三十四話 水の上
更新が遅くなった上に、今回は短いです。
楽しみにしていた方には、大変申し訳ありません。
彼女――水神にとって行けない場所、あるいは知りえない情報があると言うのは実はほとんど存在しない。
日が傾きかけた山間のダム。それこそ、天然の湖に匹敵する量の水を蓄えた施設に、一人の女性がいた。
水神あるいは、瀧野静香の名で呼ばれている人だ。
彼女は、両手を水平に広げ両足で爪先立ち、瞑想するように瞳を閉じている。
空色をした光の粒が舞い上がり、夜空と薄暗いダムを照らし出す。
不可思議な光景。奇怪な風景。
けれど、幻想的な印象のその姿。
それは正しい神のあり方。
人に近しい姿でありながら、超越する力と幻想の集大成。
見るものに畏怖と、畏敬と、信仰を抱かせる偶像。
ただそこにあるだけで、神は法則を作り出す。
「――接続」
水が舞う。足先からゆっくりと、彼女の身体をダムの水が包んでいく。
瞬く間に彼女の身体を覆った水は、ゆっくりと流動する。
彼女は、水から情報を得ているのだ。
水神ゆえの特性か、彼女――瀧野静香が神の力を扱えるゆえに出来ることなのかは定かではないが。
そう。彼女、瀧野静香は水神の力を使いこなしている。正確には、水神と完全に同調していると言うのが正しい。
本来、神の神子はその力と意識を身体に入れるが、その間に神子の意識や記憶、自我と言ったものは介在しない。
それゆえに、神々が地上で神子の身体に入り込む場合はある程度の制限がかかってしまうのだ。
多くの場合の制限は、神力の使用量であったり物理法則を捻じ曲げる限界で合ったりする。
だがまれに、自我と言うものが希薄だったり、精神のあり方が近しい場合にのみ発生する現象がある。
それが、完全な同調。
人の意識と、神の意識が混ざり合って生まれてくる完成された神子。
ゆえに、彼女は瀧野静香であり――水神であった。
「そう、やはり夜刀神は討伐されたの」
静かな声で、かの蛇神の最後を労わるような音色で彼女はつぶやく。
矢継ぎ早に、水が見ていた情報を解析して彼女は現状の確認と理解を早めていく。
繰り返すが、彼女にとって水のある場所であれば知りえない情報はないのだ。
それゆえに、街中に限定してしまえばその全てを把握しえる。
「………ふぅ」
一息を突くと、彼女の身体を覆っていた水が瞬く間にダムの水面へと戻っていく。
残されたのは平穏。何もかもが収まり、ただただ静香が水面へと立つ姿だけが残された。
「真琴と沙耶、ね」
わずかに残っていた情報から引き出された、夜刀神を退治た二人の名前。互いに呼び合っていたそれだけを得て、彼女は今日の収穫とした。
「悪い人達ではないと思うけど………協力、してくれるかしら」
彼女は、自身の力が強大だと言う自覚はある。それこそ、数千万単位での人を危機に陥らせることはたやすいのだ。
彼女が立つこの場所――ダムの水の性質を、人体に有害なものに変える。それだけで、この水を生活水として使う人々を死に至らせる事が出来てしまうのだ。
だからこそ、彼女は力を使うことに躊躇する。
彼女にとっては最後の一線。そこを超えてしまえば、人である理由をなくしてしまいそうだから。
しばらくその場に留まっていた静香は、やがて考えがまとまったのか水の中に溶けるようにして姿を消す。
後に残ったのは、緩やかに波紋を揺らす水面だけだった。