」
「いや、そうじゃないんです、そうじゃなくて!!」
挙動不審にわたわたと動き、そして有希を見つめてアインは言った。
「僕、この間ユーキに会ったのに、どうして追い返したりしたんでしょう……」
「え?」
「ユーキ、少し前に王都の孤児院に運ばれてましたよね、僕はギィスと一緒にまわってて……でも、ユーキは僕の目の前で処刑されて、でもココにいるのはユーキで、確かに僕が会ったのもユーキで……えぇえええ」
困惑したままうずくまってしまった。
「あ、アインさん……?」
「そもそも、ユーキはどうしてあんな格好をしてたんですか? でも僕はあれがユーキだったって今ならわかるのに、どうしてあの時わからなかったんだろう! 何がどうなってるんですか!?」
アインの言っている事が要領を得ていない。
「え、つまり、アインさんはあたしが大きかった時の記憶はあるんですか?」
「勿論ありますよ! ただあの時はユーキだって気付いてなくて、気付いていたらあんなに邪険に扱わなかったのに。スミマセン、あの時ちょっと色々あって余裕も無くて……」
「……どういうこと?」
確かに二回りほど大きかった頃の姿も、面影はあるだろう。けれど、完全に別人だったに違いない。それなのに、その時の有希を有希と認識している。
「それは僕が聞きたいですよ」
「おおかた、魔女がそうなる様ににまじないを掛けたんだろう」
「ヴィヴィが?」
「それ以外考えられないだろう。――――アイン」
「は、ハイ!」
へたり込んだまま、顔を上げる。
「長い間、世話を掛けたな」
「い、いえ、いえ! とんでもないです! ルカ様が起きられて本当に嬉しいんです。 僕こそお役に立つことができなくて……」
バタバタと両手を振るったと思うと、子犬のようにしゅんとうな垂れる。
(あ、アインさん……)
せわしないアインを見ていると、ふ、と軽く鼻で笑う音が聞こえた。
「気にするな。ユーキも息災だ。――――これから忙しくなる。そのときは存分に働いてもらう」
がばりと顔を上げ、うるうるとした瞳でルカを見つめ、アインは大きく頷いた。
「っハイ!!」
ルカは小さく頷くと、四つ目のムースに手を伸ばした。