八話 ちょっとした事件 開戦(下)
今回で、三人称は終了です。
批評、どんどんおまちしております。
妖怪と妖怪の戦いの場合、一撃で決着がつくと言うことはまずありえない。
一合。
生命力や、妖力による防御力。あるいは再生力といったものが、優れているからだ。
二合。
繰り出される突撃を妖剣で受け流しながら、沙耶は左手で複数枚の符を。
三合。
刹那という間をおかずに発動したのは、隔離結界。その名のとおり、結界の中と外を切り抜く結界だ。
四、五、六、七、八…。
沙耶が結界を展開している間にも、鏡鎧の槍は的確に沙耶を狙ってくる。
繰り返される突撃。沙耶は、その全てを妖剣で受け流す。
一歩。大きく沙耶は後退し、左手を強く握りこむ。細い路地に、薄い緑色の壁が天高く立ちのぼる。
「隔離結界…ご苦労なことですね」
「当たり前でしょう。民家やら公共物に被害を出して、怒られるのはいやだもの」
結界の範囲は、目測で二十メートルほど。横幅はそれほど広くないが、奥行きはかなりの広さだ。
「さて、下準備も十分。そろそろこちらから――攻めるとしますか」
大地を蹴る音。鏡鎧の眼前に、妖剣の刃先が現れる。
左肩から腰にかけて、切り抜くように走る沙耶の妖剣。早すぎるそれに、鏡鎧が反応することができたのは偶然だった。
反射的に差し出した槍の柄で、鏡鎧は刃を受け止める。いや、受け止めきれずに後ろへと少し、はじかれる。
追い討ち。振りぬいた妖剣を真一文字に振るう。
槍の柄を避けるように振るわれた刃は、鏡鎧の胴を打ち据える。
鈍い、金属音が結界内に鳴りひびいた。
「ん?」
一瞬。妖剣に帰ってきた手ごたえに沙耶は、不思議そうに顔をしかめる。
鏡鎧が動いた。
深く、真一文字に裂けた鎧の穴を一瞬で修復し、
近接戦を不利と思ったのか大きく距離を取る。
槍を手に、舞うように槍を動かす鏡鎧。槍の軌跡に描かれるのは、梵字(ブラーフミー文字とも)と呼ばれるインドで使用されている文字だ。
「…へぇ、あんた大陸から渡って来たんだ」
描かれていく梵字を見ながら、沙耶はゆっくりとした動作で一枚の符を左手の指に挟む。
「落雷よっ!」
振り下ろされた槍。閃光がほとばしる。生み出されたのは、一筋の雷。インド、ヴェーダ神話においては、破壊神と呼び声高い暴風の化身が使用したとされる力の一部だ。
雷は、音速を遥かに超えて、大気を切り裂き沙耶へと迫るが、
「――」
雷は沙耶ではなく、沙耶の持つ符へと吸収されていく。
「避雷符。何が来るのかわかってれば、対処も簡単だからね。そして――」
沙耶は紫電がはしる符と、もう一枚。
「落雷って言うのは、こういうのを言うのよ」
頭上高く上げた二枚の符が、燃え落ちる。
同時に、轟音。鏡鎧の雷を遥かに凌ぐ大きさの雷が鏡鎧へと落ちた。
土煙が立ち込める中、沙耶は注意深くあたりの気配を探っていた。
――結界内の気配自分を除いて二つ。一つは鏡鎧として、あとの一つは?
その時、沙耶の耳がわずかな音をとらえた。
反射的に、沙耶の腕が妖剣を振りぬく。
妖剣が切り裂いたのは、陽炎のように立ち上る鏡鎧の影。
もう一つの音。風を切るそれに、沙耶は危機感を覚えて即座にその場を飛び立つ。
両の手を翼に変えて、飛翔。
沙耶の眼下に、鏡鎧の姿が映る。
背後に気配。
さらに高く、飛び立つ。
次々と背後に現れる気配。地上には、すでに十を超える鏡鎧の群れが沙耶を見上げていた。
背後を取られないように、回りながら高く飛び上がる沙耶。
「そう、そういうこと」
次々に現れていく鏡鎧の気配。
ダメージを受けた様子のない姿。
手ごたえのない沙耶の攻撃。
ここにいたって、沙耶は今戦っている鏡鎧が本体ではないと悟る。
――だとすると、本体は。
攻撃をかわしながら、沙耶は妖力の流れを読む。
「ふぅ、真琴の方が読むのは上手いんだけどね」
攻撃を加え、落ちていく鏡鎧。
地面で、沙耶に向かって槍を投擲しようとする鏡鎧。
沙耶よりも高く、上空から速度をつけて突撃してくる鏡鎧。
前後左右。様々な方角から繰り出される時間差の一撃を、沙耶は危なげなくかわしながら全ての鏡鎧を視る。
鏡鎧から立ち上る、赤黒い糸。十センチほどの太さのそれは、鏡鎧が作り出した鎧武者へと妖力を送っているパイプだ。
全ての鏡鎧が持つパイプを、沙耶は空を舞いながら追い続ける。
「しぶといですね」
余裕そうな口ぶりだが、鏡鎧はあせっていた。
すでに、百を超える数の鎧武者を生み出している鏡鎧だが、鎧武者を作り出す妖力とて、無限ではない。
「こうなると、こちらの妖力とあちらの妖力。どちらが尽きるのが早いか、
持久戦ですかね――ん?」
鎧武者の攻撃の切れ目。常人には見分けることが出来ないであろう、妖力を補給する一瞬の合間をついて、沙耶はさらに高く飛び上がる。
その速度たるや、今までのそれを遥かに凌駕して瞬く間に鏡鎧が鎧武者を生み出すことが出来る範囲を超えてしまう。
「時間稼ぎ、と言うわけではなさそうですね」
何をする気にせよ、攻撃手段のない鏡鎧は鎧武者の数を減らして、適当な高度のところで何時でも作り出せるようにしておく。
「さて、何時ごろ降りてくるんでしょうね」
森厳の懐の中、鏡鎧はそうつぶやいた。
沙耶は未だに、鏡鎧の本体を見つけることができていなかった。
遥か上空。雲よりも高い位置で、沙耶は眼下の鎧武者をにらむ様に見つめる。
「ああっもうっ、いらいらするっ! ぜんっ、ぜん見つからないじゃないっ!」
上から見下ろせば分かりやすいかと思い、空高く上った沙耶だが、いい結果がでずにストレスを高めていた。
「っと、だめだめ。落ち着くのよ沙耶。ここで冷静さを欠いたら相手の思う壺」
びーくーる、びーくーる。とつぶやいて、もう一度、妖力のパイプを視る。
「…」
視る。
「……」
視る。
「………」
しつこく視る。
「ふぅ」
空を仰ぎ見ながら、沙耶は小さくため息をつく。そして、
「やっぱり全部焼き払おう」
結局、力技だった。
沙耶を中心に、梵字が踊る。
符による術ではなく、言葉や文字による術、呪言。
「不浄を払う業火」
呪言の威力を左右するのは、文字と言葉の多さだ。
「果て無き空に住まう者」
古来より、この国に伝わる一つの言葉。言霊。
「我が剣となりて――」
一つ一つの言葉に力を宿し、様々な奇跡を起こす言霊。
その中で、攻撃のための力を呪言という。
「降りしょ――もとい、降り注げ!」
舌をかんだのはこのさい無視するとして、いくつもの炎が空から地上へと降り注ぐ。
沙耶が作り出した妖力の炎によって、結界内が瞬く間に火の海となる。
「はははっ! 燃えろ燃えろー」
どことなく悪役っぽく笑いながら、次々と炎を地上へと向けて放つ。
沙耶の放った炎は、その後数十分にわたって燃え続けた。さいわいな事に、結界のおかげで民家や道路には被害はでなかったのが救いか。
「さて、真琴が待っているし帰ろうっと」
黒い翼をはためかせ、沙耶は真琴の部屋へと飛び立った。
沙耶が立ち去った後の路地に、うっすらと陽炎が立ち上る。鏡鎧の本体を抱えた鎧武者だ。
鎧武者を作り出す妖力のほとんどを半分を防御に使い、さらに鎧武者に森厳の体を覆わせることで何とか燃え尽きずにすんでいた。
「…無茶苦茶な妖力でしたね」
鎧武者に抱かれたまま、鏡鎧はつぶやく。
「ここはいったん引いて、妖力を高めてから出直すとしま――?」
這いずるような、あるいはにじり寄るような音が鏡鎧に聞こえた。
沙耶と対峙していたときには感じなかった、恐怖が鏡鎧の心の内で鎌首を持ち上げる。
「なっ、にが」
大きな影が、街灯の光をさえぎる。
とっさの判断で、鎧武者を横に飛ばす。と同時に、妖力を使って新たに鎧武者を作り出す。
鉄製の鎧が、たやすく押しつぶされる。
飛び散るコンクリートの破片の先、鏡鎧はそれを見た。
赤く、紅く魅惑色を発する光。それは、眼だ。
のっそりと、怠慢な動作でそれは体――というよりは頭を持ち上げる。
「うっ、あっ…ああっ」
太く、長い胴体。チロチロと、せわしなく出し入れを繰り返す先端で割れた赤い舌。金属よりも強固そうな鱗に覆われた外皮。
西洋の神話においては、神々の天敵と歌われ者。
東洋の神話においては、神の末席に名を連ねる者。
大蛇。
東西全ての神話に登場するこの存在を前に、鏡鎧は動くことも出来ずにただただ恐怖で身をすくませる。
それはまさしく、蛇ににらまれたカエルのよう。
鏡鎧の本体である銅鏡に、大きく開かれた大蛇の口がうつりこむ。
「あああああっ!」
一息に、鎧武者ごと大蛇は鏡鎧を飲み込んだ。
ぼこぼこと、胴体部分で鎧武者が暴れているので外皮が盛り上がるが、やがてそれもなくなりあたりに静寂が戻った。
これ以上の獲物がいないのを理解した大蛇は、ゆっくりとその身をくねらせながら夜の街へと気へていく。
こうして、一つの事件が幕を閉じ、新たな事件の幕が開く。
けれど、主役《真琴》はいまだに舞台に上るにいたらない。




