六話 ちょっとした事件の開戦前
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
基本的に、主人公である真琴の一人称で進むこの小説ですが、
今回は僕の実験もかねて三人称に挑戦しています。
いつも以上に読みづらいかも知れませんが、読了後に批評、またはご指摘の方をぜひよろしくお願いします。
「……眠ったみたいね」
そうつぶやいて沙耶は、真琴の頭を撫でていた手
――真琴が深い眠りに落ちるように、術をかけていた手を離した。
規則正しい寝息を立てる真琴の頭を、沙耶は優しげにもう一度撫で付ける。
「私が、守るから」
やさしげな、けれども決意と想いを込めた声で沙耶はつぶやく。
胸に去来するのは、ほのかに暖かく熱を帯びた想い。
手放したくない。
離れたくない。
側にいたい。
特別やさしいわけでも、強いわけでもない弱い人間。
だって言うのに、沙耶は真琴のことが好きだった。
何時から真琴のことが好きなのか、沙耶には分からない。そもそも、真琴との付き合い自体がそんなに長くないのだ。
沙耶と真琴が出会って三年。いつの間にか、沙耶の心をその想いが支配していた。
たった三年。一つの、場を和ませる冗談の一つとして提案した一つの賭け。その賭けに、沙耶が負けてからの三年。
気がつけば、真琴の側を離れる自分が想像できなくなっていた。
「何でかしらね。一箇所にとどまり続けたことなんて、無いに等しいのに」
数多といる妖怪たちの中でも、特に臆病だった沙耶。
人々の中に混じり、対魔の技術を磨き上げた。
強い妖怪に取り入り、その力を利用した。
敵意を持つ者の弱みを握り、敵対者にその情報を流した。
敵わぬと分かれば直ぐに逃げ出した。追っ手がかからぬ様に、
敵の敵と争うように仕向けてから。
敵だった者も、味方だった者も、師だった者も、弟子だった者も。皆、沙耶は踏みつけてきた。
「負告鳥在るところに、勝者なし、か」
沙耶が過去に、大妖怪と呼ばれたときに付けられた呼び名。負告鳥。不幸を告げる鳥。転じて、敗北を宣告する鳥。
敵にも味方にも、等しく敗北を引き連れてくる最悪の妖鳥。
だからこそ、沙耶は孤独だった。
自分ひとりなら、怖くないから。自分ひとりなら、逃げ切れるから。自分ひとりなら、生き延びることが出来るから。
大妖怪と呼ばれていた時期は、妖怪たちが世界に進出するために表立って動いていた時期の名残だ。沙耶としては、失敗したと言っても良いだろう。
「ん、動き出したみたいね」
窓の外。広江駅の方向に沙耶は、目線を向ける。普通の人では、ネオンや外灯の光しか捉えることが出来ない風景。けれど、沙耶の眼にはもう一つ、動く者を捉えていた。
「結界は……この部屋だけでいいか」
家中を覆っていた結界を収束させ、真琴の部屋に集める。今現在、この家には真琴と沙耶しかいないから行った方法だ。
結界の規模が小さくなったのを確認した沙耶は、懐から一枚の符を取り出す。
結界符。この家に使われている結界は、沙耶が自分で作り出した物だ。
今使われている結界は、悪意を持つ者だけに反応する警報の様な物。もっとも、雪村家の住人は家を空けがちなので、あまり意味を成さないことが多い。
そして、今沙耶が懐から取り出した符の名は隔離結界・彼岸花。結界に覆われた対象を、結界の外から知覚出来なくするための結界だ。見えなければ、害なされることも無いと考えた沙耶が作り出した自信作の一つだ。
もっとも、この結界は発見されないのが大前提のせいか防御能力は皆無に等しい。
そして沙耶は、もう一枚。今度は何も書かれていない符を取り出して、筆ペンでさらさらと文字を書き込んでいく。
「…できた。えっと、子鬼が作った迷彩用の術か…暗闇のかくれんぼ…
ちょっと違うわね…固形の蛇…あからさま過ぎるか」
結局、いい名前が思いつかないままに沙耶は符を発動させる。
薄い光が、沙耶の体を纏う。
沙耶の見た目に、変化らしい変化は無い。だが、確実に変化は起きていた。
備え付けられた手鏡。そこに、写るはずの沙耶の姿が無かった。
穏行の術。一般的には、このような呼び名で呼ばれている。この術の効果は、単純に気配を希薄にして進入や逃走時に利用するための術だ。
原理としては単純に、カメレオンと同じで辺りの風景に同化する術と言えば分かりやすい。
気配まで希薄にした沙耶は、窓に足をかけて飛び立とうとする、前に、背後を振り返った。
背後には、すやすやと心地よさそうに寝息を立てる真琴が居る。
「…いってきます」
フッと、口の端を吊り上げて沙耶は、夜空へと翼を広げ、飛び立った。
ここで、時間は少し巻き戻る。
広江駅西口方面。通称、富豪口。その一角にある高級住宅街。
時刻は八時。ちょうど、真琴と沙耶が訓練を開始したのと同じころの皐月家。
目立たぬところに立てられた蔵。その出入り口の前に、初老の男性と鎧武者が立っていた。
「ふむ。仕上がりは順調そうだな」
初老の男性、いや、皐月森厳は鎧武者の姿に満足そうな笑みを作る。
対して、鎧武者はしきりに体を動かしながら曇った声で答えた。
「…ええ、さし当たって動くことに支障は無いです。ただ…」
「ただ?」
「妖力が、足りません」
先ほどの曇った声と違って、はっきりと、その声は森厳の後ろから届いた。
「妖力、か」
「ええ」
声の元。そこにあったのは、一枚の銅鏡。銅鏡が、青白い光を瞬かせている。
「まぁ、二年ぶりに力を使ったのだから仕方ないと言えば、仕方ないな」
真琴が霊視したとおり、二年前にこの家から生まれたての霊魂が一体、飛び立っていた。
そもそもの原因は、二年前に張りなおされた結界にある。この結界、真琴が言っていた通り、名前はふざけているが性能そのものは高い霊避けーるの効果で、結界内に居た未登録の霊魂を結界の外に弾き飛ばしてしまったのだ。
生まれたてにもかかわらず、体から強制的に放り出された霊魂は、二年の放浪の内に真琴と出会い、こうして体まで戻ってくることに成功していた。
その霊魂の体こそ、この銅鏡だ。
日本には古来より、長い年月を経た道具には魂が宿ると信じられている。この銅鏡も、正確な年月はわからないが、少なくとも数百年単位でこの形を保ち続けていた。
付喪神。正確には、九十九神と書かれる妖怪こそが、この銅鏡の正体だ。
神の名を冠してはいるものの、その本質は妖怪変化。姿かたちが一定せず、どこにでも現れる、ある意味ではありふれた妖怪だ。
だが、数がいるせいかその性質もまた統一性が無い。九十九神の性格形成には、道具の使い手あるいは、道具の性質自体が関連するのが一般的だ。
武器であれば、攻撃的に。鎧であれば保守的に、といった具合だ。
もっとも、この銅鏡は能力はともかく性格自体は霊魂が浮遊している間に学習した物であり、持ち主に似たというわけではないが。
「できれば、今日中にことを終えておきたいところだが…どれだけの力があれば良い?」
「そう、ですね」
銅鏡の考え込む声に合わせて、鎧武者が腕を組んで上を向く。
なかなかにシュールな光景だ。
「今の倍、程度は必要かと」
銅鏡の答えに、今度は森厳が考え込む。
人間や幽霊が使う霊力。悪魔や魔女、あるいは魔法使いが使う魔力。神々の使う神力。そして、妖怪たちが使う妖力。これらは皆、根源を同じくしながら、全く別の力として認識されている。これらを統括して、理力と呼ぶ。
妖怪たちが振るう力の源である、妖力。これは、消費した分を回復させるには一定以上の時間の休息をとるか、地脈と呼ばれる力の温泉のようなところから汲み上げるのが一般的な方法だ。
だが、増やすとなると勝手が違ってくる。
どの理力でも同じだが、生まれながらにして持つ理力量を
修練によって増やすことは出来ない。
けれども、理力量を増やすことは覚悟さえあれば誰にでも出来る。
「しかし、惜しいな」
銅鏡の方を向かず、森厳はつぶやく。
「この館にいる使用人、二十名。その霊力を全てお前に与えることが出来れば、
倍程度にはなると言うのに、な」
「…それは、惜しいですね」
銅鏡は、森厳のわかりやす過ぎる言葉に呆れながらも、行動を開始する。
「ん、どこかいくのか」
森厳の脇を通り過ぎた鎧武者に、森厳はわざとらしく声をかけた。
「ええ、戦いの前にもう少し体を慣れさせておこうかと思いましてね」
「そうか、それは良い心がけだ」
遠ざかっていく鎧武者の足音を耳に、森厳は空を見上げる。
「くく、今日は良き日だ。二つも力をこの手にすることが出来るのだから」
森厳の声に答える者はいない。代わりに、絹を裂くような悲鳴。
「おっと、念のためもう少し防音性をあげておくか」
結界が、淡い色で彩られる。
「さて、私の準備もしておくか」
そう言って森厳は蔵の中に入っていく。
理力量。修練によって増やすことは出来ない。
だが、覚悟があれば誰でも増やすことが出来る。
相手の命を奪い、その魂を喰らえばいいのだから。