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四十二話 神々の諍い(6)

 地獄の業火の如き炎によって溶かされた玉鋼は、その熱が冷める前に刀工が振るう槌によって叩き、伸ばされていく。

 薄暗く、熱気のこもった鍛冶場には鉄を打つ音だけが木霊する。

 いや、違う。もう一つの音があった。


「………くっ………ぐすっ」


 鼻をすする音。嗚咽交じりの吐息。

 刀工が、泣いている。

 思いが届かなかったことが悲しくて。

 想いを拒絶されたことが悔しくて。

 刀工が、泣いていた。

 泣いてはいる。だが、彼の手は止まらない。

 焼けた鉄を打ち、折り曲げ、また打つ。

 刀を打つために必要な工程は、すでに彼の身体に染み付いていた。一心不乱に、やり場のない気持ちをぶつけるために彼は鉄を叩いていく。


「鉄は、裏切らないのに。刀は、想いが簡単に届くのに……」


 語りかけているのか、それとも独白か。造込みを終えた刀身を手に、ポツリとつぶやいた。

 阻む鉄の音はない。だが、その声に答える者もまた、いない。

 ジッと、涙混じりの瞳で刀工は未だに熱を持つ鉄をみる。彼の期待通りに出来ているのか、わずかに、本当に少しだけ目じりが緩んだ。

 だが、この鉄が形を成すのはまだ先だ。この後にも、いくつもの工程をへて初めて、刀と呼ばれるようになる。

 少しの間をおいて、彼は再び鉄を打つ。

 想いを、思いを忘れるように、捨てるように。






 でも、それは、間違っている。

 けれど、彼にそれを指摘できる人はいない。






 秀樹の眼は、守る上ではこの上なく頼りになる。五秒前から行動を予測できるので、避けるのも受けるのも情報を得てから決めることが出来るからだ。

 反面、攻める場合は少し難しい。

 相手がどう防ぐか? そのことが、五秒前から手に入る場合はほとんどないからだ。

 たとえば、上段からの振り下ろし。秀樹の力であれば、振り上げてから振り下ろすまでの時間は二秒に届くかどうか。

 対する真琴は、それを受けるか避けるかの選択を――見てからではなく、反射で動く。ほとんどの場合は回避だが、まれにその動きに合わせてカウンターを入れてくる。

 その間に起こる攻防は、五秒には満たない。だから、秀樹は攻めるときに限っては真琴の行動を予測することが出来ないでいた。

 つっと、秀樹の頬を汗が伝う。それは、ゆっくりと重力に引かれるように肌を滑り、地面に一つだけ染みを作った。

 荒く、肩で呼吸を繰り返す。

 刃先は呼吸に合わせるようにゆれ、刀を持つ手は疲労からか震えている。


「んっ、思ってたよりも体力がないね」


「ぜっ………はぁ………う、るっ……さいっ!」


 喋るのもままならない秀樹に対して、真琴はいくらか余裕があるのか言葉にも気力があった。

「なん、で……はぁ……んっ。平然としてんだよ」

 無理やりに息を飲み込んで、秀樹は真琴に問いかける。

 確かに。いま、この場に立つ真琴は傷だらけだ。にもかかわらず、彼は疲労も痛みも見せていない。

 傷は、秀樹の知りえないことだが、真琴の再生能力のおかげですでに治癒している。だが、疲労は単に、運動量の差が出ているだけだ。

 刀。日本刀は重い。また、振るうにも技術が必要だ。ただ叩きつけるだけでは、斬ることは出来ない。慣れていればどうということはないが、未だに使いこなせない秀樹はどうしても力任せになってしまう。まず、そのことが第一。

 第二に、これは彼自身も気づいていないことだが予測による神経の鋭敏化と脳の情報処理。これらが、体力を必要以上に奪っている。

 本来、未来を予測するという行為は起こりえない現象だ。経験や知識から割り出すのとはわけが違う。彼のこの眼は、それらを全てすっ飛ばしてただ結果だけを情報として向かいいれる。その間、脳内では視力から得られた二つの異なる時間の情報を並列処理をする。

 片方は、起こりえること。もう一方は、起こっていること。

 この情報の処理というのは、秀樹が思っている以上に負担を強いる。加えて、予測の範囲にある真琴の攻撃に対する対処。ここまでが、二つ目の理由。

 そして最後の三つ目。それは単純に、焦りだ。

 二人よりも離れたところ。そこでは、二柱の神が死闘を演じている。

 散弾――いな、文字通り雨のように降り注ぐ水群を紙一重で避けて、カナミは僅かずつ距離をつめていく。傍目にそれは、遅々として進んでいるようには見えなかった。

 カナミを助けたい。その一心が、秀樹を焦らせ、少しでも急ごうと無茶な攻撃に映させる。

 だから、疲労は溜まっていく一方だ。


「………さて、いい加減に呼吸も整ったかな?」


「ちっ! 嫌味な奴だな」


 舌打ちをして、秀樹は刀を正眼に構えなおす。

 疲労はある。だが、戦意は高い。

 場合によれば、疲れを無視できるほどに。

 秀樹は真琴を見る。予測のためでなく、攻め込むために。

 真琴の戦い方は、相手に飛び込ませてカウンターでダメージを蓄積させていく方法だ。急ぎたい秀樹にとっては、嫌な相手である。

 吐息を一つ。秀樹が動く。

 踏み込みは三度。右足を前に、刀を突き出す。

 刺突。狙いは心臓。

 裂帛の気合が大気を揺らし、一直線に真琴の心の臓物をねらう。

 その一撃は、隙さえつければ必殺にもなりえるほどに速い。

 しかし、真琴は動いていた。まず、後ろに引いていた左足をさらに引く。すると、半身になっていた身体は流されて、秀樹に背中を一瞬だけ向ける形になる。

 真琴の動きはこの後、右足を振り子に秀樹への裏拳。狙いは後頭部だ。

 けれど、そうはならない。予定を変えて、右手を背中に回しす。一瞬送れて、握った手に痛みが走った。


「二段構えッ…!」


 秀樹がやったことは単純だ。真琴の言うとおり、刺突から、袈裟切りにつなげた。ただそれだけ。

 それだけだが、これは意外と難しい。

 まず、真琴は二段構えを秀樹が狙っていると読んでいた場合は二手を避けられるように動く。具体的には、後ろに下がるはずだ。

 今回の秀樹の動きは、完全に一撃のみを狙っていると真琴は踏んだ。だから、カウンターを動きに入れた。

 それは、秀樹の攻撃が一撃だけを狙っているように思えるほどに力が篭っていたからだ。


「へっ。意外と、何とかなるもんだ、なっ!」


「つっ!」


 力任せに、秀樹は真琴が掴む刀を引き抜く。そのまま、止まらない。二度目の刺突。狙いは背中位置的には、真ん中から左肩に抜けるようにだ。

 避けるのも受けるのも難しい。一瞬で判断を下した真琴は、足に力を込めて無理やりに前へと倒れこむ。

 そのまま転がり、少しだけ距離を取った。秀樹は追わず、刀を正眼に構えなおした。

 真琴も無言で構えなおす。


「へへん。お前の焦った顔、今日始めてみたぜ」


「まぁ、今のはやばかったからね」


 ニヤリと笑う秀樹に、真琴は曖昧に微笑む。


「でもまぁ、これで決まりじゃないだな。お前の攻撃はほとんど俺に届かない。対して、今みたいに攻め続ければお前も対処しきれない時が出てくるだろ?」


「否定はしないよ。正直、あれは未来を予知できないと避けられる気がしない」


 必殺。一撃に重さを乗せた攻撃の軌道を変える。それは、相当の負担を身体に強いる。だが、今の秀樹はその痛みを忘れていた。

 一般に、脳内麻薬と呼ばれるそれは興奮状態の今だからこそ発揮されている。

 明日には筋肉痛だろうなと、真琴は胸中で思う。教えてはやらないが。


「でもまぁ――」


 不意に、真琴は構えを解いた。そして、


「今回は俺の勝ちだけどね」


 そう言ったのと、それが現れたのは全くの同時だった。

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