四十九話 真琴と一姫の道中
気まずい空気というものを、雪村真琴は久しぶりに感じていた。手に感じる感触は、沙耶のそれと似ているようでいくらか違う。柔らかいという一転では同じだが、こちらは部分部分が硬い印象を受ける。
「いや、その…すまないな」
「仕方ないですよ。えっと、ここを右で?」
羞恥半分情けなさ半分といった表情で謝罪を口にする一姫に、真琴は曖昧に笑いながら答えた。
「ああ。十分ほど歩けば……輪郭だけならばもう見えてるだろう」
「んっと、あの白い壁の家ですか?」
塗装が剥げて、ツタが壁面を覆っているが元の色である白は真琴の位置からでも見て取れた。正確な大きさまでは障害物が多すぎて把握することは出来ないが、少なくとも二階建てということはわかる。
距離的には真琴たちの立つ交差点からはそう遠くない。ただ、今回は未だに怪我の後遺症が残る一姫が一緒なのでその歩みはゆっくりとしたものだ。
「そうだ。ここからならば私を置いていっても構わないが」
「怪我人をほうっては行きませんよ」
「むっ、傷はすでに塞がっているんだ。怪我人扱いは止めてもらおうか」
「一人で歩けないなら十分に怪我人ですよ」
薄く、からかうように真琴は笑う。
――面白くない。
率直に、一姫は内心でそう思う。年齢や人生経験では間違いなく自分のほうが上だというのに、なんだってこの男は落ち着いているのだと。
繋がれた手。
華奢ではないが、十二分に少年らしい容姿をした見た目と同様に柔らかい手だ。
自分とは違い。
フッと、一姫は苦笑した。
自分の此れは幼少のころより積み重ねた努力の跡だ。誇りはすれ、蔑む理由はない。にもかかわらず、一姫は一瞬だけ何の穢れもない手を羨ましいとそう思った。
真琴が沙耶と訓練をしているのは知っているが、彼の手に豆ができたりしていないのは彼自身の再生力に起因する。
怪我に関わらず、破損と認識されたそれはその場ですぐに修復してしまう再生能力。マガミから聞いた話によれば、死の淵からも生還してみせたと言うのだから驚きだ。
反面、自分はどうだ。
カナミに斬られ、危うく死ぬところであった。戦うことは愚か、毛筋程度の傷をつけるのが精一杯だったのに対し、真琴は戦い、勝利するための切っ掛けを作ったというのにだ。
第一にして、一姫が助かったのも真琴が沙耶に協力を頼み、マガミの下まで文字通り速効で連れて行ったから治癒が間に合ったからであり、彼女が急所を外すなどの行為をしていたからではない。ただの偶然に過ぎないと一姫は思う。
そして今、この状況。
年下で、助けられた恩を返さなければならない相手に手を引かれ、自分に負荷がかからないように調整された歩みで目的地へと向かっている。
気を、使われているのだ。
弱者だと、その様に思われているのだ。
ギリッとクチビルを噛む。そして、
「――不味いな、これは」
「何かありました? 傷が痛むとか」
「…いや、なんでもない。大丈夫だからそんな顔をするな」
「そうですか……でも、痛むようならすぐに言ってくださいよ?」
「ああ、そうさせてもらうよ」
本当に心配そうな目を向ける真琴に、一姫は目を伏せて首を縦にふった。それで納得したのか、真琴は再び前を向いて歩き出す。目的地である民家はすぐそこだ。
歩みが再開されて、一姫は安堵の息を気取られないように付く。
――何を考えているんだ私は。あるいは、嫉妬してるというのか?
冗談交じりに思ったことは、一姫でも驚くほどにしっくりと胸の中に落ち込んだ。
まさかと思うと同時に、そうなのかと思う自分がいる。
今はまだ、直接戦えば自分が勝つ自信はある。だが、今後は? そう自問すると、答えは決まったわからない。何より、真琴はまだ若い。体つきとて未だに完成しているとはいえないし、技術だってこれからどんどんと伸びる。
そう遠くない未来に、彼は自分を抜き去るだろう。そう思うだけで、なんともいえないどす黒い感情が一姫の中で渦巻いていく。
――なんだ、やはり嫉妬しているのか。
笑い出したくなるのを抑えるのに、一姫は多大な精神力を必要とした。例えそれが自嘲の笑いでも、突然笑い出せば不信に思うだろうから。
自覚してしまえば後は簡単だった。
一姫は曲がりなりにも教師であるし、立派な社会人だ。学生の時分でならいざ知らず、キチンと自制することはできる。ましてや相手は、命を助けてもらった恩のある相手。
――つまり、抜かれない何かを身につければ言いだけの話しだ。
たやすいことではないだろう。だが、やりがいはある。
まずは傷を完全に癒そう。
一姫は思いを新たに、眼前に近づいている白い家を見るのだった。
立て付けの悪くなっていたドアを動かすと、かび臭い匂いが真琴の鼻をつく。続いて大量の埃がまって、長い間放置されていたことを教えてくれる。
「げほっ…うっわ、もう見たまんまの廃墟だなこれ」
外の光が差し込んで伺えた室内にはやはり埃が積もっており、白く汚れている。窓に該当する部分はひび割れて、外気を遮断するという機能を果たしておらずその部分だけが前日に降ったであろう雨水によってわずかに湿っていた。
「あまり衛生的ではないですね…先生は入らないほうがいいかと思いますが」
たとえば破傷風などの感染症にかかる恐れがあると、真琴はおぼろげな知識を元にして一姫のほうを見ながら言う。
「そうだな………すまないがそうさせてもらおう」
しばらく考えたが、怪我の回復を優先させると先に決めたとおりにここは休むことを取った。
「はい。じゃあ、行って来ます」
「いや、ちょっと待て」
ドアを潜ろうとした真琴を止めて、一姫はゴソゴソと巫女服の隙間に手を入れて何かを探す。そのさいに見えた白い柔肌を見ないように真琴が思いっきり目をそらしたのはご愛嬌。
「念話符だ。額に押し当てれば、数分間だけ会話が出来る。短い距離でしか使えないが、ここで使う分には十分だろう」
言って、懐から出した一枚の符を真琴に手渡した。どこかで見たことがあると思い、即座にそれが学園で使われているものだと思い至った。というか、大守学園と判子が押してある。
「出所には、突っ込まないほうが?」
「道具は使ってこそだ」
いいのか教師。と真琴は思わないでもないが、そこはそれということでありがたく頂戴しておく。
そして、今度こそ真琴は家の中へと足を踏み入れた。
そう広くない家だ。探索自体はすでに済み、真琴は目的地前のドアへとたどり着いた。
全身から嫌な汗がにじみ出る。
ドアノブを掴む手は汗でぬれ、呼吸も荒くなっていく。
鼓動の音と、息遣いが真琴の耳を打つ。
可笑しいと、言い知れぬ違和感を真琴は確かに感じていた。
怨念とも、執念とも違う何か。例えるならそれは、ネズミを前にした猫に似た感情。狩猟本能とでも言うべきものが、ドア越しからしっかりと真琴を狙っている。
何唾を飲み込んで、真琴は大きく深呼吸する。
入り込んでくる空気は埃まみれでかび臭いが、それでもやらずにはいられない。それほどまでに息苦しい。
数分か――もしかしたら一瞬かもしれないがそうやって真琴は少しの間を過ごし、覚悟を決めたのか右手に、ドアノブを掴んでいた手に力を込める。
ガチャリと、真琴の部屋を開くときにもする音を立てて、ドアノブがゆっくりと回転する。
後は引くだけ。
「――ッ!」
勢い良くドアを開き、真琴は室内へと飛び込んだ。
長らくお待たせしました。霊能科、ようやくの更新です。
本当はもっと速くお伝えするべきだったのですが、このたび無職からアルバイトに転職を致しまして、思うように時間が取れなくなってしまいました。
幸いにも工場ですので、土日は休みです。ですので、今後は土曜の夜から日曜日の朝にかけて小説を更新したいと思います。
楽しみにしていただいている方には大変申し訳ありませんが、どうぞご協力をよろしくお願いいたします。
追記…実は、今回の更新で霊能科は五十本目になります。思えばずい分と永い間連載してきたものですね。




