三十六話 学校風景
真琴と沙耶が学園の昇降口をくぐると、待ち構えるように立っていた矢口秀樹と相対した。
「悪いね、いきなり休んだりして」
「無事なら良いけどさ…ところで、その腕はどうしたんだ?」
秀樹が指差したのは、真琴の両腕の甲にまで及ぶ真白い包帯。冬服の袖に隠れて見えないが、それは真琴の両肩にまで及んでいた。
「ああ、ちょっと刺青をね」
「はぁ? 刺青?」
苦笑する真琴に、秀樹はわけが分からないと問い返す。
「まぁ、気にするな。ちょっとした神様対策だから」
「ってことは、協力してくれるのか?」
「うん。こっちにも事情が出来てな」
意味ありげに沙耶へと目線を向けて、真琴は一度だけうなずく。実際のところはマガミの知謀なのだが、彼女の名前を出す気がないので沙耶に関係があるように思わせただけだ。
あながち間違いでもないのだが。
「さて、そろそろ予鈴も鳴りそうだから教室に行かない?」
「だな。詳しくは、放課後でいいか?」
「いいけど…俺、今月の小遣いはもうないんだよな」
がっくしと秀樹は肩を落として、上履きを履きかえる。
「それは俺もだけどね。と言うわけで、放課後に教室でいいよな?」
確認は秀樹にと言うよりも、沙耶にだ。
「私は別に何処でもいいけどね」
「なら、放課後に教室で。カナミちゃんだっけ? にも伝えておいてよ」
「分かった。てか、あいつの見た目はあんなんだけど俺たちより年上だぜ?」
「俺は見た目を重視するんだよ」
「ほほう。だとすると、沙耶さんも見た目で?」
「――取っ掛かりは、な」
「おおっ!」
臆面もなく言い放ち、沙耶が喜色をはらんだ声を上げる。あいも変わらず、二人はバカップルであった。
「ああ、雪村君」
「ん?」
最初の休み時間。臼井恵子は真琴へと声をかけてきた。
「これは、昨日あった委員会の資料。特に決まったことはないけど、一応は眼を通しておいて」
「あっ、そうか。昨日は委員会だったね――うん、ありがとう」
手元に渡されたA4サイズの紙は二枚。書かれているのは、普通に部活に対する注意事項と一昨日に起きた校舎破壊事件の情報提供と注意を呼びかける内容だ。
「また壊れたんだ」
知っていながらも、真琴は校舎の一部が壊れたことをさも今知ったという風を装ってつぶやく。
「そうみたい。前回は押しつぶされてたらしいけど、今回は切られてたんだって」
「切られてた?」
沙耶が問い返す。そういえば、ちゃんと瓦礫を見てなかったなと、真琴も今更ながらに思い返した。
「そうなの。壁の切断面とかすごい綺麗だったらしいよ」
「切断って、そんなことできる?」
「……無理ね。少なくとも、そうとう切れ味の良い刃物と腕がないと」
「そう言うこと。当面は、夜間の外出を控えるのと部活動の自粛だってさ」
「わかった。気をつけておくよ」
話は終わりだと、恵子は自分の席へと戻っていく。授業が始まるまで二分もないのだから当たり前かもしれない。
「さて、これで水神が犯人の可能性はなくなったかな?」
「そうね。にしても、コンクリートの壁を切れるような刃物と技量――間違いなく、私よりも近接能力は高いわね」
少しだけ悔しそうに沙耶はつぶやいて、席を立ち上がった。
「とりあえず、下準備だけしてくるわ。また学園が壊れるかもしれないけどね」
「分かった。頼むよ」
ひらひらと手を振る沙耶に、真琴は同じように手を振って彼女の背中を見送った。
昼休み。沙耶は未だに戻っていないので、真琴は秀樹と恵子の三人で学食の机を占領していた。
「にしても、雪村君が沙耶さんと離れてるのってかなり珍しくない?」
「そうかな……いや、確かに珍しいね」
月見うどんをすすり、少しだけ今までの生活を振り返ってから真琴は答える。その顔には苦笑が浮かんでいた。
「確かにね。とはいえ、僕としてはそのほうがやりやすいのだけど」
「んあ? 柊か。どうしたの?」
「ちょっ! まっ、何で伊吹先輩がここに?」
「久しぶりに学食に来たら友人の側に、不躾なカラスがいなかったからね。声をかけたしだいさ。隣、いいかな?」
真琴の許可を得てから隣に座り、柊は割り箸を半分に割る。
「構わないよ。初対面だよな? こっちが矢口秀樹で隣に座ってるのが臼井恵子。クラスの友人だよ」
「よろしく。知っていると思うが、伊吹柊だ」
「よっ、よろしくお願いします」
「どもっ」
緊張でガチガチに固まった恵子と秀樹は、軽く頭を下げるのですら気を使っているのが見て取れた。
柊もそういった反応になれているのか、特に思うところはないのか普通に食事を開始する。
「ねっ、ねぇ雪村君。伊吹先輩とは知り合いなの?」
「そうだよ」
大したことではないという風に、真琴はあっさりと恵子の問いに返して視線を一度だけ柊に向ける。
「雪村の周りって、とんでもない人ばかりだな」
「うん。沙耶さんとか、伊吹先輩とか」
呆れているのかそれとも楽観しているのか、二人は食べる手を休めて淡々と言葉を漏らした。
「あれ、柊ってそんなにすごいのか?」
「さぁ――自己評価は苦手だからね。でもまぁ、この学園内では五指に入るんじゃないかな」
「ふ〜ん」
と、あまり興味のなさそうな真琴。柊の言っていることは決して誇張ではないのだが、彼以上の実力者を見てきたので実感がわかないのだ。
「伊吹先輩とも沙耶さん繋がりで知り合ったのか?」
「いや、彼女とは別口さ」
海老天を口に運ぶ前に答え、その時のことを思い出しているのか柊は口元に微笑を作る。
「僕の命を、真琴君が救ってくれた。ただそれだけだよ」
懐かしむ声。そこに込められた思いは、真琴への感謝の気持ちにあふれていた。
何があったのか。それを知るのは当人と、関わったものだけだ。ただ、柊の実力を噂程度にでも知っている二人は、たやすく聴くことが出来ない内容だと瞬時に理解する。
「おっと、すまないね。少しばかり空気を重くしてしまったかな」
「いっ、いえ! そんなことないです」
朗らかに笑う柊に、相変わらず緊張したままの恵子が答えた。
結局、二人は柊が席を立つまで緊張しっぱなしだったとさ。
「あー、緊張した」
教室に戻り、自分の席に着いた秀樹は座った勢いのままに身体を机に預けた。
「ほんとよねー」
沙耶の席に座った恵子も同じようにぐったりとしている。
「そんなに?」
「当たり前でしょ! だって伊吹先輩よ、伊吹先輩! 二年の主席にして鬼の一族、さらに生徒会の副会長で学校外での活躍も目覚しいこの学園のスターじゃない! 今年の一年の中にはあの人が目当てで入学したって人もいるぐらいなんだから!」
いきり立ち、両手を机の上について恵子は声高らかにまくし立てる。
「随分詳しいな、おい」
「同じ部活の子がそうなのよ。伊吹先輩は、顔もいいし性格もいいから目立つしね」
「臼井さん部活に入ってるんだ」
「あっ、うん。演劇部なんだ」
真琴の問いかけに答えるも、勢いをそがれる形となった恵子は少しだけ羞恥に顔を染めて席へと座りなおした。
「へぇ、何でまた。臼井はどっちかって言うと身体を動かしてるほうが好きだろ?」
「それは偏見だぁー! うぅ、秀樹が虐めるよぅ」
弱弱しい雰囲気を身にまとい、恵子は隣に座る真琴へとしなだれかかる。
「ごめん。俺もちょっとそう思った」
「うわっ、裏切ったな! ふんだ。どうせ私はがさつですよーだ」
恵子はぷっくりと頬を膨らませてそっぽをむく。苦笑する秀樹に、困ったように顔を歪める真琴。
平和な日常がそこにあった。真琴も、秀樹も、恵子も――三人に関わっていない学生たちの誰もが笑っている。
だから、真琴は予想すらしていなかった。いや、考えが及びすらしなかった。
学園に近づく、二柱の神に。
「間に合えば良いけど…」
沙耶のつぶやきは、脇に置かれた妖剣だけが聞いていた。