二十一話 白蛇との交戦(4)
校庭に差し込んだ月明かりをさえぎる一つの人影。
沙耶だ。
沙耶は、広げていた翼を両手に変えてゆっくりと真琴を学園の屋上に降ろす。
「…………」
なにかを言おうとして開かれた唇は、音を発することなく固く結ばれる。
そして、沙耶を取り巻く空気が変質した
縦長に伸びていた影が、ゆっくりとその幅を広げていく。
そこにいたのは、巨大なカラス。負告鳥。
人の皮を破り捨て、漆黒の羽を羽ばたかせる巨大な怪鳥。
咆哮か、あるいは慟哭か。
負告鳥――沙耶の叫びに呼応して、夜刀神もまた吼える。
カラスと蛇。
自然界において、接点は皆無と言ってもよい二種族がにらみ合う。
先に動いたのは、高所を押さえていた沙耶だ。
大きな翼を羽ばたかせ、一息で空高く舞い上がる。
黒い翼が、沙耶の通った軌跡にいくつもばら撒かれた。
「――」
叫ぶ。いや、それは正確には叫びではなく――
中空を舞っていた黒い翼が、茜色に燃えあがる。
暗く、月明かりだけが頼りだった校庭を、昼間の如く照らし出す。
炎呪。
大気を焼き、地面を穿ち、敵を滅ぼす炎。
人の頭ほどはあろうかという炎弾が、夜刀神へと殺到していく。
純白の鱗を貫き、肉の焼け焦げるにおいがあたりに広がる。
悪臭と煙にまかれた校庭。けれど、夜刀神は未だに健在。
炎呪の効果が低いと見て取った沙耶は、さらに高く舞い上がる。
一息の間に雲を超え、ある程度の距離を飛んだところで反転。
「――」
茜色の炎をまとい、沙耶は一直線に夜刀神へと落ちていく。
単純に言ってしまえば、これはただの体当たりだ。
だが、沙耶の羽ばたきと落下による加速を加えた速度は時に、音速に匹敵する。
瞬く間に流れていく景色の中、沙耶は真っ直ぐに白い蛇だけを睨みつけ――
衝突。そして、轟音。
沙耶と、夜刀神の衝突によって生み出された衝撃が、遅れてあたりを揺さぶる。
粉砕された窓ガラスが舞い散る。
抉り取られた地面は、土砂となって小山を作った。
速度そのものは、音速を超えていた。少なくとも、沙耶にはその実感があった。
「――」
人の姿をしていたなら、悔しげに顔を歪めていたのが見て取れただろう。
元いた位置よりも後退しているが、夜刀神は沙耶の突撃をその身体で受け止めた。
効果がないとわかった以上、沙耶は次の攻撃に移るべく羽を動かす。
だが、それよりも夜刀神は早い。
鈍い音を響かせて、沙耶の体が地面へとめり込む。
「――」
夜刀神が追撃をかけようともう一度、尻尾を振り上げた隙に沙耶は無理やりに翼を動かして空へと飛び上がる。
逃げながらも、沙耶は羽を炎の槍に変えて夜刀神めがけて放つ。
炎弾よりも範囲は狭いが、貫通力に優れた炎槍は夜刀神の尻尾によってなぎ払われてしまう。
流れる動作で、夜刀神は力を溜め込むように大きな体躯を縮めた。
とっさの判断。沙耶は、身をよじる様に夜空を舞い上がる。
同時、沙耶がいた位置を夜刀神の頭が通過した。
さらに反転し、沙耶は羽を数十枚重ね合わせる。
現れたのは、電柱ほどの太さを持った炎槍。
それが、夜刀神の眼球に吸い込まれるように飛ぶ。
悲鳴。苦痛の声をあげ、夜刀神は校庭へと落下していく。
追い討ちをかけるように、沙耶が高く、高く鳴いた。
瞬間。茜色の太陽が、夜の校舎を照らしだす。
禁呪と呼ばれる術がある。
使用者にかかる負担が大きかったり、威力が高すぎるがゆえに暗黙の了解として抹消された術だ。
禁呪、偽りの太陽。
擬似的に太陽を作り出すこの術は、その範囲の広さゆえに術者に限らず周辺を破壊しつくしてしまう。
単純に、熱量と言う意味で言えば原爆などの方が高温だ。
だが、術として使用する場合、熱量はさほど重要ではない。必要なのは、火の象徴ともいえる太陽の加護。
世界各国に存在する太陽に対する信仰。その信仰が、この術に力を与えるのだ。
校庭の中心に落ちた夜刀神を包み込むように、茜色の炎が半円を描く。
だが、その輝きは沙耶が知るそれとは似ても似つかないほどに弱弱しい。
祝詞や符による補助もなしに、己の妖力のみで使用したのだから当たり前と言えば当たり前だ。
灼熱の業火に焼かれ、夜刀神がのた打ち回る。
死ね。
肥大化した太陽が校舎の一部をえぐる。
――死ねっ!
断末魔とも取れる、悲痛な叫びが木霊する。
「トットト――クタバレッ!」
憤怒の、いや――悲痛な沙耶の叫び。
沙耶は喉が張り裂けそうなほどに、強く、高く、吼えた。
時間にすれば数十秒。
校庭には、夜の静寂が訪れていた。
「――真琴」
ぽっかりと、夜刀神がいた場所に作られたクレータには目もくれず、沙耶は真琴の下へと降り立つ。
人の姿へとなった沙耶は、片膝をついて真琴の頭を抱きしめる。
ゆっくりと、校庭の砂が隆起した。
「…ごめんね……」
頬についた泥を拭いながら、沙耶はそっと真琴の口に自分の口を重ね合わせる。
砂利と、血の味がした。
破損した校舎を、火傷を負った白い蛇が這い上がる。
「せめて、血肉だけでも――っ!」
些細な物音に気づき、背後を見る沙耶。だが、遅い。
純白の鱗を黒く焦がし、裂傷をいくつも負いながらも夜刀神はその鎌首を持ち上げていた。
間に合わない、か。
迫り来る大口を前に、沙耶はより強く真琴の頭を抱きしめる。
学園の屋上に、夜刀神の頭が突き刺さった。
「――あっ」
ふと、私は自分が誰かに抱えられているのに気がついた。
嗅ぎなれた匂いと、何度も親しんだ脈動。
「ふぅ、ギリギリ間に合ったか」
もう聞くことはないと思っていた、声。
「ごめん、遅くなった」
ニコリと、はにかむような笑顔を見せる顔。
「真琴ッ!」
自信を持っていえる。私は今、最高に嬉しい。
少しだけ上体を起こして、真琴に力強く抱きつく。
「おっとと…ごめん。心配かけたね」
幼子を慰めるように、真琴は私の髪の毛を撫で付ける。
「本当に…よかった」
私を撫でながらも、真琴の足は止まらない。自由落下に身を任せながら、真琴は蛇から距離を取る。
「うん。おれも、沙耶が無事でよかったと思う」
真琴の両腕に、少しだけ力がこもった。
より近くなった心臓の脈動に、私は真琴が間違いなく生きてこの場にいることを確信する。
ある程度の距離が取れたのか、真琴は足を止めて白蛇を見た。
ダメージがあるのか、白蛇の動きはさほど早くない。
「今なら、飛んで逃げられそうね」
正直に言えば、私の妖力もほとんどつきかけている。それでも、真琴を連れて隣町に逃げるくらいは出来るはず。
「ん〜悪いけど、それじゃあ俺の気がすまないんだ」
言って、真琴はそっと私を降ろしてかばうように前に出る。
「俺が余計なことをしたせいでもあるけどさ――それでも、沙耶を傷つけたのはあいつだ」
背中越しに、真琴の言葉を聴く。もしかしなくても、怒ってる?
「その分を、返してやらないと俺の気がすまないんだ」
言うと同時に、真琴の雰囲気が変わった。
いや、見た目や気配は真琴のものだ。ただ、纏っていた理力の質が違う。
「神力――なんで、それを」
渦巻くように、真琴を取り巻く青い色の理力。単純量で言えば、それほど多くないがそれでも今の私では太刀打ちできないほどの力強さがあった。
「ん、後で詳しく話すよ。だから、今はここで応援しててくれ」
ゆっくりとはいえ、白蛇との距離はあと十メートルもない。
戦って欲しくない。私と、逃げて欲しい。その思いはある。
けれど、あれを放置するのも危険だ。
後一分もすれば、全力で飛べそうね。
多少の無茶はいるだろうが、それでも死にはしない。それに、今のまま飛ぶよりも距離は稼げそうだ。
「はぁ、わかった。思いっきりやっちゃえっ!」
いざとなれば、真琴を連れて逃げ出せるように準備だけはしておこう。それに、そろそろ子鬼たちも来るはずだ。残りは、あいつらに任せてしまえ。
「もちろん。殺す気でいくさ」
はっきりと、真琴は言葉に怒気を乗せて答えた。
うう、最初の予定以上に長くなってますね。まだまだ、精進が足りないようです。
さすがに、次でこの戦いに決着をつける予定ですので、よければ、感想をお願いします。