三話 ちょっとした事件の始まり
柊お勧めの蕎麦屋、天の庵は本格的な手打ち蕎麦の店だった。
特に味にこだわりがあるわけではないが、間違いなく美味しかったと言える味だ。
特に、麺つゆと天ぷらとの相性は最高だったと思う。柊はこうやってちょくちょく、高校生向きではない食べ物屋を紹介してくれる。
以前、理由を聞いてみたところ――
『うん。どうやら、僕の舌は肥えすぎているようでね、
化学調味料を使っていると化学調味料の味しかしなくなるんだよ』
と言う、とても高校生らしからぬ返答をもらった。それでも、付き合いでファーストフードに入ってきたりしてくれるのだから良いやつだと思うけど。
「食べた気がぜんぜんしないわ」
「君は、普段から脂っこい物を取りすぎなんだよ。
だから、薄味の料理を食べると味を感じないんだろうね」
やれやれと、柊が頭を振るう。
「あんただって、『ファーストフードが辛くて食べられないーっ』て泣いてたじゃない」
「泣いてはいないさ。むしろ、あんな不健康極まりないジャンクフードを好む君の味覚がどうかしているんじゃないかい」
うっ、ちょっと耳が痛い。どっちかと言えば、俺もジャンクとは言わないでも脂っこいものは好きだからな。
「ふん。あんたに私の好みをとやかく言われる筋合いはないわね」
ツーんと、口で言いながら沙耶はまたそっぽを向いてしまった。まぁ、食事中に口論にならなかったのだからよしとしよう。
「それよりも柊、これからどうするんだ?」
何時ものパターンならこの後、ゲーセンか柊の家あるいは俺の家と言った所だ。
「ん、そうだね」
言いながら柊は、簡素な銀の懐中時計を懐から取り出し、少しだけ眉根をひそめる。
「できることならこのまま遊びに行きたいところだけど、残念ながら今日は予定があってね」
少しだけ苛立たしげな空気をまとって、済まなそうにそう告げる柊。おそらく、伊吹の家に関する予定なのだろうと思った。
柊の家、伊吹は古くは平安京にその起源を持つ名家の分家筋だ。伊吹の家の初代となったのが伊吹童子――後世では酒呑童子と呼ばれる最高位の鬼が柊の祖先に当たる。祖先といっても、まだ生きてるらしいけど。
妖怪が権力の中枢に位置するこの国においては、
柊は間違いなくエリート中のエリートな訳だ。
そして、伊吹の分家――柊の生家はこの町では顔役として名を売っているため、いくつかの責務のようなものが柊にも課せられている。おそらく、今日もそれ関連の予定だろう。
「よ〜しっ、帰れ、帰れ〜っ! お前なんかお呼びじゃないんだ〜!」
柊の事情を知っているくせに、沙耶はここぞとばかりに帰れコールを発し始めた。柊にはやけに突っかかるよな、沙耶は。
「君に言われなくとも、僕は責務を放棄する気はないよ」
苛立たしげに、柊は駅とは逆方向、柊の生家がある方へと踵を返す。
「それでは、真琴君。申し訳ないが僕はここで失礼するよ。また明日、学園で」
「ああ、また明日な」
そう告げると同時に、柊の姿が見えなくなる。人ごみに紛れた、というわけでは無く、柊の得意な術である穏行の術の一種だそうだ。たぶん、教室に来たときも同じ術を使っていたから沙耶の後ろに突然、現れたように見えたのだろう。
「ふ〜ん」
「ん? どうかしたの」
なぜか沙耶が、ニヤニヤと笑いながら頷いていたのでそうたずねる。大体、沙耶がそうやって笑っているときは、ろくなことを考えていないからだ。
「いやいや、強がっててもしょせんは子供だなと思ってね」
それはまぁ、沙耶からしたらほとんどが子供だと思うけど。……言わないでおこう。
「さてと。邪魔者はいなくなったわけだけれど、これからどうしようか?」
柊が邪魔者、と言うのには同意しかねるがこれからの予定に関しては俺も決めかねていた。
「母さんのお見舞い……は良いよな。来週には退院だし」
俺の母親である雪村真美は、先月の頭くらいに階段から足を滑らせて骨折して入院している。現在はリハビリの真っ最中、と言ったところか。
「んっと、とりあえず東口まで戻らない? この辺はほんっとうに何も無いからさ」
ざっと、周囲を見回すように沙耶は視線をめぐらせる。
直ぐに視界に入るのは、二車線の車道と落ち着いた色合いをしたレンガの歩道。それと、歩道と車道を区切るように等間隔でなればられた木々くらいだ。
店も、あることにはあるがほとんどが飲食店か、
用途の分からない調度品を扱った店だけと高級住宅街。
逆に、東口方面はゲーセンや百貨店、ファーストフードやファミレスなどなど、多種多様な店舗とごく普通の集合団地やマンションが立ち並んでいる。
何時のころからか分からないが、広江駅を中心に西口と東口でこのような差が出来上がっていた。そのせいか、西口方面を富豪街、東口方面を庶民街――一部では貧民街、とも呼ぶ人がいるほどだ。
東口に来ては見たものの、特にすることが無かった俺たちはぶらぶらといろいろな雑貨屋を冷やかして回ることになった。
ふらふらすること三十分。少しだけ、めんどくさいことになりそうだ。
「……どうしよう」
こっそりと、沙耶の耳に聞こえる程度の声でつぶやく。
「そうね、このまま無視する……と、家までついてくるでしょうね」
「だよな」
俺と沙耶が頭を悩ませているのは、思い出したようなタイミングで俺たちの視界に入ってくる白くて丸い浮遊物体、霊魂だ。
霊魂と言うのは、いまだに謎だらけの存在だ。一般的には、何らかの器の中に込められた意思が魂。肉体を持たず、周囲を漂う意思が霊魂と呼ばれている。
「長いこと生きてるけど、あんな形の霊魂は始めて見たわ」
普通の霊魂は、何らかの特徴が出てくるものだが、電柱の影からこちらを伺っている霊魂にはその痕跡が見受けられない。
「とりあえず、話を聞いてみるか……あの、俺たちに何か用ですか」
「……うらめしや〜。あいたっ! いきなり叩くなんてひどいじゃないですか!」
いちおう言っておくと、叩いたのは俺ではなくて沙耶だ。
「ああ、ごめん。なんかむかつく声だったから」
確かに、男か女かは分かりづらいがかなりの美声だった。
「それで、そんなことを言うためにずっと俺たちについてきてたんですか?」
「なに言ってるんですか。私もそこまで暇じゃないですよ」
あっ、ちょっとムカッと来た。
「……っ」
沙耶は、俺以上に頭に来ているのかプルプルと拳を震わせている。
「実はですねぇ、私の体が迷子になってるんですよ」
「いや、お前が迷子なんだろ」
霊魂は、肉体を持たない意思だ。
それは、見方を変えれば肉体から離れた意思とも呼べる、と思う。
だとすると、この霊魂は肉体を見失った、と言うことだろう。
「それで、私の体を見ませんでした? 私に似て、かなりかっこいいのですが」
「確かに、見たことはあるけど……結構数があるわよ?」
「えっ? 沙耶は見たことあるの?」
少なくとも、俺も沙耶もまだ霊視はしていない。それなのに体が分かったと言うことは、この姿から何か連想したと言うことか。
「ええ、体育館の天井にたくさん挟まってるじゃない」
「ああ、バレーボールか」
確かに、大きさも色もそっくりだ。
「いや、あの…バレーボールってかっこよくないですよね」
「問題は数ね、あれだけ挟まっているのだからどれがあたりなのか分からないわ」
「その辺は、俺が霊視してみるよ」
少なくとも、このあたりの学校はそんなに無いはずだし、いざとなったら柊に協力してもらえばいいか。
「よしっ、それじゃあ早速霊視を……」
「人の話を聞けやこらーーっ!」
突然の絶叫。その音は振動となって、周囲の建物や木々を振るわせる。
「〜〜っ。まだ耳がキンキン言ってる」
「俺もだ」
それに対して、音を発した本人は白い体を真っ赤に発行させている。多分、怒りを表現しているんだろう。
「あんたらなぁ、人が下手に出てたら調子に乗り腐りやがってっ! 誰がバレーボールやねん! こんなに美しいフォルムを持ったバーレーボールがあるかっ? あるわけ無いだろうが!」
そんな、反語を使ってまで否定しなくてもいいと思う。まぁ、これを言うとまた怒らせそうだから黙っておこう。
「はいはい。冗談が過ぎたわよ。ごめんなさいね」
「分かればいいねん」
沙耶のおざなりな謝罪でも、霊魂は機嫌を直したのか元の白色に戻っていく。そういえば、激昂しているときは変な言葉遣いだったな……あっちが素か?
「とりあえず、見覚えが無いなら霊視をしてもらいたいんですけど」
「ああ、そうだね――じゃあ、ちょっと失礼」
俺は、目線を白い霊魂に合わせる。
透視にしろ、千里眼にしろ目線を対象に合わせるのは同じだ。
「えっ? こちらの妖怪のお姉さんのほうが、霊視能力は高いんじゃないですか?」
霊魂の疑問はもっともだ。普通は、人間よりもその生物としての質が上位に位置する妖怪のほうが、全ての能力――霊視も含めて勝っている。けれど、こと霊視にかけては俺は並みの妖怪に負ける気はしない。
「大丈夫よ。真琴の霊視能力は私よりも、もしかしたら世界でも有数なくらいの技量だから」
「はぁ、それならお任せしますが」
まだ納得いかないのか、霊魂はしぶしぶと言った形でうなずいた。
今回見るべきなのは、この霊魂の過去。体の中にあった時期かあるいは体から離れた時期だ。そういうときに使うのは、千里眼系の霊視である。
通常、離れた物を見るために用いられる千里眼だが、これは過去を見通すためにも使用することができる。
といっても、万物全ての過去を見ることなどできはしない。俺が見るのは、霊魂が辿ってきた道筋、あるいは積み重ねた歴史だ。
どのような生命であれ、生まれた瞬間を起点として今までの道は必ず、一本になる。不可視な未来と違い、過去はすでに決定付けられている記録。千里眼系の霊視は、その記録を一本の道に見立てて、辿っていく。だからこそ、千里の道を見通す眼と言う意味を持つ千里眼。
霊魂の背後に、糸が伸びていく。これが、この霊魂が辿ってきた道筋だ。霊魂に近ければ近いほど、最近の記録で遠ければ遠いほど古い記録になる。当然、古い記憶ほど遠くにあるので霊視もしづらくなる。
少しずつ、ビデオを逆再生するように記録を辿っていく。
一時間前。一日前。一週間前。一ヶ月前。一年前。
とりあえず、二年間はこの姿だということが分かった。それと、一年前からこのあたりに来たようで、元は西口の高級住宅街にいたようだ。それにしても、どこかで見たことのある風景だ。
そして、記録を辿るのが二年目に差しかかると、霊魂が大きな蔵から飛び出してくるのが見えた。そこから先は、よく見えない。つまり、霊魂の記録では無くなったと言う事だ。
「分かった。西口の高級住宅街の皐月って家の蔵の中に、体はあったみたいだ」
それが何かまでは分からなかったけど。
「ほんとですかっ! ありがとうございます! 早速、連れて行ってください」
「ずいぶんと図々しいわね」
「まぁまぁ。時間はあるんだし、暇つぶしがてら行って見ようよ」
渋る沙耶の背中を押して、やたらとうれしそうな霊魂とともに、俺たちは来た道を引き返すように高級住宅街へと向かった。