三十二話 封印術を刻む
深夜三時過ぎ。一姫の治癒を専門の者に任せて、真琴はマガミの元に沙耶と一緒に来ていた。
三人がいるのは、十畳ほどの和室だ。中央には庵があるが、さほど寒くもない今の時期は火は灯っていない。
「一姫の件は、ご苦労だったの」
まず最初にマガミが言ったのは、労いの言葉だった。容態はすでに確認済みなのか、そこに気負った様子はない。
「それは別に、というか一番きつかったのは沙耶だしね」
実際、沙耶がいなければここまで来ることは出来なかったと真琴は付け足した。
「ふふん」
勝ち誇ったように沙耶は笑う。先の様子を覚えているマガミとしては、真琴へのポーズだと言うのが理解できる分やや滑稽に見えた。
「くくくっ、なかなかにその立ち位置は大変なようだの」
「うっ、うるさいわね」
頬を染めて、沙耶はそっぽを向く。その行為がますますマガミのつぼに入ったのか、ニマニマと笑みを崩さない。
状況のわからない真琴は、ただただ首を傾げるばかりだ。
「――おっと、今はこやつをからかっている場合ではなかったの」
わざとらしく言って、マガミは真琴へと向き直る。沙耶はその仕草が気に入らなかったが、わざわざ蛇を出すこともないと静観を決め込む。
「そうだの――真琴、お主は力が欲しいかの? それがどんな類のものであっても」
「当たり前だ。沙耶を守るためなら、悪魔とだって契約するさ」
間髪いれずに真琴は答えた。そこに迷いはなく、真っ直ぐにマガミを見据えている。
「愚問だったようだの」
マガミはおもわず苦笑をもらす。あまりに予想通りだったからか、それとも真横で真っ赤になる沙耶が面白かったからかの判断はつかないが。
「ならば、お主に一つの術を教える。これは我も研究中での、何処まで効果があるのかは未知数だの」
「どんな術だ?」
平静を装いながらも、興味津々なのか真琴は目を輝かせながら問いかける。
「端的に言えば封印術だの。太古の妖怪連中を封じたのとは違い、霊的存在に特化したものだがの」
「封印術? それの禁呪なんてあるのか?」
真琴が持つ禁呪のイメージというのは、昨日に沙耶が使ったような大規模な破壊力を持ったものというのが主だ。
だから、補助要素の強い封印術の禁術といわれてもいまいちピンと来ていないようだった。
「無論だの。それも、我が知る限りの禁術の中でもっとも凶悪な代物だの」
誇らしげに語るマガミ。
「この術はの、自身の体内に封じた霊的存在の力を自分のものに出来るの術なのだの」
その意味を理解できた沙耶は、思わず噴き出した。
「ちょっ、そんな術があるわけないでしょうが!」
激昂する沙耶。だが、マガミは意にも介さずに涼しげな顔をして未だに理解していない真琴へと言葉を続ける。
「つまりだの――封印対象は理力で構成されたもの、それが術であれ神の本体であれなんでも封じることができる。加えて、その力を自身の理力にすることが出来る………こう言えば、わかりやすいかの?」
「ああ、なんとなく………なんだ、その反則」
率直な真琴の感想だった。
真琴の感想ももっともなものだ。何せ、際限なく術や神などの霊的存在を封じていけば自身は無制限に強くなれると言っているようなものなのだから。
「未だ研究段階で、色々と問題があるがの。一先ずは件の水神を封じるくらいは出来るかもしれんの」
「ん――封印しちゃって良いのか? 仲間に引き込んだほうが確実だと思うけど」
先の会話の流れでは、水神の弱みを握ってこちら側に協力させようとしていたはず。真琴も、そのつもりで動く気でいた。
「それは状況しだいだの。封印術は、あくまで保険だの」
「なら、何で今になって教えるんだ?」
真琴の疑問。保険というのであれば、もっと早くに教えておけば良いのではないかと問うようにマガミを見つめる。
「――先も言ったように、この術は神である我にも効果があるのでの。お主が我に反旗を翻さないという確証が欲しかったのでの」
一瞬だけ、マガミは沙耶に視線を向けてから答える。
沙耶も、その視線の意味を理解して内心で歯がゆい思いをしながらうなずいた。
――だからあっさりと引いたのね。私を、真琴に対する抑止力にするために。
「じゃあ、確証は得られたわけだ」
沙耶の内心を知らぬ真琴は、マガミと会話を続ける。
「ああ、問題ないの」
沙耶が自分を見返す目に問題はないと判断したマガミは、短くそう答えた。
「では、術式をお主の身体に刻み込のでの――ああ、かなりの苦痛を伴うと思うのでの、痛かったら手を上げるといい。別に止めぬがの」
マガミの言葉に不安そうな顔を作る真琴。だが、一度だけ沙耶のほうを見てから覚悟を決めて、赤く染まったパジャマを脱ぎ捨てた。
「お主は、見ておくかの?」
「当たり前ね」
服を脱ぎ、うつ伏せに寝ている真琴の手を取って沙耶は答えた。
「では、歯を食いしばっておけよ」
マガミの周囲に、いくつもの光球が生まれる。
それは、マガミが封印術を記した呪術。じかに真琴の身体へと刻み込むべく多様に形態を変化させたもの。
二十を超えるそれは、いっせいに真琴の背中へと降り注いだ。
「――っ!」
真琴が始めに感じたのは、焼け付くような痛み。そして、自分が中から書き換えられる不快感。
歯を食いしばって、脂汗をいくつも浮かべる真琴。
いっそ、意識を手放すことが出来ればどれほど楽か。それほどの苦痛だ。それでも、強く握られた手に感じる温もりがあるかぎり、真琴は意識を失わない。
強く握られる真琴の手を、それ以上の力で持って握り返す沙耶。
術式を刻み込むのは、明け方近くまで行われた。