一話 始業式の朝
大きな窓から、さんさんと朝日が差し込むダイニングキッチン。
十畳には満たないが、それでも家族五人で過ごすには十分な広さの空間。
外から新聞を取ってきた俺は、キッチン側に置かれた木製の机にどっかりと腰掛ける。
取って来たばかりの新聞の一面。断じて、テレビ欄ではない――には『今年の百鬼夜行 例年通り八月が濃厚』と言う見出し。
流し読んだ限りでは、昨日のニュースと大して変わりの無い内容だ。
他の欄も、これと言って面白そうな記事は無い。まぁ、こういう日もあるだろう。
新聞に興味をなくした俺は、手元のリモコンでいまだにブラウン管のままのテレビの電源を入れる。
テレビの画面では、縁結びの神様が星座占いの順位を発表していた。
乙女座のラッキーカラーは白、か。白い皿の上におかれているのは、こんがりと狐色に焼けた食パンが二枚。
今日は、マーガリンじゃ無くてマヨネーズにしておこう。
そう思い直した俺は、もう直ぐ起きてくるであろう同居人用と、自分でも使うために冷蔵庫にマヨネーズを取りに席を立った。
今から千年ほど前、突如としてこの世界から主要な――神話に出て来ると言う意味だ――神々が消え去った。
理由はいまだに分かっておらず、論争の的となっている。
今でこそ、こうやって落ち着いた生活ができるようになっているが、
その当時の荒れ具合はすさまじかったらしい。
信じていた神がいなくなれば、荒れるのはもっともだと思うが。
そして、今から三百年ほど前に爆発的に力をつけたのが妖怪たち。
彼らに言わせると、神々がいなくなってからの数百年、
人間が逆らいづらい状況が出来上がるまでおとなしく力を蓄えていたとのこと。
その策は見事に的中して、妖怪たちが姿を現して数年。
あっさりと世界は妖怪たちが手中に収めた。
それは現代にも通じる話で、各界のトップに君臨するのは、
いまだに三百年前と変わらずに同じ妖怪たちだ。
まぁ、そんなことがあったのも今は昔。この世界は、たくさんの人間と、たくさんの妖怪と、少しの神様で今日も変わらず回っている。
時刻はそろそろ七時半。ここから学園までは徒歩で二十分弱。入学式は八時半からだから、時間には余裕がある。
「とはいえ、そろそろ起こさないと朝飯を食う時間がなくなるな」
席を立とうとテーブルに手を突いたところで、
トントントンと言う規則正しいリズムが聞こえてきた。
「おはよ〜」
陽気な声が、広めのダイニングに広がる。入ってきたのは、藍色のブレザーにチェックのスカート、襟元には赤いネクタイと言った学園指定の制服に身を包んだ沙耶だ。
「おはよう」
席に着いた沙耶に、牛乳の入ったコップを渡す。ありがとう、と答える沙耶に手で返して、俺の分も用意する。
「さて、ちょっと時間が無いから急ごうか」
「そうね、入学式で遅刻するのも格好がつかないものね」
いただきますと、二人して声をかけ合う。今日の朝食は、トーストとグリーンサラダ、おまけにグレープフルーツと言ったちょっと軽めの洋食だ。
「ん〜ん〜ん〜〜♪」
陽気に鼻歌を歌いながら、沙耶はマヨネーズをトーストとサラダにかけていく。
いくら好きだからって、サラダが見えなくなるまでかけるのはやりすぎだと思う。言っても止めないだろうけど。
ニコニコと笑いながらマヨネーズの乗ったトースト……と言うよりも、
トーストがついたマヨネーズと言ったほうがいい気がする、を頬張る姿に俺の口元も自然とほころんだ。
「あっ、沙耶。マヨネーズがついてる」
「ふぇ」
もぐもぐと、口を動かす沙耶の頬っぺたに汗拭きようのウェットティッシュで
マヨネーズを拭う。
「ありはと」
「飲み込んでから喋れよ」
苦笑いしながら、ティッシュをゴミ箱に投げ捨てる。
さて、いい加減に俺も食べるか。
トーストにマヨネーズを塗り、その上にサラダを乗せてもう一枚のトーストではさみ、大口を開けて頬張る。
マヨネーズの味が、口いっぱいに広がった。
「……マヨネーズ多すぎた」
不味くは無いんだけど、なんか違う。そんな味だ。
「え〜、私はマヨネーズが足りないと思うけどなぁ」
くすくすと、沙耶の笑い声。
「いや、そこまで多いともはやマヨネーズ食べてるだけじゃん」
「むっ、マヨネーズを馬鹿にするなよな。私はこれ一本あれば半年は戦える!」
ドンッと、業務用マヨネーズをテーブルに叩き付ける沙耶。
いくらなんでもそれは、とも思うけれど沙耶の実力を考えればありえなくもない。
沙耶は、すでに千年以上を生きてきたカラスの妖怪だ。
普段から妖気を垂れ流しているわけではないが、
おおよそ人間が太刀打ちできる強さではないのは容易に想像ができる。
――それに、一度だけ霊視をさせてもらったことがある。
霊視は単純に分ければ、二種類ある。
千里眼系と透視系の二つだ。沙耶を霊視したときに使ったのは、透視系の霊視だ。
透視系の霊視は、見えているものを透過して、見えていないものを見えるようにする。言ってしまえばレントゲン写真のようなものだ。
人体に限らず生物を霊視するさいは、対象の魂、保有する霊力ないし妖力の総量を主に見ることができる。
沙耶の場合は、保有する妖力量が馬鹿みたいに多かった。例えるなら、ステータスが百単位の中に一人だけ千単位――それも限りなく上限値に近いキャラクターと思えば分かりやすいと思う。
「どうかしたの?」
いつの間にか食べ終えていた沙耶が、こちらのことをジッと見つめてくる。少し、ぼぉーっとしすぎたみたいだ。
なんでもないよと、返しながら食べ終えた食器類を流しの水を張った桶に沈めておく。
さて、時間はっと。――はっ?
「あ、真児。おはよう」
「ん、沙耶さん? まだいたのか?」
「えっ? まだって、時間は――あっ」
ダイニングの入り口から、不思議そうな声が聞こえる。
ああ、そういえば兄さんは遅番とか言ってたな。じゃなくて――
「やばいっ! もう八時過ぎてるっ! あと、おはよう兄さん。沙耶、走って行くよ!」
「おうともさー!」
テーブルに立てかけておいた、二人分の鞄を担ぐ。去り際に、兄である雪村真児の肩をポンッ、と叩いて朝の挨拶を済ませる。
「気をつけて行って来いよ〜」
兄さんの、のんきな声を背後に俺たちは一気に学園へと走り去った。間に合うといいなぁ。