02
Butlerが叫ぶ。
「紘一様、逃げてください!LIVINGです!」
男が紘一を下から上まで嘗め回すように見回すと薄ら笑いを浮かべ、スマートフォンを取り出すと小さく声を出した。
「変身。」
すると鳶職のような格好だった男の全身がまばゆく光り、黒を基調とした幾何学模様のプロテクターをまとった、まるで変身ヒーローのような姿に変わった。
そしてスマートフォンを持っていたはずの右手には巨大な黒い剣。
「お前、Lv1だろ。あまりうまかねえが、ねえよりましだ!」
いくぜぇ、と叫ぶと会議室の入り口から対角線上の窓辺に立っていた紘一に一直線に突っ込んできた。
会議用に並べられれていたテーブルや椅子などを弾き飛ばしながら弾丸の如く直進してくる。
「ウルァッッ!」
巨大な剣を振るい、その刃が目前に迫って、初めて、紘一の硬直が解けた。
身を竦めながら躱すと会議室の演台に体がぶつかる。
紘一が飛んで避けただけではない。男の振るった剣風が、紘一を吹き飛ばしたのだ。
紘一がいた辺りは壁のコンクリート、床のリノリウム、窓ガラスを粉々にしていた。
一瞬、間をおいてから紘一の体はガタガタと震えだした。
初めは理解が追い付かず、その後、初めて自分に起ころうとした惨劇に恐怖したのである。
「…ひ、ひぃ。」
「怖がるな、よけなきゃ今頃、スピリットだけ俺によこしてハイ、終わり、だったのによ。早くスピリットだけ俺によこせよ。」
演台の冷たさを背中に感じる余裕もなく、後ずさりする格好だけ、紘一はして見せるが、据え付けの演台は紘一の退路を塞いだ。
しきりに右手がわめいているが何を言っているのか紘一の耳には聞こえない。
「…げて……一…!ま…は…身……ジョ……決…なければ!」
黒い切っ先が真っすぐ喉を狙っている。30cmもないだろう。
突き刺されば、死ぬ!!
「うわあぁぁっ!」
自らの叫び声に弾かれるように演台から離れ、会議室の出口へ走り、転げるように、廊下へと出た。とにかく走らなければならない。ただその意志だけで紘一は走った。
振り返ることなく走り、たどり着いたのは科学部の旧実験棟だった。老朽化しており、今は誰も使用していない。
それでも走り、実験棟の中庭まで来たところで紘一の息は切れた。
「ッハァッハァッハァッハァ…!!」
なぜかこんな時に飼い犬のテンの事を思い出した。まだ、右手がけたたましくなにかを叫んでいる。
「落……いて!紘……!……ブを…めて……い!」
「え?はあ、はあ、ごふごふぇ、はあ、はッ、ひい!」
あんなに走ったはずなのに、いつの間にか数メートル先に黒い奴が。
今度こそ殺される。なぜ自分が。
"Be Alive"なんてのを起動したばかりに。こんな、目に。なぜ。なぜなんだ?
"Be Alive"?"Be Alive"!そうだ"執事"、"執事"!右手から"執事"の声が!
「紘一様!聞こえますか!落ち着いて!」
「ああ、ああ、ああ、聞こえる、大丈夫。早く!殺される!」
ButlerOSの"執事"が落ち着かせようとあえてはっきりと話す。
「いいですか。私に続いて、こう、言って下さい。」
「ああ、分かった何を言えばいい!?」
「ジョブ、ファイター、変身、さあ、仰ってください!」
息が切れる、声が出ない。それでも今はなぜか、助かる方法がこれしかいないように感じた。
「ジョブ、ファイター、変身ッ!」
「うおるぁっ!」
黒い剣が紘一の胸へと突き刺さったかと思ったその瞬間、赤を基調としたプロテクター、幾何学模様の描かれた盾、30cmほどの短い剣を持った、変身ヒーローのような、いで立ちの紘一が立っていた。
そして貫いたかと思われた黒い剣は、赤い盾と剣で、ギリギリと音を立てながら、防がれ、紘一の胸へ届く事は無かった。
「チッ、変身しやがった。ファイターか。Lv1ファイターごときがLv10のウォリアーに敵うと、思ってんのかあ!」
止められた黒い剣を一度弾いて更に男は剣を袈裟切りに振るう、
が、紘一はそれを見て、逃げるのではなく、身を捩って紙一重で躱した。躱したすぐ後に右手の剣を構え、男の胴を薙ぐ。
ガキンと金属質の音が辺りに響く。これは男の黒い剣に阻まれる。
一合、離れて二合、ガキン、ガチンと黒い剣と赤い盾と剣、それぞれがぶつかり合う。
「くそ、おとなしく死にやがれ!」
「ぐう!」
紘一はここまでの動きを不思議に思っていた。自分自身、生まれてこの方、殴り合いのけんかもしたことのない人間が、剣と盾を使い戦っているなんて。
それを察したのかButlerOS"執事"がヘッドギアと一体となったヘッドホン越しに声をかけてきた。
「紘一様、聞こえていますね。今、私があなたの動きをサポートさせていただいています。」
「うるぁ!」
男が力任せにつばぜり合いから紘一を吹き飛ばしたが、当たり前のように、身をひねって着地し、再び剣を男に向けた。
「そうか、だからこんなふうに動けるのか。た、た、助かった。」
「紘一様、そうとも言い切れません。先ほど、相手も言った通り、敵はLV10。
こちらはLv1。普通なら勝ち目はありません。」
「そんな!」
「普通なら、です。策はあります。」
「こそこそ、おしゃべりしてんじゃねぇええ!」
"執事"の声が聞こえているわけではないが、男がそこに割って入る。
男は大上段から大きく振りかぶって大剣を地面に叩きつけんばかりに振るう。
実際、後ろに飛びのいた紘一により、剣は空を切りアスファルトを砕くことになった。
「ちょこまかと、うぜえんだよぉ!
サイクロプススラストォ!!」
地面にめり込んだ剣を引き抜き、再度大上段に構え、黒い剣を縦に振るうと、剣風が衝撃波となり、後方へ飛びのいた、紘一へと迫った。
ぎりぎりのところで盾で防いだものの紘一は大きく吹き飛ばされ、体は地面にたたきつけられた。
赤いプロテクターのいくつかの箇所にひびが入ったのも見て取れる。
"執事"が説明を加える。
「今のは、ウォリアーのスキルの一つです。縦に斬るのと衝撃波の二重攻撃、離れていて正解でした。」
紘一は今の衝撃で切れた額からの血を手で拭いながら叫ぶ。
「あんなのもう一回喰らったらやばいぞ!」
「安心してください。スキルにはリキャストタイムと言って、再使用するまでの時間が決まっています。すぐには打てません。」
「まるでスマホのアクションゲームだな。」
紘一は内心笑っていた。この苦境に楽しみを見出し始めていたのである。
「ウォリアーLV10の攻撃スキルはもう一つ、ソードオブフルムーン。
真横に一回転して剣を振るい衝撃波を切っ先から30cm程、飛ばしますが、剣の下、もしくは上に躱せれば、無効化できます。
今回は上に躱しましょう。」
紘一は声が裏返るのを知っていても声に出さざるを得なかった。
「上!?そんなことできるはずないだろう!!」
「わたくしがアシストします。…信じてください。」
「うりやぁあぁ!」
黒い剣が上段から迫り、それを剣と盾で受け止める。
その衝撃で紘一の足元のアスファルトが放射状にへこむ。
「今度はこちらから反撃します!」
"執事"の言葉と同時に剣が弧を描いて、男の胸元を斬りつけると、わずかな手ごたえを感じながらも、すぐに切っ先を跳ね上げ、男の右手を撥ねんとする。
「くそったらあ!」
男も右手を引いて赤い剣を躱し、即座に右足で紘一の鳩尾を蹴り上げた。
「!?」
喧嘩もしたことのない紘一にはこの痛みは筆舌に尽くし難かった。
内臓という内臓が暴れまわり、口からはみ出してしまうようなそんな痛みだった。人体の急所の一つである鳩尾を蹴られるというのは、
そういうことだった。蹴られた衝撃でわずかに、紘一の体が浮いた。
その瞬間を男は見逃さなかった。
「ソードオブフルムーン!!」
気合一閃とともに、男がいっぱいに体を捻り大剣を真横に振るう。
大剣に衝撃波がまとい紘一の体を薙いだ、と男は思った。
「躱した、だと!?」
紘一の体は既に3m近くの高さまで達していた。
ファイターのLv1のスキル、ライカウィング。
受け身を取る際に空中高く飛ぶことのできる防御スキル。
「紘一様、斬ります!」
「分かった!」
空中で体を捻り着地できる姿勢を作ったうえで、
剣を構える。3mの高所からの落下威力を載せた斬撃は、
スキルでなくとも十分な力を持っている。
「タアァッ!」
大剣をフルスイングし大きく上体を崩した男には
それを躱すことが出来なかった。
「ぐぅぅうぅうっ!」
直撃こそ回避したものの左肩に斬撃を受けた男は、大きく飛びのいた。
「クソガキィィ!!ぶっ殺してやる!!
片腕だからってできねえわけじゃねえぇ!」
"執事"が言った事を実行するしかない。
これに何の効果があるか分からないが。
「サイクロプススラスト、くらえやぁぁ!」
大剣を右肩に担いで片手で縦切りの構えを取った。その瞬間。
「シールドロア!!」
紘一がヒビだらけになった盾を前に構え、叫ぶ。
振り下ろされた黒い大剣は地面に突き刺さり、アスファルトを砕く。
が、それ以外、何も起こらなかった。
「今です!」
「う、う、うわああああああ!」
紘一は5m程の距離を一足飛びに飛び込み、男の無防備になった右肩口から左腰まで一気に切り裂いた。
「ぐおおおおおぉぉぉおおぉおお!」
斬り傷からは血ではなく、大小いくつもの真四角のサファイアのようなオブジェクトが飛び出した。
そのオブジェクトの光が男全体を包むと、サファイアの光と黒い男の姿は中空へと消えた。
「…勝った、のか?」
「仰る通りでございます、紘一様。」
「じゃあ、あいつも意識を…」
"執事"が少しだけ口ごもったように小さく。
「その通りでございます。」
「しかし、命拾いはしたわけだ。ありがとう…。」
紘一は小さく心からの声で感謝を口にした。
「さっきのは何だったんだ。お前の言うとおりにやってみたけど。」
「シールドロアのことですね。あれはLv1のファイターが使えるデバフスキルで、正面の相手のリキャストタイムを1秒伸ばす技です。」
「つまり衝撃波がこなかったのは、リキャストタイム中に技を出そうとしたことになって、技が発動しなかったから、ということか。」
「仰る通りでございます。」
「でも相手がリキャストタイムぎりぎりであのスキルを使うとは限らないだろう、よくそんな…」
「…あの男ならそのように行動するのではないかと、ふんでおりました。」
普通のLv10のウォリアーならまず勝てなかった。
パワーとリーチに勝るウォリアーならスキルに頼るより、通常攻撃で紘一を詰めていけば必ず、男が勝利したはず。
しかしButlerは、大学内などという戦う場所を選ばない猪突猛進な性格、言動、行動、戦い方など、男を分析した上、策を立てた。
紘一は大きく肩をすくめて溜息を吐いた。
「それでも危ない橋を渡らせたわけだ。」
「大変申し訳ございません。"執事"としては失格です。」
「そんなことはないさ。結果として、それ以外の方法がなかった、そうなんだろ?」
「…勿体なきお言葉にございます。」
「…これからもああいう奴が現れるのかな。」
「申し訳ございませんが恐らくは…。」
「よし、リヴにしよう。」
紘一は努めて明るく言った。
「何のことでしょうか?」
「お前の名前だよ、まだ決めてなかったろう?」
「LIVE、生、ですか。誉れ高き名、汚さぬようこれからもご助力いたします。」
紘一はパンと手を叩くと一言。
「リヴ、最初の仕事だ。」
「なんなりと。」
「…この変身の解き方を教えてくれ。」
「畏まりました。マイマスター。」