二十四話 事件後の後始末(2)
「えっと……どこだ、ここ?」
「さぁ?」
気がつけば、俺と沙耶は見知らぬ部屋の中にいた。ただ、俺はどことなく見たことがあるような気もするけど。
えっと、昨日……というか今日はあのまま寝たんだよな。けど、今の俺たちは服を着てる。
「小僧だけを呼んだつもりだったがの。よもや、乳繰り合ってる真っ最中だったとはな」
不意に、俺たちの頭上から声が降ってきた。あいつの声だ。
「あんたはっ!」
沙耶の、あせった声。沙耶は、とっさに俺を背後にかばい、声のした方を睨みつける。
「安心せい。今日の我は、お主らと争う気はないからの」
声が、今度は俺たちの背後から聞こえた。
慌てて振り返ると、そこには着物を着た美女がクスクスと可笑しそうに嗤いながらこちらを見下ろしていた。
「マガミ」
沙耶の歯軋り。そうか、こいつはマガミって名前だったっけ。いや、違う。俺が知っているあの人の名前は――
「全く。小僧だけを呼んだつもりだったのだがの……十世紀以上も歳の離れた小僧と乳繰り合うなど――随分と好色だの?」
「うっさい。私と真琴はラブラブだから良いんだよ〜だっ!」
べぇ〜と、沙耶は両頬を引っ張って舌をだす。子供っぽいな。
対して、マガミは呆れたように一笑して俺へと向き直る。どうやら、沙耶がここにいることは偶然みたいだな。
「さて、小僧。正式に契約を結ぼうと思うのだが、お主にその意思はあるかの?」
「契約?」
ちなみに、答えたのは俺じゃなくて沙耶だ。
「ああ、小娘。お前はだまっとれ」
ついっと、マガミが手を動かす。
「んむっ! んんっ〜〜〜っ!」
一瞬だった。沙耶の口に猿轡がかまされたと思ったら、後ろでにロープで縛り上げられてその辺に転がされていく。
「これで静かになったの」
改めてと、咳払いしてから口を開いた。沙耶のことは気になるけど、こいつに背中を見せるのは危険だしな。
「カラスの嬢ちゃんが言うとおり、我が名はマガミ。古に名を連ねる神の一柱ぞ」
マガミ――聞いたことないな。おそらく、自称しているだけで、本来の名前は別にあるんだろ。
「さて、どうだろうの」
しかも考えてることまでわかるとか、チートキャラも良いとこだな。
「それで、具体的にはどんな契約を結ぶんだ」
出来れば会話の主導権をとりたいところだけど、それは難しそうだし。とりあえず、無難に話を進めていこう。
「そうだの……その前に我の現状を説明しておこうかの」
マガミは、再び手を動かす。不意に、俺の頭に軽い痛みが走った。
「我とお主の思考を繋げたのだが、どうかの?」
「っ、ああ……頭が痛い以外は問題ない」
痛む頭を抑えて、無理やり埋め込まれた情報を整理する。
マガミ――本当の名前は情報になかった――は、数百人程度の信者を誇る宗教の祟り神として祭られているそうだ。
「そうだ。そして、今ここで我が使っておるのこの身体も、我が信者のものだの」
「で、神子が不足してるから俺にやらせようってのか?」
キチンと記憶しているわけではないが、俺もマガミの神子に会ったことがあるらしい。ただ、そのことを思い出そうとしても思い出せるのは……黄金色の……なんだろう。
――神子のことは、一人のときがあったら考えておこう。
「まぁ、それでも良いのだがの。お主には別のことをやって貰おうと思っておるのでの」
「別のことねぇ」
少なくとも、あまり良い予感はしない。ただ、理由もなく断ることが出来ないのも確かだ。
「お主の命を二度も助けておるからの。そろそろ、返済してくれても良いのではないかの」
一度目は、先の夜刀神との戦いのときだよな……二度目は、夢のあれか?
俺は自分の胸に手を添える。この位置で脈打つ心臓。これはきっと、俺の物じゃない。
確信に近い予測だが、これはマガミに与えられたものだ。だとしたら俺は、マガミに生かされているからここまで来れたってことになる。
背後。後ろでうめいている沙耶へと視線を向ける。ああ、そんなに暴れるな。縄が食い込んで、ただでさえエロいのにもっとすごい事になるから。
それはともかく。今の俺には、沙耶を守りながらマガミを打倒する手段はない。というか、そんなことが出来る人類はいないだろう。
「勘違いしておるようだが、我はお主を力づくで従わせる気はないの」
指を弾く。心地よい音が鳴り、沙耶の拘束が解かれた。
「それで、真琴はどうするの?」
抵抗する気がないのか、沙耶は身体を動かしながら俺に問いかける。
沙耶とマガミ。二人の視線が、真っ直ぐに俺を捕らえる。
覚悟を決めよう。ここでの解答はきっと、俺の一生を左右する。
根拠も、何もないただの直感。だけど、間違っていないと、そう思った。
その考えに同調するかのように、心臓が高鳴った。
「わかった。協力するよ」
「ほう」
意外そうに、マガミが声をもらした。自分から誘っておいて、失礼な奴だな。
「真琴は、それでいいの?」
俺を気遣うように、沙耶の手が肩に添えられる。その手を握り返し、俺は沙耶にうなづいて返した。
大丈夫。
「……わかった」
しぶしぶ、といった風に沙耶は一歩だけ後ろに下がった。
「いちゃついているところ悪いが、本題に入っても良いかの?」
マガミの呆れた声に、俺は気まずそうにしながら振り返る。
「それで、俺は何をすればいいんだ?」
「お主等には、我の手駒となるような者を探してきてもらうつもりだの」
要するに、スカウトってことか。
「でも、俺はマガミたちの思想とかそういうのぜんぜん知らないぞ?」
「わかっておる。言ったであろう、探してもらうと」
「つまり、真琴の眼が目当てってことね」
「うむ。詳しいことは、嬢ちゃんに聞いておくといい。お主自身にとっても、悪い話ではないと思うのでの」
俺の疑問を察知してか、マガミは俺が口を開く前に告げてきた。むぅ、帰ったら沙耶に詳しく聞くとしよう。
「用件は以上だの。お主等に一任する作業は、追って使いのものを出そう」
マガミが手を上げると同時に、俺たちの姿が薄くなっていく。ようやく、家に帰れるみたいだ。
「ああ、そういえば」
マガミが立ち上がり、薄れていく俺たちのそばによって来る。
「契約を交わすのを忘れておったの」
「んむっ!」
「なっ、ちょっ! んなあああああああっ!」
沙耶の絶叫が、耳元で響く。ああ、叫びたいのは俺も同じだ。
突然、顔を掴まれたと思ったらいきなり口を奪われたんだから。
「――我が名を刻む。我との契約は我が身が果てようとも有効であり、
未来永劫過去永劫、果たされぬことはない。我との盟約を守れ。さすれば――」
迷いなく紡がれていた言葉の最中に、マガミは少しだけ躊躇を見せた。
その間も、俺と沙耶の身体はどんどんと薄くなっていく。死ぬわけではないけれど、どことなく嫌な気分だな。
「さすれば汝は……………」
消えていく中で、最後にそんな言葉が聞こえた。
真琴たちが消えた部屋。マガミは、自嘲する。
「まったく。我は、何を期待しておるのだろうな」
最後に告げた言葉。あれが、真琴に聞こえていたかどうかはマガミにはわからない。わかるのは、自分と真琴の間に作られた理力の流れ。ただそれのみ。
ふと、マガミは真琴と出会ったときのことを思い出していた。
あの時。真琴が、マガミが利用していた神子と対峙し、そして打倒されたその瞬間を。 マガミが神子の心臓を真琴に与えたのは、ただの気まぐれだ。矮小な、それも未成熟な人間が成し遂げた奇跡に対する報酬。それだけだった。
「縁と言うのは、わからぬものだの」
だからこそ、面白いが。胸中でつぶやいて、マガミは鈴を鳴らす。
「お呼びですか?」
どこからともなく現れたのは、巫女装束を身にまとった若い女。長い髪が床につくこともいとわずに、土下座かと見間違うほどに低姿勢でマガミの前に膝をついた。
「先の会話、聞いておったろう。お主に任せていた人材探し、あの者に引き継いでおけ」
「――」
巫女服の女性は答えない。
「下がれ」
だが、マガミはそれ以上は言葉をつむがっずに女性を下がらせる。女性もまた、一度だけうなづいて無言で去っていく。
再び誰もいなくなった部屋。マガミは、自分用に作り出した椅子に腰掛けて眼を閉じる。近いうちに、真琴を強化するために呼び寄せることを考えながら。
「ごめんなさい」
はたから見れば、今の俺の格好は浮気がばれた男って所なんだろうな。
だって、トランクス一枚で沙耶に向かって土下座してるんだから。
「ねぇ真琴」
不機嫌そうな声が、頭上から聞こえた。
「何で、マガミと契約したの?」
答えようと、頭を上げた俺の目に入ったのは、不安そうに揺らぐ沙耶の瞳。たくっ、俺は馬鹿か? いや、馬鹿だ。
「一言で言えば、沙耶のため、かな」
「ウソ」
「嘘じゃないよ」沙耶の身体を少し強引に抱き寄せる。少しだけ抵抗したが、沙耶は直ぐに俺に体重を預けてくる。
「俺さ、すごい弱い上に人間だろ」
沙耶の、艶やかな髪をいじりながら言葉をつなげる。悪いが、沙耶の返事は待たない。
「長くても後、八十年も生きれば俺は死ぬ」
死ぬ。という言葉に、沙耶の身体が少しだけ震えた。
「夜刀神との戦いだって、運よく生き返れたけど、次もマガミが力を貸してくれる保証はない。もしかしたら、再生できないくらいに殺される事だってある」
俺の存在を感じようとするかのように、力強く抱きしめてくる沙耶を俺も強く、抱きしめる。
「でもさ、神――それも俺を生き返らせることが出来るくらい強力な神であるマガミに報酬をせびれる位に結果を出せば、もしかしたら俺を神子かあるいは妖怪化する方法を教えてくれるかもしれない」
「でも、それは――」
沙耶が、不安そうに見上げてくる。だったら俺は、それを吹き飛ばすほどに笑顔を作ろう。
「人間でなくなれば、俺は簡単に死ななくなる。肉体の弱さも克服できる。寿命だって、延びる」
沙耶と共にある。そのためならば――
「俺は、どんな時だって沙耶といるよ」
人間である事だって捨てられるし、神だって利用してやる。
潤んだ瞳を伏せた沙耶を撫でながら、俺はそう決意した。