二十九話 真琴と一姫の夜
「無理だの」
開口一番に、マガミは否定の言葉を口にした。
「ん、でも神を傘下に入れられるなら多少のリスクは仕方がないだろう?」
「確かに、下手な妖怪を数十集めるよりも働きは期待できるがの」
「だろ。だったら、やってみる価値はあるんじゃないか」
何処とも知れぬ暗闇の中、声だけが互いの間に行きかっている。
「そう急くな。なにもリスクのことを考えて反対しておるわけではないのでの」
少しの間が空いて、空間に一人の女が現れる。
白いサマーセーターに、青色のフレアスカート。ふわふわとカールのかかった髪を持つ、おしとやかそうな女性だ。
「この人が、水神?」
「そうだの」
真琴は、内心で抱いていたイメージと違うことに驚いていた。見た目だけで言えば、水神は保母や主婦といった印象が良く似合う。
「我も、生まれたての神には話を持ちかけておる。だがの、連中は目的意識が強すぎ色よい返事は貰えずじまいよ」
その時のことを思い出しているのか、苛立ちを含んだ声が真琴に届いた。
「特に、こやつは面倒な性質での。弱者を救うことに意義を見出しておっての。以前、誘いをかけたときもどこぞかの孤児院で保母だかをやってたの」
「あー、うん。マガミとは相性悪いな」
強いということを好むマガミに対して、弱気を守ろうとする水神の考えは理解できないのだろう。それを理解した真琴は、胸中でため息をこぼした。
「つまり、個人的に誘いたくないって所か?」
「………否定はせぬよ」
ふてくされたような声に、真琴は知らず知らずのうちに苦笑する。もっとも、その姿は誰にも見ることは出来ないが。
「まぁ、個人の問題だろうから俺はどうでもいいけどさ。水神の性質がそれだとすると、夜刀神なんか配下にしようとするのかな?」
真琴は、夜刀神の気性の荒さを思い出しながら疑問を口にした。
マガミもそれは気になるのか「ふむ」と口にしてから考え込むように押し黙った。
「そうだの、何か戦力が必要な状況が出来たのか、あるいはカナミと言ったか? そやつが嘘をついている可能性のどちらかかの」
二つの可能性のうち、真琴はまずは前者に興味を持った。
「なぁ、水神がいたって言う孤児院の位置はわかるか?」
「いや、そこは我が調べさせておく。お主はカナミとやらを探れ」
「わかった。細かい判断は、こっちでやっていいか?」
「構わぬよ」
それっきり、声は聞こえなくなった。
深夜。大守学園の校舎前に人影がふらりと一つ、校門前にたつ。
人影は、無言で校門へと手を伸ばす。
激しい音と共に、電光が人影の手を弾き返した。
結界。それも、かなり強固なものだ。
「………」
人影は、弾かれたときに火傷を負った指先を口に含み――
「っ!」
噛み千切る。
零れ落ちる鮮血。
「――――――」
不可思議な言葉が吐き出されると同時に、滴り落ちていた血が何もない空間に踊る。
人影が手を振るうと同時に、踊っていた血が結界へと突き刺さった。
紫電を撒き散らす結界。人影は、両の手を開いて胸の前でぶつけ合う。
結界へと刺さっていた血の数は十。その全ての点が、線で結ばれていく。
数秒と待たずに全ての点は線で結ばれ、結界に穴――丁度、人影が潜り抜けられる大きさを作り出す。
人影はその穴を潜り抜け、真っ直ぐにある場所に向かう。
真新しい土の上。夜刀神が没した地の上に探るようにしゃがみ込む。
「だめ、か」
つぶやき、頭を振って立ち上がろうとした瞬間――
「っ!」
跳躍。地面へと、矢が刺さる。
人影は、一息で屋上へと飛び上がり、校庭を見回す。
動くものはない。だが、人影は襲撃者の位置を性格に読み取った。
再び跳躍。人影は、真っ直ぐに対面の校舎へと向かった。
「まずいな」
番えていた矢を外し、神谷一姫は無人の廊下を真っ直ぐに駆ける。
廊下の端。数歩でその場にたどり着いた一姫は、矢を番えて敵を待つ。
破砕音。コンクリートの壁と窓ガラスを切り裂いて人影が廊下へと躍り出る。
人影は片手と両脚でブレーキをかけて、真っ直ぐに一姫へと視線を向けた。
一秒にも満たない刹那の時間。一姫と人影の瞳が交差する。
「っ!」
その一瞬で、一姫は自分が人影に敵わないと理解した。だが、それでも一姫は鏃を構える。
風を切る音は一つ。しかし、放たれた矢は三つ。撃ち、番えてまた撃つ。一姫が同時にこなせるのは、三度までだった。
狙いは三点。頭部、心臓、右足。
人影は、迫り来る矢を見据えながら両脚に力を込めて、弾ける。
初動。身体を捻り、矢を避けて廊下の壁へと足を突く。
その勢いのままに天井へと跳ぶ。
一姫は矢を番えて放つ。狙うは人影の動く先――だが、人影はさらに速い。
「おのれっ!」
恨み言を吐いて、一姫は弓を手放して無理やりに体制を崩す。
左斜め下から一姫の身体をかすめる様に、線が走った。
一姫は左手に力を込めて身体を支え、空いた右手で懐に手を突っ込む。
取り出したのは、刃渡り十センチほどの短刀。
鞘を口に咥えて短刀を抜き、一姫は人影の首へと振るう。
一姫は一つ、間違いを犯した。だが、そのことを予め知っておけと言うのも酷な話だ。
一体誰が予想できようか。生身の肌に、刃が通らぬなどという現象を。
「なっ、に」
驚愕に歪む一姫の顔。対して、人影は顔色一つ変えずに手にした得物――一姫の持つ短刀の数十倍は長さがあろうかという刀を構えなおす。
刃は一姫へと振り下ろされた。