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遥かな点を目指して

作者: ゆりたろう

私が彼女と別れたのは探査船打ち上げの一週間前だった。

家のあるワシントンから少々足を伸ばしてケールダンの公園へやってきていた。彼女はそこで私に別れを切り出した。

理由はひどく古典的なものだ。僕が遠く離れた宇宙へ向かうのが我慢ならなかったらしい。遥かな星々に彼女は嫉妬していた。私としては当然別れたくは無かったのだが、なぜかその時は頭がぼーっとして気の利いた反論も彼女を宥める甘言も何も思い浮かばなかった。毎夜彼女とバーで交わした甘い言葉も全てが無に帰した。せめて最後くらいは笑いながら別れたかったのだが。

その状態はまるまる一週間続き、今私はこうして外宇宙探査船コクピットの椅子に座っている。地球で過ごす最後の一週間だというのに、彼女はそれを滅茶苦茶に壊したかったらしい。両親と今生の別れを交わすときでさえ、私はどこか上の空だった。彼女の存在は思った以上に私の中で大きなウエイトを占めていたようだ。彼女のことを一刻も早く頭から追い出したい。早く探査船を発射してこの小さな星から離れたい。それが今の私の望みだ。

カウントダウンが始まる。この船の乗員は私だけだ。この船が星の海に漕ぎ出したら最後、私が会話するのはコンピュータの会話用AIだけ。AIと協力して星域のデータを取り、AIと協力して事故を回避し、AIと協力して暇をつぶす…。この上ないほど理想的な生活だ。私のリハビリテーションにはちょうどいいだろう。その期間が片道1200年というのはいただけないが。

我らが旅路の到達点は1200光年先にある。40年前に地球より1200光年の距離に奇妙な重力源が発生した。地球周辺からでは正確な観測は困難だった。あらゆる観測機器でも正常な観測結果が得られなかった。まるでベールでその身体を隠した怪人のように…。その正体を様々な学者が仮説立てたが未だ結論は出ていない。私はその真相を人類で最初に知る男になるのだ。シートが前後に大きく揺れる。ついに発射された。観測用ウィンドウからは遠くにビルヂングが、人類の文化が、白い雲が、厚い大気が、順々に私とすれ違うように後ろへと流れていった。やがて揺れていた機体も安定する。大気のほとんどない運行上問題とならない領域へたどり着いたのだ。目指すは星の果ての果て、宇宙に空いた大穴だ。まだ地表とはほぼ時間差なく通話可能な距離。無事宇宙空間へ出れたことを発射台に報告する。スピーカーからは微かに歓声が聞こえる。1200年の旅に向け船は加速する。人の寿命を遥かに超えた旅路である以上、亜光速航行は必然だ。それに人工冬眠を加えることでこの観光旅行は成り立つ。今後地表の観光業者もやってみればいい。人気が出ないだろうことは保証する。そして亜光速航行に入ったが最後、地球との相互通話は不可能だ。私から地球があると思しき方向へ一方的にデータを投げつけることになる。彼らがどこに居るかなど計算機以外に知る由もない。子供の頃飼っていた犬にボールを投げると拾ってきたな、などとゆるい郷愁に浸っていると、ウィンドウ外の星々は線となり、AIは探査船が亜光速航行に入ったことを告げた。私は遂に独りになった。人工冬眠に入ることをAIが勧めてくるが、せっかく家を飛び出した記念日だ。すぐに寝てしまうのは勿体無い。記念日と言っても地球上では既に過ぎ去って過去のものになっているだろうけど。

光速に近づくため船も私も外部より遥かに若さを保てるが、それでもかなりの時間が必要だ。どこまで技術が進歩しても宇宙は人間には広すぎる。暇つぶしのため、地球上で最高の心理学者質が私の精神を解析して作ったとびっきりのコメディさえ搭載されている。ここは私の王国だ。全てが私に奉仕するためにある。

私はAIといくつかゲームをしたが、やがてそれにも飽きて寝てしまった。

目を覚ます。身体がひどく寒い。睡眠ケースを開け外に出る。私は何年寝ていた?光速の約99.989%で航行する探査船は外部とはだいたい1/70ほど時間の流れ方が違う。モニタールームへ入り、AIに挨拶する。時計を見せることを命じると、私は1年間ほど寝ていたようだ。つまり地球では70年弱の時が過ぎ去ったことになる。私がぐっすり寝ている間に両親は既にこの世界から旅立ってしまっているだろう。それとも延命技術が発達してまだ健在かもしれない。そして彼女はまだ生きているだろうか?遠く彼方へ来てもまだ未練を引きずっている。私はこの宙域でいくらかデータを集め地球に向けて送ることをAIに提案した。地表にいた頃に航空宇宙局から叩き込まれたマニュアルにもこの辺りで通信をするよう明記されていた。AIが一旦亜光速航行を解除する。慣れ親しんだ宇宙が帰ってきて、窓に収まる。といっても星が瞬かないので地表から見るほどの美しさはない。通常航行に戻ったことを確認した私はデータ収集をAIに命じ、自室で音楽鑑賞に勤しむ。結局私はAIを介助するための付添人なのだ。気が楽と言ってしまえばそうだが、どこか肩をすかされた感覚はあった。船内での100年余りの生活は大半が寝ているだろう。なにぶん寝ないと食料が足りない。起きている間はひたすら暇つぶし。暇つぶし。まるで罪人だ。彼らと違うのは室内での余暇の時間があること。むしろ余暇の時間しかない。地球では芸術家どもが羨ましがっているだろう。私は人類で一番無音を経験した人間だろうからね。星域の解析終了と地球に向けての電波送信を終えたことをアナウンスされると私は音楽を止め寝室に入った。生命維持用ゲルが私の身体を包む。体温の低下に伴い鈍化する思考の中で私は地球と同化しただろう人々のことを思い出した。ヨーロッパへ渡った兄、当時は嫌いだった同僚、学生時代の恩師、両親、そして私の地上最後の時間を台無しにした女性。彼女が既に地球にいないであろうことを考えると、それ以降私は彼女について思いふけることがめっきり減った。

アラームが私の目を覚まさせる。どうやらAIが私を起こしたようだ。どのような用事で私は起こされたのか。冷凍明けで痛む関節をかばいながら起き抜けの猫のように体を伸ばす。そのついでに傍らの時計を見る。どうやら地球を出発して1000年が経過してるようだ。つまり私は船内の時間において100年以上も寝てしまったことになる。船体に問題が発生していないはずがないが、AIに尋ねたところ全て自身で解決してしまったようだ。なんと優秀なマシンなのだろう!とうとう私すら不要となったようだ。私が起こされた理由は出発から1000年目の記念すべき時であるから、ということだった。生活用衣服を着た私はメモリアルとして普段よりいくらか濃い味付けの超長期保存食料を楽しむと、周辺の情報を集める作業に入った。亜光速航行は食事前に解除するよう伝えてある。光を放つ恒星と、それに付き従う配下、天体達を見つめる。これらの情報も出発当時の地球人類にとっては大いに研究の助けとなっただろう。得られたデータを解析し、地球があると思われる方向へ送信する。これが地球に届くのは更に1000年後だ。このアンテナの先に本当に故郷はあるのだろうか。どこかで計算違いが起きて全く別の場所に地球はあるのではないか?あったとしても人類は既に古巣から旅立ち、地球を後にしているのではないだろうか?はたまた戦争か何かで絶滅しているかもしれない。地上では2000年前の宇宙飛行士のことなんて忘れているのではないか。なにか奇妙な通信がキャッチされた、その程度のことかもしれない。いやもしかしたら地上ではもう調査対象の正体が判明しているのかもしれない。考えだしたらキリがなかった。私は自身の生涯をかけた仕事の意義を疑っている。これで何が得られるんだろう?旅の終点は200光年先に迫っている。船内の観測機器でも対象の重力源は全くの正体不明だった。X線、γ線、赤外線、紫外線、宇宙線、ニュートリノ観測、その他あらゆる観測手段を跳ね除ける何かは、宇宙に現れた大口に感じられた。そしてそれは後一眠りしたら到着する位置にいるのだ。流石に長く眠りすぎたためか眠気を覚えなかった私は暫くAIとの退屈しのぎに興じた。彼は私を楽しませるのが巧く、いつもギリギリのいい勝負になるよう演じてくれるのだ。通常航行で30日分ほどの時間を過ごした後、私は冷凍睡眠器に入った。次に目をさますのは目標物に接近した時か、AIだけでは対処不可能なほどの問題が発生したときだ。後者の場合、おそらく私にも解決不可能だろう。その時はその時だ。私はまた暗い眠気に身を委ねた。

アラートが聞こえる。私は睡眠器で目を覚ます。筒から出たら軽い運動をする一連の動作を済ますとAIがスピーカーから私に声をかけた。

「発射時に設定された第一目標物に接近しました。対象までの距離は4000kmです」

船は通常航行に戻っていた。遂に到着してしまった。別段喜びも何も感じない。しかし空腹は覚えていたため、まずは食事をとる。これより本船は対象重力源の周回軌道に入り、集められるだけ情報を集め続け、地球にそれを送信する。期間は特に設定されていない。必要な情報が集め終わるまで帰ってこなくてよいという宣言に他ならない。AIには相変わらず調査対象についての詳細は何もわからないらしく、ひとまず肉眼による観察を行うこととした。これで何も見えなかったらやることがなくなってしまうかもしれない。その時は頭をひねる必要があるだろう。ここまでAI頼みだったがここからは私がやらねばならない。ウィンドウから対象を見る。幸いなことに肉眼でそれははっきり見えた。どういう仕組かは解らないが僥倖だ。それは4000km先にあるというのに遥かに巨大だった。天を衝くとはこのことだろう。これほどの巨大な物体を機械が計測できないとはまさに奇妙だった。いよいよ私はこれを直接目で見た初の人類になったのだ。流石の私も少々嬉しい。その形状は、まるで超巨大な虫が空間に浮いているようだった。丸まった頭部のような部位から垂れるイモムシのような部分。そこから一対の人の腕部のようなものが生え、その先はカマキリの手のようなものが3つ付いている。イモムシ部分にはその腕部分以外は何も生えていなかった。それは悠然として同一座標上に浮かんでいた。これが生き物であれば、それは人類史上に輝く素晴らしい発見だ。しかし私はこれが生物なのか、またはただ星屑が固まってたまたま生命体のような形状を取ったのか判別がつかなかった。ひとまず私はこれをスケッチして送信することにした。大変奇妙だが、事実は事実として受け入れねばなるまい。半年ほどこの奇妙な生物(?)の周囲を漂ってわかったことがある。一つはこの物体はたまに蠕動している。そしてもう一つは、その頭のような部位で私の方を見つめているということ。目があるかどうかさえ判断できないのに、見られているということははっきり分かるのだ。これは人知を超えた宇宙規模の何かなのだ。頼みの綱のAIに相談しても彼はあの奇妙な物体を検知できないため、いつも精神的疲労という診断を出して終わる。彼だって万能ではないということを私は知った。船の辺りを飛び回る塵や小惑星はあれの周囲へと引き寄せられていく。どうやらイモムシは強大な引力を発生させているようなのだが、奇妙なことにこの船はあれの方へと引き寄せられていかなかった。これもまた、イモムシが私を認識しているに違いないと私に確信させる要因であった。まったく正体がつかめないまま更に半年が過ぎ、私はイモムシと付かず離れずの時を過ごした。ある時、起床後いつも通りに観察を始めようとした時に私は気づいた、船の後ろに何かがある。私はしばらく安全確保のためだけに利用していた船のセンサー類を活用してその物体を調べた。それは宇宙航行用の船だった。私は驚愕した。突然こんなところに船が何故だろう?異星人との邂逅か、と思いその船を観測すると、明らかに運動の様子がおかしかった。それは私の船から高速で遠ざかっていくのだ。光学センサーで観測すると、その船はなんということか、私の船と同一の形状をしていた。見まごうはずもない、私はこの船の外見を地上で訓練していた頃から熟知している。一体これはどうしたことかとAIに詰問すると、どうやらAIも答えを出せないらしかった。船に搭載されたセンサー類を総動員して周辺の情報を集める。近隣の天体も、船を取り囲む空間が含む塵や原子の内容も、もちろんイモムシの様子も余すことなく調査した。そして私は一つの結論を持つに至った。宇宙の時間が巻き戻っている。地上にいた頃の私ではこんな思想を持つはずが無かったろうが、イモムシに1年間見張られている生活を送った今では、こんな光景無糖な結論も受け入れてしまうのだ。飛び去っていった船は少し前の時間の私が乗っていた船だ。時間が逆行しているため離れていくように見えたのだ。時間逆行の理由は不明だが、イモムシの仕業に違いない。今の私にはわかるのだ。直感を超えた何かが私にそう確信させる。なぜ過去の自分を光学によって観測できたのかの理由は不明だが、おそらくこれもイモムシの成せる御業だろう。船中のセンサーから送られてくる情報が増えるほど、時間の反転は疑いようのない事実となる。以前に見たことのあるデータが再び現れる。そこで私は不意にウィンドウを見た。そこにいる強大な何かはその身体を振動させている。間違いない。これはあの者の仕業なのだ。あれと過ごした1年間で私はあれに感化されてしまったのかもしれない。なぜ私が逆行する時間の観測者となり得ているのか。それもあれに選ばれたからに違いない。私は震えた。彼だか彼女だかは私を気に入っているのか?それとも気に食わないちっぽけな存在に対し試練を与えようとしているのか?矮小な存在である一個人に推し量ることは出来ない。前者でも後者でも最後に待っているのは人間には理解不能な領域だ。運動が巻き戻っていく。惑星の動きは反転し、結合した原子達は分離する。時が逆巻く勢いもどんどん強くなっているようだ。私の時間はもう完全に外的時間とは切り離されてしまった。体感での1秒間で船外の時はもう何時間分戻っているのだろうか?いずれ宇宙の時代は私が地球に誕生した瞬間を置き去りにし、初期の宇宙、140億年もの昔に私を運ぶだろう。そこに待ち受けているのは宇宙誕生の瞬間、ビッグ・バンだ。逆行によりビッグ・クランチとなる時、4つの力は分離する前の原初のものとなり、全ての物は陽子と中性子と電子になる。私はそれに付き合うのもいいと考えるようになっていた。全てがたった一箇所の点になるならば、私はまた彼女と一緒になれるだろう。


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