三十一話 夜の会合
今回は、やたら説明文が多い気がします。
一応、本作におけるラスボスの名前が明らかになる回なのですが…とうとつすぎましたかね?
「――やっぱり、誰もいないんだ」
廃墟。使うものがいなくなり、朽ちるに任せていた家屋から出てきた沙耶は寂しそうにつぶやいた。
「当たり前であろう。我が人の出入りを制限しておるからの」
そんな沙耶に声をかけたのは、マガミだ。数刻前までの忙しさが嘘のように余裕に満ち溢れている。
「もう治ったの?」
「うむ。治癒術に長けた者が到着したのでの、そやつに任せてきた」
「むっ、女じゃないでしょうね」
「くっくっくっ――安心せい、男じゃよ」
忍び笑いをもらして、マガミは沙耶に答える。
しばしの静寂。
春の夜風が、二人を撫で付ける。
「――まだ、後悔しておるのかの?」
不意に、マガミが口を開いた。主語のない問いかけ。けれど、沙耶にはそれの意味することが理解できた。
「当たり前ね………数少ない、友達だったから」
空を、あるいは遠くを見て沙耶は答える。 昔…三年ほど前の話だ。
この地で真琴と沙耶と、マガミはある神と戦った。新しく生まれた、人間を、人間だけを憎む悪神。
その名を、過神と言った。
過神が生まれたきっかけ――全ての始まりはこの村に、温泉が見つかったことだった。
温泉が見つかることは、この国では珍しいことではない。それこそ地面を掘り続ければ、掘り当てることが出来るほどだ。
それゆえに、井戸を掘ろうとして温泉がでたこと自体はそれほど騒がれることはなかった。
問題は、その温泉の泉質が誇れるほどには優れていたこと。そして、この村の財政が破綻寸前だったこと。
二つの偶然が重なって、村の役員たちは一つの決断を下した。
それが、リゾート計画。
温泉旅館をヒットに、娯楽施設を増やしてこの村の再生事業にしようという案だ。
村の今後に不安を抱いていた大人たちはこぞって賛同し、逆に長くこの村に住んできた老人たちは反対の声を上げる。
それだけならば、何処にでもある問題だった。ただ、反対するものの中にとある少女がいて、老人たちにはある手段が残されているのを除いて。
強硬手段にでた村の役員たちに対抗して、老人たちが取った最悪の一手。
神子としての素養が高かった少女に神の断片を埋め込み、新たな村の守り神となす儀式。
儀式の結果、この村には人がいなくなった。
失敗したわけではない。ただ、老人たちが望むものとかけ離れたモノを作り出しただけだ。
愚かしくも、老人たちの望むとおりに動くように少女の心を壊そうとしたせいで。
「もしも、って言うのはあまり好きじゃないけどさ」
八つ当たり気味に、腕が振るわれる。
相応の力を込めて振るわれた腕は、目前に立っていた廃屋をなぎ倒す。
「あの時、儀式を止めていれば――私が儀式の前に行われたことを知っていればあの子は死ななかった!」
沙耶と真琴が、リゾート計画反対のビラを配りに町まで行っている間に行われた儀式。
二人が、過神と化した少女とであった時、沙耶だけが気がつけた。少女に行われた儀式の全貌を。
老人たちが求めた守り神は、自分たちにとって都合よく動いてくれる存在だ。だから、少女の心は邪魔だった。
正義感が強く、少々潔癖症なところがある少女の心が。
だから、壊した。
少女を陵辱し、辱め、犯した。
でも、少女は壊れなかった。ただ一つ、心のうちに人間たちへの憎悪を抱いたままに儀式へと望んだ。
「まぁ、祟り神である我の断片を使うのだ。まともな精神状態でも、成功したかどうかは怪しいがの」
マガミとて、封印されていなければ断片を使わせるようなまねはしなかった。無論、少女の身を気遣ってではない。ただたんに、自分の身体の一部を好き勝手に使われるのが気に入らないだけだ。
兎角。生み出された過神はその怨嗟に身を委ね、手当たり次第に人を殺して回った。
生まれたてとはいえ、神の一部を使って生み出された神。生半可な力では太刀打ちできず、たやすくこの村は終焉を迎えた。
結果だけを語るならば、以上がこの村で起きた惨劇だ。
その後、マガミの力を借りて神の力を使った真琴が過神を倒した。ただそれだけの話。
「それでも、過神にならない可能性が高かった。むしろ、あんたの属性を受け継いで祟り神になったのならどれだけ良かったか」
祟り神は、その名前から悪意を振りまく存在だと思われがちだが、実際は少し違う。
崇め奉り、信仰しているうちは祟り神は様々な利益をもたらす。反面、その信仰を失ってしまえば祟り神はすぐさま敵となる。
わかりやすい例をとれば、商売繁盛だろうか。信仰しているうちは順調な商売も、その心を忘れた途端に廃れてしまう。
それゆえに、少女が祟り神になったのならば対処も可能だったのだ。
信じ続けることが出来れば、少女は間違いなく村の守り神となっていたのだから。
「――はぁ、それで」
沙耶は、大きく深呼吸してからマガミに向き直る。意識を切り替えたのか、そこに先ほどまでの雰囲気はない。
「何のよう? あんたが、私を慰めに来るとは思えないんだけど」
「その認識は、我でも傷つくの」
愉快そうに顔を歪め、嘆息してからマガミは真剣な顔つきになる。
「過神は生きておる」
絶句した。そう表現するのが、もっとも正しいだろう。
沙耶は、何かを言おうと口を開きかけて閉じるという動作を繰り返す。
「それ、本当なの」
何とか搾り出した言葉は、確認を取るための問い返し。沙耶は、嘘であって欲しいと願いながらその言葉を発した。
「残念ながら、事実だの」
「ありえない。だって、あの時真琴が」
真琴が忘れたって、過神との戦いを沙耶は鮮明に思い出せる。
あの時の真琴の覚悟も、自分の思いも、何もかも。
「確かに、あの時坊主は過神を殺した。だがの、元となった嬢ちゃんまでは殺しきれなかったようでの――いや、少し違うかの」
言葉を選ぶように考えて、マガミは続きを話し始める。
「あの嬢ちゃんが、真琴を生かすためにやった結果だの」
「生かすために………まさか」
不意に、沙耶の脳裏によぎったのは先日の肯定での出来事。
完全に破壊された肉体から復活を果たした真琴の姿。
「我も後押しをしたがの、あの異常な再生力。お主にも、心当たりはあろうぞ」
沙耶の心を読んだかのように、マガミが問いかける。いいや、確信を持って告げる。
「真琴の身体の一部――どこかはわからぬが、あの嬢ちゃんの物で間違いないであろうよ」
最悪だ。沙耶は、素直にそう思った。
過神は危険だ。力の強さもあるが、それ以上に厄介なのがあの憎悪。
何もかも憎み、嫉み、恨み続ける心。
強すぎる思いはただそれだけで、周囲に影響を与える。
過神はそれが特に際立っていた。過神がただそこにいるだけで、人間への憎悪が伝染する。
あの時、三人が過神と戦ったときは周辺の動物と妖怪は全て、人間の敵だった。そして、その憎悪は過神が倒れても消えることはない。
憎悪は伝染し、広がっていく。そうなってしまえば、最終的には全ての人間とそれ以外での戦争となっていただろう。
「それがある以上、過神は死なぬ」
「真琴に手は出させないわよ」
毅然と、沙耶は断言する。
予想していたのか、マガミは苦笑して言葉を続けた。
「だがの、お主とてわかっておろう。妖怪であろうと神であろうと、人と事を構えれば敗北は必至だということくらいの」
神も妖怪も、固体としての質の高さは人間よりも上だ。だが、全面戦争となれば意味は違ってくる。
個体数の差――具体的に言えば、数の差から生まれる進化の可能性だ。
何らかの外的要因に対する備えが必要な場合、群れの中から適応した固体が生き残り子孫へとその情報を伝えていく。これが、通常の進化だ。
人間の場合、これを個性あるいは才能と呼ぶ。
そして、個体数が妖怪と神の総量を上回る人間は三種族の間にある質の差をひっくり返してしまう才能を持つものを生み出す可能性がもっとも高い。
だからこそ、妖怪の姫は時間をかけて国の支配権を握った。やけくそになって全面戦争を仕掛けてこないように。
ゆえに、マガミは沙耶へと言外に問いかけたのだ。
一人のために、全てを切り捨てるのかと。
「だから?」
沙耶は失笑をもらす。
「私にとってね――真琴といることが生きている理由なの」
目を閉じて、沙耶はある言葉を胸中で反芻させる。
かつて交わした、一つの約束を。
『沙耶が誰を裏切っても――それがたとえ俺でも、俺は沙耶と一緒に居続けるよ』
記憶を、思いを忘れても真琴はその約束を守ってくれている。
「真琴が私を守り続ける限り――私は真琴と共にある」
真っ直ぐにマガミを見据え、沙耶は静かに断言した。
「――ならば、別の手だの」
「へっ?」
沙耶が拍子抜けするほどにあっさりと、マガミは手を引いた。
「我の野望のためにも、真琴の眼は必要だからの。それに、研究中の禁呪を覚えさせるのに適任なのでの」
「禁呪?」
問い返す沙耶に、マガミは肯定の意味を持ってうなずいた。
「それについては、真琴がおる時に説明してやるだの」
話すことは終わったと、マガミは踵をかえし立ち去る。
残された沙耶は、マガミが立ち去ったのとは逆の方角へと視線を向けた。
かつて、友人であった少女が散った場所――神との戦いの場を睨みつける。
その眼に宿る感情は、哀愁なのか怒りなのか傍目には判別がつかない。
ただ、並々ならぬ決意を感じさせた。
「――ねぇ、天音」
沙耶は、友人だった少女に問いかける。
「あなたは真琴のこと――」
問おうとした言葉を飲み込んで、沙耶は頭を振るう。まるで、今思ったことを追い出すかのように。
沙耶の中途半端な問いに、答える声はなかった。