二十七話 昼休み・屋上と校舎裏
昼休み。真琴と沙耶は、春真っ盛りと言いたげに、穏やかな日差しが降り注いでいる屋上に来ていた。
出先に真琴の母が用意した弁当の中身はすでに箱から胃へとその居場所を移し終えており、真琴の手には箸の代わりに一冊のノートがあった。
「希少能力、か」
手元で開かれたノート。そのうちの一ページに記された、学園に入ってからの友人のプロフィールを見ながら真琴はつぶやいた。
「へぇ、また珍しい能力ね」
「沙耶でも珍しいのか?」
「それは、言外に私が年を食ってると言いたいのかな?」
にっこりと、とても朗らかに笑って沙耶は問いかける。が、眼は笑っていない。
「経験が豊富、と受け取っておいてくれ」
だからそんな目で見ないでほしい。
沙耶は、しばらくじと眼で真琴を睨んでいたが、無意味と思ったのか軽くため息をついて口を開く。
「先見の能力は、表だって変化の出る能力じゃないからね」
「そうだね……」
沙耶の答えを聞きながら、真琴は友人である矢口秀樹の名前が書かれた部分、そのすぐ下にある能力の名前をなぞる。
先見の眼。名の通り、先を見る眼だ。どうやって調べたのか、効果が及ぶ時間や範囲まで事細かに記されている。
「五秒先の未来を見る、か」
真琴は少しだけ、その能力に嫉妬を覚えた。
――だって、この力は俺が目指していた能力そのもの。
ふっと湧いてきたどす黒い感情に、真琴はあわてて蓋をする。
でも、もしかしたら。
そんな思いに取りつかれた真琴は、隣でパックジュースのストローを加えている沙耶を見て、少しだけ苦笑いする。
――大丈夫。その力がなくったって、俺は沙耶の隣にいられる。
「んに? ……あげないわよ」
その視線を勘違いしたのか、沙耶はジュースを真琴から隠すように遠ざける。
「いらないって」
そもそも、練乳がたっぷり入ったコーヒー牛乳なんて沙耶ぐらいしか飲まない。と、真琴は思う。
「次は、だれだっけ」
ページを勝手にめくった沙耶が言う。
「臼井さんだね。後は、俺のいるクラスから適当に何人か」
パラパラとページが勢いよくめくられて、背表紙が表になる。記されていた名前は、そのすべてが真琴のクラスにいる面々の物だ。
「希少能力者だけ、よくもまぁこれだけ集めたものね」
「確かに」
閉じられた手帳を再度開いてめくる沙耶は、記されている人数に軽くめまいを覚えた。
そもそも、希少能力というのはその名の通り絶対数が少ない。だと言うのに、この学園には真琴が教えられただけでも五十近くも在籍している。
「で、こっちが基礎能力の高いメンバーね。ああ、真琴もこっち側なんだ」
「俺の場合、個人の能力じゃなくて沙耶の評価が高いからなんだけどね」
苦笑いして、真琴は沙耶が開くもう一冊の手帳をのぞき見る。そこには、然りと雪村真琴と記されていた。
「むぅ、ちょっと納得いかないわね」
眉根を寄せる沙耶。それに対して真琴は、曖昧に笑って答えただけだ。
「とにかく、この資料に乗ってない実力者を先生に紹介すればいいわけだけど、沙耶はそんな知り合いいる?」
「ん〜……いないわね」
少し考え込むようにうなってから、沙耶はあっさりと答えた。
「私が脅しをかければそれなりには釣れるだろうけど、その程度のやつらは使えないだろうしね」
「それは、確かに」
恐怖による支配は、絶えず裏切りの危険性をはらんでいる。特に、組織であればなおさらだ。少数であれば、それでいいかもしれない。おとぎ話の狐のように虎の威を借る狐もいるのだから。
けれど、マガミは己の兵力――本人の言い方を借りれば手駒には忠誠を求める。唯一の例外は、気まぐれか別の思想で引き入れた真琴くらいなものだ。
「だとすると、能力の上に性格も考慮しなくちゃダメってことか」
少なくとも、虚栄心の高いやつはだめだな。と、真琴は思っている。
「まっ、今はその辺まで考えなくてもいいんじゃない? とりあえず、実力が高いやつ優先で片っぱしから報告を上げてけばいいよ」
「そうだね。っと、そろそろ昼休みも終わるか。戻ろうか?」
腕時計の針は、あと数分で予鈴が鳴ると示している。
「あいさ〜っと、ちょっと待って」
立ち上がり、先に出入り口へと向かった真琴は沙耶が引き留める。
「どうしたのさ」
「ふふん。ここから下を見てみ?」
言われて、真琴は手すりに近づいて下を覗きこもうとして、それを見つけた。
校舎裏。裏門のあたりに二人、人が立っていた。
一人は真琴もよく知る、矢口秀樹。もう一人は、背格好から同年代だと思われる少女が一人。学園指定の服装でない以上、おそらくは部外者だ。
「放課後の要件はあれかな?」
「だね」
真琴たちが少女を見つける数分前に、少女は校門へとたどり着いていた。
赤いチェックのスカートに黒いカッターシャツ。胸元には、赤い色の細いネクタイ。黒くたなびく頭髪を、やはり赤色のリボンで束ねている。
基本的に、赤と黒の装飾をまとう少女は、何をするでもなく裏門に立ち尽くす。
「わりぃ、遅くなった」
「別にかまわない」
やや息の上がった秀樹に対し、少女は全く感情のこもらない声音で返す。抑揚のないその声音は、聞き様によっては相手を拒絶しているようにも取れるが、秀樹は気にした様子もなく言葉をつづけた。
「でも、どうしたんだ? 突然呼び出すなんて」
「気配がした」
ジッと、秀樹の眼を見つめ――身長差ゆえに多少見上げて、少女は口を開いた。
「気配? 探してる奴のか?」
秀樹の言葉に、少しだけ考えるように小首を傾げてから少女は首を横に振った。
「違う。別の……でも」
少し口ごもって、少女は辺りをぐるりと見回す。
そして、視線をまっすぐに校舎へと向ける。
「たぶん、同族」
つぶやきと同時に、何かに気がついたように目線を上へとやった。
「ん、どうした?」
つられて、秀樹も同じ方向に目線を向ける。だが、そこには何もない。秀樹の視界に移ったのは、屋上の手すりと青空だけだ。
「………だれか見てた」
「まじかっ! あちゃ〜ちょっと迂闊だったか」
大げさに空を仰いで、秀樹は嘆息する。その動作に合わせるように、昼休みの終了を告げるチャイムが鳴り響いた。
「やべっ、もうこんな時間か。悪いけど、俺はいったん戻るわ」
少女は、首を縦に一度振った。
「とっ、それとだ。協力をお願いできそうな奴に話をつけたいから、今日の放課後にもう一度ここに来てくれるか?」
「わかった」
小走りで立ち去る秀樹を視線で見送ってから、少女は再び校舎の方へと眼を向ける。
「………」
穴が開くのではないかと言うほど見つめても、無機物である校舎の壁は変化しない。
少女がしばらくそうしていると、授業開始を告げるチャイムが鳴り響いた。
それを聞いてか、少女は何か考えるように――と言うには無表情すぎるのでおそらく何となく、空を見上げてから踵を返して帰路についた。
少女が見ていた校舎の壁。そこを飛び越えた先には、真新しい土で埋め立てられた校庭がある。
そこは、ほんの一週間前に蛇の神が息絶えた場所だった。