十二話 三時間目・科目・理力
三時間目と四時間目の二時間を使って行われるのは、理力の授業だ。
「理力は実践あるのみっ! と言うわけで、練武場に移動するぞ〜」
教室に入ってくるなり、そう告げたのは我らが担任相川修二先生。
「熱血教師の本領発揮ね」
ホームルームでは、ここまで熱血してなかった気がするけど、やはり、授業になると気合の入り方が違うのか。
錬武場は、大守学園の地下に作られた巨大な空間の名称だ。
大守学園が所有する敷地は、確かに広い。けど、中等科と普通科、霊能科と三つも同じ敷地内に学校があればさすがに手狭になる。
くわえて、霊能科でのみ行われている実技――つまり、対霊・妖怪の戦闘訓練は霊能力を持たない者が巻き込まれたら命を落としかねないほどに、危険な物だと言われている。
普通科と中等科の生徒を巻き込まず、かつ広い場所を確保すること。その解決策として作られたのが、地下にある練武場とのことだ。
練武場の正確な広さはわからないが、少なくとも甲子園球場よりは広いらしい。
「すこし長くなるから、俺の声が聞こえる範囲で適当に座ってくれ」
ホワイトボードを横に携えた浅井先生を取り囲むように、
俺たちは思い思いの場所に腰を下ろす。
「いくら実践が重要と言っても、基本がわからないと何も出来ないからな。取り合えず、この表を見てくれ」
ホワイトボードに張り出されたのは、使い古された画用紙に書き込まれた、色違いの三つの円だ。
それぞれ、赤、青、緑で構成され、色が重なり合うところはそれぞれが混色――赤と青なら紫――で三色の中心に行くほど白くなっている。
「見たことがある奴もいると思うが、これは理力を図に表したものだ。見た目が、そのまんま光の三原色と同じ事から、理力の三原色と言われてるな」
青に神力、赤に妖力、緑に霊力と書かれた画用紙を貼り付けていく先生。というか、魔力も含めて四原色じゃなかったかな。
「半妖、怪人、魔人に半神など混血と言われる種族は各色の中間色になる。――浄霊の神谷先生は、人と妖怪のハーフつまり、半妖に当たるな。それで、この中間色が魔力と呼ばれている。詳しいことは二年のときに習うから、今は色による名称の違いと、特性を把握しておいてくれ」
クルリと、手馴れた手つきで先生はホワイトボードを裏返して、色分けされた画用紙を貼り付けていく。
「霊力は出力、量ともに低いが扱いやすく汎用性が高い。妖力は出力と量が高いが、汎用性が低い。神力は万能と言っても差し支えない力を持っているが、神々のみの力だ。最後に魔力だが――これは、混血特有の力なのでこれと言った決まりがない。しいて言えば、両方の利点を持っていることが多いな」
最後に、こんなところかとつぶやいて先生はホワイトボードを壁際へと移動させる。
「さてと、長ったらしい話はここまでっ! 実践編に移るとするか」
先生は俺たちを立ち上がらせて、軽く柔軟をするように促す。
俺が屈伸を始めた横で、沙耶は退屈そうに欠伸をしながらホワイトボードの横へと移動する。まぁ、沙耶にとっては知っていることばかり出しな。
理力の扱い方を俺は、沙耶には習っていない。と言うか、沙耶いわく『呼吸の仕方なんて教えられない』との事だ。
さて、一度で習得できればいいけど。
「よしっ。そろそろ始めるか…といっても、特別なことをするわけじゃない。まずは、体の一部…腹筋が良いな。そこに、意識を集中させてくれ」
意識を集中…腹筋に力を入れるような感じでいいのかな。
「次に、そのまま眼をつぶって脳裏に今の自分を思い浮かべてくれ」
言われたとおりに眼をつぶり、今の自分だから…手を後ろでに組んで直立しているところか。
ふと、閉じている筈の視界に、遠くと近くに一つずつ人影が見えた。
近くの影でまず眼を引くのは、心臓から腹部にある緑色の小さな塊を経由して、再び心臓へと戻る線と、心臓から外へと伸びていく緑色の線だ。たぶん、これが俺の身体を流れる理力なのだろうとあたりをつけておく。
だが、もう一つの人影は何だ。
まず眼を引いたのは、どこかで見たことがある、青みがかかった黒い長髪と緋色の着物。
ドクンと、心臓が高鳴る。
カラカラになった喉をごまかすように、生唾を飲み込む。
手のひらには、拭っても拭っても脂汗がにじみこんでいく。
理由はわからない。けれど、俺は今、間違いなく緊張していた。
なっ、んだ、これ。
声がでない。いや、出たのかもしれないが、少なくとも空気を振るわせることはなかったと思う。
不意に、彼女――なぜだか、そのフレーズが頭に浮かんだ――は少しだけ身体をゆすり始める。
始めてみるはずなのに、笑っていると言うのが何故だが理解できた。
『婦女子の部屋を覗くなど、無粋きわまるのう』
くつくつと、身体を揺すりながら笑う彼女の声が脳裏に浮かんだ。
今まで以上の大きさで、心臓が高鳴った。
だ、れ、だ。
搾り出すように、辛うじてそれだけを口にしたが、やはり音にならない。
『我を忘れたか? いやはや、あれほど激しい一日を過ごしたというに、ずいぶんと薄情なものだの』
声にならなかった声を拾い、彼女は返答する。けれど、俺の記憶には彼女の存在はない。…はずなのに、この声を俺は知っている気がした。
『まぁよい。我を忘れたと言うのであれば、思い出させてやろう。――死の恐怖と共になっ!』
彼女が髪をひるがえし、振り返る――
「――っは」
それよりも早く、眼を見開く。
今なお高く脈打つ心臓を押さえて、慌てて霊視を行う。
千里眼。透視。そのどちらでも、青い線は見えなかった。
深く、溜め込んでた息をゆっくりと吐き出して、心臓と気持ちを落ち着かせる。
後で沙耶に相談しよう。
「さて、みんな理力の流れはつかめたか?」
あれから十分ほど時間が流れた。
恐る恐る再挑戦した二度目。その時に見えたのは、先ほども近距離に見えていた人影だけで、彼女の姿はどこにも見当たらなかった。
「よし、次は理力の放出を行う。取り合えず、利き腕に力を集めると良いな。…っと、こんな風に」
先生の右手が、淡い緑色の膜を纏わせる。
「ようは、理力を一点に集中させるだけだ。そうすれば、許容量を超えた理力が勝手にその部位からあふれてくる。取り合えず、この時間は好きに挑戦してみろ」
と言われてもな。正直、今の説明ではどうすれば良いのかよくわからない。
周りの皆は、思い思いの方法や格好で、 利き腕に理力を集中させようとしている。
仕方ない、やってみるか。
まず利き腕(俺の場合は右手だ)に、理力を集めるようにイメージしてみる。
…特に、変化は見られない。
多分、力を集めるイメージだけでは足りないんだ。意識するだけで出来れば、クラスの皆はすでに成功してる。
そもそも、理力って何だ。
今更ながらに、俺はその問題が頭に浮上した。
理力とは、その名の如く理の力。
教科書の一文を抜粋すれば、そういうことらしいが意味が全くわからない。
取り合えず俺は、普段は眼に見えないけど意識して見ようとすれば見ることが出来る物。だと、思っている。
ああ、だめだ。思考がずれて始めた。理力の本質は、脇にどけて置いて。今は、使うことを考えよう。
もう一度、右手に意識を集中させる。だが、やはり変化はない。
「理力がないってわけじゃないよな」
確かに、さっきは理力の流れを見ることが出来た。だから、ないという事はありえない。
「――待てよ。流れを、見た?」
まてまてまて。よく思い出せ。理力の流れを見た時。理力はどこから、どこへと流れていた。
俺は、すぐさま腹筋に意識を集中させて眼を閉ざす。三度目の挑戦。さすがに、最初よりもすばやく出来る。
やはり、理力の流れは心臓から体外へと伸びているものと、腹部への小さな塊に向かっていく二本の線しかない。
この状態を維持したまま、俺は右手に意識を集中させる。だが、理力は変わらずに同じところを巡回していくだけだ。
「やられた、これじゃあ右手に理力を集めることなんて出来るわけがない」
蛇口につながっていないホースが、水を流すわけはないのだ。
「はははっ。雪村は気がついたか。その通り、意識を集中しただけじゃあ、理力は放出できないのさ」
笑って言う先生に、俺たちはブーイングを飛ばす。だが、先生は聞きなれているのか、笑いながら俺たちをたしなめて、言葉を続けた。
「すまんすまん。だがな、霊能力者を目指す以上、このことは知っておいて欲しいんだ。どんな些細な情報でも、逃さずに記憶するって言うことを」
少しの間を空けて、先生は普段のように無駄に明るい笑みとは違った笑み、皮肉げとでも言うような笑みを作る。
「霊能力者はな、死者の声を聞くことが出来る数少ない職業だ。神谷先生の授業を聞いたならわかるだろうけど、死者にはいくつもの未練がある。けれど、そのほとんどが曖昧になってるやつが多いんだ。ひどい奴になると、自分が人間だったのかどうかすら忘れてる奴もいる」
この間あった霊魂も、自分を忘れてたな。元気にしているといいけど。
「それでも、そいつらは何かを伝えようとしてくるんだ。恨みなのか、家族への思いなのか、それともただ単に愚痴を言いたいだけなのか。定かじゃないけど、ただ一つ言えるのは、あいつらの意思を汲み取れるのは俺たちだけだってことだ。だから俺たちは、どんなに聞き取りづらい言葉でも、見えづらい意思でも見逃しちゃいけない。伝えられた意思を、誰かに伝えなきゃいけないからな」
ブーイングは止み、練武場に静寂が訪れる。
参った、こういう空気は苦手だ。
そう思っていた俺の思いを汲んだかのように、チャイムが鳴り響いた。