冒険者ギルドと、教会と、派遣業と、メシア竹中平蔵
昨今の作品には、冒険者ギルドの役割を、余剰労働力(失業者)の処理、即ちは食い詰め者の働く所としている設定が、増えてきたように思います。
なるほどなぁと、拝見させて貰っています。
歴史上、余剰労働力の処理として、この冒険者ギルドの役割を、果たしてきたのは、教会です。
中世の教会は、食い詰め者達を、修道士として受け入れ、人の足らない仲介した農村へと派遣していました。
余剰労働者の活用方法として、この教会による派遣業は、非常に有用な手段です。
他にも高貴な人の血筋を、穏便に管理したりと、宗教の役割は、意外と即物的だったりします。
これは、日本でも変わりませんね。
食い詰め者や、血筋上、相続で問題になりそうな者は、寺や神社で坊主となってもらうのです。
人類史における、余剰労働者の処理方法は、大別して4つとなります。
1つ目、戦争や略奪を行う。
バイキングによる略奪は、飢えて困った寒い時代ではなく、農作物の多く取れる暖かい年代にあったそうです。
出生率の向上による余剰労働力を、略奪に使ったのですね。
それが、寒く貧困な時代でないのは、意外ではないでしょうか。
2つ目、宗教関連で穏便に暮らして貰う。
これは、先ほど書きました。
救世を掲げる宗教は、食い詰め者を放置できません。
結果、教会は金儲けが出来、農村は余剰労働力を利用出来る。
正にWin&Winの関係です。
3つ目、都市に働き口を探しに行って貰う。
江戸が有名ですね、男女の人口比の違いから、東海道中膝栗毛のようなアーッな作品の出現は、必然だったのかもしれません。
食い詰め者達には、余剰労働力として都市で働いて貰う。
これも労働力の利用としては、有用な手段です。
4つ目、子供の内に死んで貰う。
世界中で共通する、寒村の習慣です。
大人になるまで育てられる作物がない場合には、子殺しとなります。
余剰労働力というか、人口問題の解決手段としては、仕方ない事だったのでしょう。
この慣習を批判する作品ではないので、ご理解願いたいと思います。
当然、他の地域の余剰人口はどうなったんだという話になります。
他の地域は、都市か宗教で解決してきたのでしょう。
そして、この余剰労働力、即ち人口の供給地は、一人当たりの畑をあまり小さく出来ない農村部でした。
ここから考えると、現代の人口減少の理由とは、農村の疲弊によるものなのかもしれませんね。
さて、教会の話に戻りましょう。
この教会は現代で言えば、そのまま派遣業になるでしょう。
現代日本の派遣業界の創設に寄与した竹中平蔵さんは、当時、雇用の流動性の向上による救世の名目を、政策に掲げておりました。
そうして、派遣業界を創設すると、とある派遣会社の会長となり、金を稼ぐだけ稼いだ後、今は救世と共に、先進国は皆貧乏になるとの破滅思想を掲げております。
この救世と破滅は、ユダヤ教から続くキリスト教の特徴です。
世界の終末という破滅の時代に、メシアが現れ、世界を救済するという物です。
そして派遣業務のセットというのは、正に中世キリスト教の特徴だったりします。
救世と破滅を掲げて労働力を集められる人材は、きっと、どの時代でも、尊い存在なのでしょう。
そう言えば、日本の一向一揆もそうでした。
これはもう、竹中さんを日本のメシアと呼んでも差し支えないかもしれません。
※果たして、企業が宗教になるのかは不明ですが
それでは、宗教の内情を再確認するために、中世欧州の教会で、派遣業に利用されていた、修道士達の実態も見てみましょう。
この修道士、考えてみると、意外と非正規労働者と、親和性があったりします。
では、先に、修道士達の実態を紹介してみましょう。
生涯独身で、子供を持たず、清貧のまま、死ぬ。
処理したい人口が増えても困りますから、正に余剰労働力の正しい処理方法と言えましょう。
餓死よりはマシですからね。
世のため、人のためになっていると言えましょう。
いっそ、童貞属性もつけてみましょうか。
では、雇用の流動性を高め、救世となるハズだった、非正規労働者の現状を、振り返ってみましょう。
きっと、修道士とは、真逆の存在になっているのでなはいでしょうか。
生涯独身で、子供を持たず、清貧のまま、童貞で、死ぬ。
※あくまでイメージです
……?!
さて、不思議と一致するところがありました。
余剰労働力の処理方法としての、宗教の役割と非正規を同じだとすると、結構、親和性があるんですよね。
不思議ですが。
非正規労働者は、竹中教の、教義なき修道士と呼んでも、差し支えないかもしれません。
冒険者ギルドもこれと同様だとすると、何だか夢のない物になってしまいますよね。
まぁ、でも勝手に子供を産んで増えて貰って、スラム形成に至っても困りものです。
冒険者ギルドの実状は、修道士と何ら変わらない設定の方が、なんともリアル感ある気がします。
現代日本を見ると、EDOと同じく、地方の余剰労働力を東京という都市で処理しながら、宗教による派遣での処理も復活させると、どの時代も、余剰労働力の処理方法は、何一つ変わらないなと思ったりしてしまいます。
救世とは、いつの世も、余剰労働者の処理方法の方便になるのかもしれませんね。
そして、破滅思想とは、宗教の維持のための方便です。
通常冒険者ギルドには、破滅思想も救世思想もないので、そこはマシなのかもしれません。
もう、筆者の信心が無くて何とも困るなという所。
え? 日本は、余剰労働力がなくて、困っている?
そんな訳無いじゃないですか。




