五十四話 研究の成果
二階部分は一階部分と違い、いくらか小奇麗な印象がある。
はじめは歩くことすらままならないほどに破損していたがため、大守学園の教員たちが試験用にいくらか改修を行ったからだ。
改修を行ったとはいえ、それはあくまで応急的なもの。往復をする分には問題ないが、仮に戦闘行為を行う必要があるとなれば足元にも注意を払う必要があるだろう。
「ねぇ、二人とも」
「どうした、何かあったのか?」
先頭を歩く秀樹が足を止め、真琴の方を向く。恵子も何かあったのかと不安そうな面持ちだ。
「声が聞こえなかった?」
「声? ………いや、何も聞こえないぞ」
「うん。私も」
「そんなはずは――何か来る!」
なおを言い募ろうとした真琴は、視界の端にこちらへと向かってくる何かを捕らえて即座に意識を切り替える。
振り返っていた二人も前を向き、昼間だというのに薄暗い闇の先を見据える。
接触までは何秒か。
「あれ?」
秀樹の眼が、迫りくるものを五秒早く捕らえる。
それは人だ。二人。三人と同じように大守学園の制服に身を包み、背後を時折振り返りながら走り去る姿。
はたして、五秒後にはそのとおりに二人組みが三人の脇を通り過ぎた。
「雪村君が聞いた声って、あの二人のじゃない?」
「かな? って、ちょっと待って」
「おいおい、まだあんのか?」
「ここに入るのって、たしか最低でも三人でって言ってたよね?」
「そういえば……おい、まずくねぇか?」
「あっ!」
三人で入らなければいけない場所で、逃げるように立ち去った二人。
では、あとの一人は?
「急ぐぞ」
誰ともなくそういって、三人は逃げる二人組みとは逆。奥へと進んでいった。
三人がたどり着いたのは、やはりというべきか院長室だ。
勢いよく扉を開き、真琴と秀樹がまず中に踏み込む。
中には誰もいない。というよりかは、部屋自体がきちんとした形状を保っていなかった。
火元であるせいか院長室は黒く焼け焦げ、ドアの真正面にあるであろう壁は燃え落ちて外が直に見える有様だ。
「誰もいないな…」
あたりを見渡すも、幽霊はおろか三人組の取り残されたであろう一人も見当たらない。
「先に逃げてたんじゃないか?」
「………やっぱり、声が………」
「雪村?」
無言で真琴は床――その機能を果たしていないが――に両手を突いて、耳を当てる。はたから見ればそれは土下座をしているように見えた。
「どうしたんだよ?」
「ちょっと待って、静かにしてて……」
真琴は神経を耳に集中させる。
確かに、声がするのだ。
二階――複数の足音。こちらへと近づくが、違う。
一階――やはり足音。それに混じって、何かが崩れる音。
さらに下。地下に相当する部分にて、その声はした。
「…………いっ!」
かすかに、ほんのわずかにだが聞こえた声。何を言っているのか、しっかりと聞き取れたわけではない。
それでも、その声は真琴の耳に届いた。
「わかった、地下だ!」
「えっ?」
「二人は外に出て助けを呼んできてっ! 俺は先に行ってくる」
「あっ、おいっ!」
制止の声を無視して、真琴は院長室の一角にあいた穴へとその身を躍らせる。
視線は、真琴を追っていく。
坂崎巴は、物陰に隠れて息を潜めた。
油断していたわけではない。
侮っていたわけでもない。
驕っていたわけでもない。
けれど結果として、今ここに彼女自身の命が危機にさらされるという状況がしかと出来上がっていた。
きっかけは院長室で、一緒の組になった友人が見つけた一冊のノート。
火災現場の只中にあってそれだけが燃え落ちずにいたというのは考えられないので、ほかの生徒の落し物かと思い巴も気にかけなかった。
彼女に落ち度を求めるとすればそれ。
そのノートはきっかけに過ぎないが、巴は止めるべきだったのだ。
ノートは院長本人が書いたと思われる手記だった。きちんとした研究題材でなかったのか、はたまた彼の趣味によるものなのか書きなぐるようにしてさまざまなことが書き込まれたノートは専門用語の多さもあって、とてもではないが読めたものではない。
最後の一文。
『失敗した』
と、そう書かれている文字を見つけるまでは。
「なにか…何か弱点は」
巴は自分とともに落ちてきたノートをめくる。
暗闇といってもいいほどに先の見えない場所だが、夜目は種族がら効くほうだ。なんの問題もない。
ここの院長は、医者の傍らにもう一つの顔を持っていた。
黒魔術師と、そう呼べば理解が早いだろう。
彼の経歴を調べればわかることだが、もともと楠木は医学ではなく魔道を専攻していた。にもかかわらず医者の、それも院長にまで上り詰めたのには理由がある。
まず、彼の研究テーマには人体の構造を知ることが必要不可欠だったからだ。長い年月をかけて研究し続けたそれは、いつしか彼に外科手術の腕という思いもよらぬ技量をもたらした。
彼の研究。それは、ゴーレムの製造だ。
きっかけは、彼が死すその時までついぞ語られることはなかったから知るものは死者意外にない。ただ、ゴーレムの中でも比較的珍しい屍肉を使ったものを作ろうとしていたのは確かである。
そのために、病院という現場はまさにうってつけであった。
這うような音がして、次に液体が地面へと滴り落ちた。バケツの水をぶちまけたのとは違う、もっと生理的な嫌悪感を抱かせる粘着質な音。
ごくりと、巴は生唾を飲み込んで気配を可能な限り薄くする。
何度かの音の後、そいつは巴の視界に入り込んだ。
大きさはせいぜい一メートルと半分ほど。肩が平坦になっていて頭部らしきもの、顔にあたる部位は見当たらない。ただ胴体部分からは何かの骨、それか毛が見え隠れしている。
手は地面に引きずるようにしている反面、足は短い。身体のバランスそのものがきちんと取れていないからか、あるいは前が見えていないからかヨタヨタと身体が向いているほうに徘徊していた。
そして、腐臭がひどい。ドブ川ですらもう少しましな匂いだろうと思いたくなるほどに、異様な匂いを発している。
粘つく液状の音の正体はその身体自体にある。というより、身体の結合が解けて地面に撒き散らされているだけと言うのが正しい。 楠木院長の作品であるゴーレム。分類としては、一般的にフレッシュゴーレムあるいは、デッドゴーレムと呼ばれる種類だ。
「……っ」
鼻を押さえ、巴は少しずつ身体を移動させる。ゴーレムの背後へとだ。
戦うのは無謀だと、数回の攻防で理解した。逃げた二人が助けを呼んでくること期待しているが、それでも数分でこの場には来ないだろうと言うのは承知の上。
ならば、十分でも二十分でも時間を稼がなければいけない。
そっと、息を潜めて巴はゴーレムの完全に後ろを取ることに成功した。
見えているのは無防備な背中。
ズルズルと身体をすり減らしながら徘徊する、屍肉のゴーレム。
わずかに、本当にわずかにだが勝てるのではないかと言う希望が巴の中に芽生えた。
数分の攻防のときでさえ、巴は一切のダメージを受けていない。ならば、こうやって背後を取りながら攻撃を繰り返せば勝てるのではないか、と。
その考えを肯定するかのように、ゴーレムは巴には気づかずにただただ前進を続ける。
「――大丈夫、上手くいく」
思い定めれば後は早い。
両手に呼ぶのは身の丈を大きく超える二つのクナイ。その形状からクナイと呼んでいるだけで、分類としては立派に大剣だ。
二つを逆手に持って、一つは背中に一つは眼前に。
体制は低く、弾け跳ぶ。
二閃。一息の間に、背後をしかと切りつける。
十分な威力があった。
間違いなく、手ごたえがあった。
倒せないまでも、転倒させる位はという思いがあった。
けれどいまだにゴーレムは健在。反転される前に逃げねばと、足をつけてバックステップ――より早く、ゴーレムの腕が横なぎに振るわれる。
「きゃん!」
無造作なそれを、とっさにクナイを交差させて防ぐも体制が良いとはお世辞にもいえぬ状況下では満足に防ぐことなどできはしない。
文字通りに弾かれて、巴の身体はあっさりと宙を舞う。
否。
滑るようにして壁へと叩きつけられた。
二つ目の失敗だ。背後に気を配らなかった。巴が考えている以上に、壁は近くにあった。
「ごほっ……」
息を詰まらせながら、巴は自嘲する。無様だと、図に乗った罰だと。
ずるりと音を立てて、ゴーレムが巴のほうを向いた。 進みくるだけでも、わずかに数歩の距離。早く起き上がり、逃げねばならない。
が、強打した位置がまずい。受身も取らずに背中から打ち付けられたのだから、全身がわずかに麻痺している。
ほんの数秒だ。けれど、その数秒でゴーレムは十分に手を伸ばせる範囲までやってくる。
巴は死を覚悟する。
仕方がないことだと割り切って、けれど惜しむらくはまともに死ねず、あれの一部になることかと泣き笑いのように思う。
油断しても、侮っても、驕ってもいなかったはず。けれど、嘗めていた。この程度の心霊現場ならば修行のほうがはるかに辛かったと、そう思っていた。
結果がこれだ。未知の相手に対して、無謀にも無策で挑みそして敗れる。
いよいよ、ゴーレムが後一歩と言うところまで近づいてくる。
「ははっ………ここまで――」
「でも、ないみたいだね」
トンと、軽い音を立てて真琴が巴とゴーレムの間に割り込んだ。
なんか、久しぶりに真琴が主人公っぽいことをしている気がします。