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紫の瞳  作者: yohna
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 それは、よく晴れた春のうららかな日曜日の午後の出来事だった。

 大学の入学式まであと三日を残す有希は、この宙ぶらりんの春休みをダイニングのソファに横たわり、怠惰に過ごしていた。ぼんやりと外を眺めている。

 高層マンションの十四階から見える青空は、さわやかに晴れ晴れとしている。ダイニングでは母裕子が、冬物でもしまうのだろうか。なにやら荷物をまとめている。その向いで父快斗が、コーヒーを飲みながら新聞を読んでいる。やわらかな日差しが、快斗のグレーの髪を銀髪にも見せる。

 平和な一日だと思う。これから待っている大学生活を思うと、期待と不安が入り混じって、妙な興奮状態になる。だから、入学するまではせめて、このココロの平穏を保っていたいと、そうじんわり思っていた。

 だって、確実に不安の方が多い。

 有希の風貌は、とても大学生のそれとは見えない。どうみても、十歳前後の少女にしか見えない。それも当然だ。十歳から成長していないのだから。

 十歳になってから数ヶ月。有希は髪の毛が伸びないことに気づいた。そして、それからというもの、身長も体重も増えず、有希は十八の年を迎えた。

 幸い、そういうものに頓着しない両親の元、有希も自分が成長しないことを特に気に病まずにここまでこられた。幼稚舎から高校までエスカレーターの学校に通っていたので、周りの人々にも好機の目で見られることもあまりなかった。

 だが、大学からは知らない人も増える。

 それが、さわやかな春に翳りを入れる理由でもあった。

「いい天気だねぇ」

 誰に言うでもなく、快斗がつぶやく。それにあわせるように裕子が「ホントに」と微笑む。この夫婦はいつまで経っても仲が良い。それが、有希のひそやかな自慢でもある。

「絶好の日和だね。やっぱり今日にしてよかった」

「ホントに」

「え、今日って何かあったの?」

 尋ねると二人は顔を見合わせる。裕子が怪訝な顔をして快斗をにらむ。

「カー君、有希ちゃんに言ってないの?」

「いや、あの、ホラ、こういうのって、どういう風に言い出したら良いかわかんないじゃん?」

 もう、と裕子が膨れる。有希は二人が何の会話をしているのかわからず呆ける。

「いいわ。どうせそんなことだろうと思ってたもの。――有希ちゃん、ちょっと大事な話があるからいらっしゃい」

 ダイニングのテーブルにつくように言われ、「はぁい」と答えてダイニングテーブルにつく。食事の時間でもないのに、家族全員が食卓につくと、変な気分だ。

「有希ちゃん、今までカー君を見て、不思議だと思ったこと、あるでしょう?」

 荷物をまとめ終えたのか、神妙な顔をしてまっすぐに有希の目を見て言う。有希は向かい側で真面目な顔をしている快斗の顔を見る。綺麗な紫色の瞳が有希を見つめている。

「パパ? ――うん、あるわ。その瞳の色と、髪」

「そうね、今までカー君の瞳と髪の毛は、遺伝子疾患だって教えてきたわよね。だから、何も変なことは無いんだって」

「え、違うの?」

「ええ。カー君はね、実は、異世界人なの」

 有希はたっぷり固まってから、大仰にため息をついた。

「なんだ、また何かの冗談? あたし大学生になるんだよ? もうそういうジョークは通じません」

「ごめんね、冗談だったらよかったんだけど、冗談じゃないから冗談にできないんだよ」

「え? 何、結局冗談なの? 違うの?」

「有希ちゃんが最近アンニュイなのって、やっぱり身体の事なんでしょう?」

「――っ」

 ホラ、やっぱりね、と裕子が快斗に言う。

「ごめんな、有希。俺、裕子に言われるまで気づけなくて」

「それでね、有希ちゃん。わたし、カー君に相談したのよ。そしたら『もしかしたら、あっちの世界の方が水にあってるから、こっちで成長しなくなっちゃったのかなぁ』って言うのよ。ハーフでも、日系と米系ってあるじゃない? そういうことじゃないかなぁってわたし達思ったの」

「…………え?」

 頭が真っ白になる。自分が成長しないのは、実はこの世界に合ってなかったから。そんなことを急に言われても、はいそうですかと言えるはずが無い。しかし、熱弁を振るう裕子はあっけに取られている有希に気づきもしない。

「だから、すごく、すっごく切なくて悲しいんだけど、あっちの世界に有希ちゃんを送ろうと思ったの。それが、今日なの」

「は」

「きっとあっちの世界に行ったら、有希ちゃん成長して綺麗な女性になると思うの。わたしとカー君の娘だもの。当然よ。そのカー君譲りの瞳は、絶対男を虜にするんだから」

 ばちっと裕子がウインクする。その横で快斗はうんうん頷いている。

「はいコレ、荷物。まとめておいたの。有希ちゃんそういう荷造りとか苦手でしょ? 一応どこに出ても大丈夫なように、食料とか衣類とか、纏めておいたから」

 差し出された、有希が気に入っている白地に赤の水玉のリュックサックが、ぱんぱんに膨れている。

「ああそうだ。あとコレ、一応護身用っていうか、お守り代わりに」

 快斗がどこからか筒状のケースを取り出す。

「アーチェリーケース。新調しておいたんだ。大切に使ってね」

 裕子にリュックサックを胸側に掛けさせられた。突然渡されたから何が入ってるかわからないが、重い。

「いい? くれぐれも怪しい人について行っちゃ駄目よ? あと、水も心配だから合わなかったらちゃんと蒸留するのよ」

 げんなりしながら裕子の小言を聞いていた有希に、快斗が目線を合わせるように屈んだ。そして有希の瞳を見つめて、ようやく口を開いた。

「もしかしたら、まだあっちは物騒かもしれない。いいかい?有希。もし有紀に力が発現したら、人前でみだりに使ったりしないことを約束して」

「チカラ? 何のことかわかんないんだけど。もう、今回のドッキリ大掛かり過ぎない?」

「真面目に聞いてよ。多分言葉はちゃんと伝わると思うし、食生活もそんなに悪くないと思う。こっちみたいに近代的じゃないから苦労することも多々あると思う。あと、銃刀法なんて普通に違反してるから用心してね」

「なにそれ、危険じゃん……って、どこのファンタジー小説?」

 快斗は苦笑して、有希の首に手を回す。

「もう、有希が信じられないのわかるけど、ちゃんと聞いてよ。これ、オレが唯一あっちから持ってきた物なんだけど、何か困ったことがあったら使って。肌身離さないでね」

 有希の首にチェーンが掛けられる。チェーンには指輪が掛かっていた。

「あぁもう、どんだけこのドッキリに力込めてるの」

「有希はどうしてそうせっかちかなぁ。裕子に似たのかなぁ。――あ、あとね、一応オレの向こうでの名前教えておくね。ロイコ・カーン……」

「いいよ、そんな偽名なんて考えなくても」

「……偽名じゃないんだけどなぁ」

 あれよあれよという間に旅立ちの準備の整った有希に、快斗は言った。

「よし、飛ぼう」

「はぁ?」

「だから、ベランダから、飛ぶの」

 幼子に聞かせるように言う。有希はベランダと快斗を交互に見る。

「だってココ、十四階だよ? 飛ぶって何? 殺す気?」

「いや、だって俺、断崖絶壁の崖から海に落ちたんだもん。だから、高いところから落ちるのが移動手段なんだってば」

 もう二度とごめんだけどね。と悪戯っぽく笑ってみせた。そしてぎゅっと有希を抱きしめる。

「そんな思いを有希にもさせちゃってゴメンだけど、有希には女の子としての幸せをまっとうして欲しいんだ」

 気が付いたら、裕子も快斗ごと有希を抱きしめている。

「本当は家族がいつまでもいっしょに居られるといいんだけど、そんな甘えたこと言ってられないわよね」

 裕子が離れる。快斗が有希を抱き上げる。

「え、ちょ、パパ、ちょっと待って!」

「駄目、待たない。決心が鈍っちゃうから」

 室内から遠ざかってゆく。裕子が窓を開けたのか、カラカラとベランダの窓が開く音がする。春の風が心地よく流れ込んでくる。

「やだ、怖い。むり。死んじゃう」

「大丈夫。俺らの子供だもん。有希は死なない」

 よっこいしょ。と、ベランダの縁に座らされる。こんなとき、もっと大きな身体だったら、重くて持てないのだろうに。と、憎らしい気持ちになってくる。後ろに倒れてしまわないように、必死に快斗の肩口を掴んでいる。

「それじゃぁ、有希」

「いや……」

 いってらっしゃい。と二人で同時に言って、有希の手は外され、肩をやんわりと押された。

 体が傾いでいく。空を仰ぐ。雲ひとつない晴天。そして、風を切る轟音が耳に入ってきた。

(あたし、まさかこんな風に死んじゃうだなんてな)

 冗談だと思っていたのに。実は両親は、自分が成長しないから見限ったのだろうか。そして自分というものをなかったものにしようとしたのか。

 色々な考えが浮かんでは消える。

 そしていつしか、視界は真っ暗になった。

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