五十一話 名前を決めよう
神霊。そう呼ばれる存在である彼女――真琴と契約した少女――には名というものがない。元来、神という存在は求められて生まれるのだからそれは求められたその時点で名というものを持っているのは当たり前のことだ。
けれど、少女の場合は事情が異なる。自然発生したわけではなく、あくまで偶発的に生れ落ちた一つの神霊であるから、名前という個人を指し示す上でも重要な記号をもっていなくともなんら不思議はない。
よって、今現在の少女には名がないのだ。
ではつければいいと、簡単に言うものもいるであろうが神霊に名前をつけるということはそうそう簡単に出来ない理由がある。
そも、神の名の由来は不可思議な現象に名前をつけて擬人化することでわからないものを理解しようとしたことで生まれた。
神が先なのではなく、現象ありきなのだ。
例を挙げるのであればヒノカグツチ。かの神が司るのは炎であり、人々に文明という利点をもたらしたこの現象を司る神はいかなる神話においても上位に君臨する。それほどに人々の生活に密着しながらも、同時に脅威として認識されていたゆえに。
そうして名前をつけることで存在を認識しやすくし、同時に物語を構築する。それが神話であり、英雄譚である。
物語には始まりがある以上、終わりもまた存在する。ヒノカグツチの物語は生まれた直後、実の母を傷つけてしまうことで始まり――父親に切り殺されるという悲劇でもって幕を閉じてしまう。
正式にはその直後、ヒノカグツチから流れ出た血から幾柱かの神が生まれているがそれは語る必要は今はないので省略する。
この物語において重要なのは、ヒノカグツチが切り殺されたという事実。
知っての通り炎を切ることは出来ない。だが、神性として擬人化されたヒノカグツチは切ることができた。父親であるイザナギが用いた神剣を使えば、という前提があるが。
その神剣の名は天乃尾羽張。炎の神性にたいする切り札として、耐火の護符を作る際には刻まれることが多い名だ。
かように、物語として役割を与えられた神は同時に弱点を作ってしまう。
同じことはマガミにも言える。彼女の場合、日本書紀に記された神々には劣るがそれでも名の通った神であり、同時に対策もまた残されている。
ゆえに、彼女は自分の本当の名を隠してマガミと名乗る。
以上のことから、神霊である彼女に名前をつける場合は細心の注意が必要となる。たとえ新しく生まれた神であっても、元とする性質がにかよる以上は対策もまた同じものが適用されてしまうからだ。
かといって、性質からあまりにかけ離れた名前だと力を出すことが難しくなってしまうので注意が必要であるが。
「んと、本名は雷花でいいとして、普段はなんて予防かな」
「はへ? 雷花じゃ駄目なの?」
頭を捻る真琴の側にふよふよと浮きながら、雷花と新たに名づけられた少女は小首をかしげた。
――その名前に反応した者が一人いたが、わずかにしか動揺を見せなかったことで誰にも気取られることはなかった。
「あ〜、それじゃあ花とかでいいんじゃない?」
いかにもどうでもいいと言いたげに、沙耶は何処からか出してきた甘味を咥えつつそう言う。何時の間にやら手には漫画があり、完全にくつろぎモードだ。
「ここはお主の部屋ではないのだがの」
流石にマガミが咎めるが、沙耶は聞く耳を持とうとしない。結局、それ以上強く言うことはせずマガミもまた茶をすすってから真琴のほうを向いた。
「時に真琴、なぜ雷花と言う名なのだ?」
「変かな? なんかパッと思いついた名前がそれだったんだけど…」
「いい名前だよ〜」
考え事をしているせいか、やや生返事ぎみに雷花が追従する。どことなくのんきな空気が二人の、むしろ雷花の周囲には漂っていた。
「――いや、以前に聞いたことのある名であった気がしたのでの。どうやら我の気のせいであったようだよ」
「なになに? とうとう呆けたの?」
「あいにくと、呆けるほど歳をとった覚えがないの。お主に言わせれば、数百年は寝たきりであったのでの」
「そんな昔のことを覚えてるなんて、此れだから年よりは……」
やれやれと、アメリカンな感じで肩をすくめる沙耶。ピキリと、マガミの額に青筋が立つのが真琴には見えた気がした。
「ふん。せいぜい二、三年のことを覚えていられんとは、お主の栄養は頭ではなくその無駄にでかい脂肪の塊に向かっておるのではないかの?」
「ああ、あんたにはないもんねぇ、これ。ほれほれ。羨ましいか? ん〜?」
ブチッと、今度は何かが切れる音が真琴には聞こえた。
「お二人さん? そんなことよりも雷花の呼び方考えてくんない――ああ、いやなんでもないです。だからそんなに睨まないで。ごめんなさい、続きをどうぞ」
「ねぇねぇ、あのおば――うひぃ」
結局、呼び方は花に決まりましたとさ。