十話 二時間目・科目・浄霊
二時間目の授業を担当する教師は、チャイムがなると同時に教室に入ってきた。
赤い袴と白い千早。一目で、巫女と分かる服装の教師だ。二人目の教師だが、ジャージに巫女服とずいぶんと統一性のない服飾だな。
「係、号令を」
それほど大きくない、けれどもよく通る声でそれだけ告げてくる。
「起立…礼。着席」
生徒が着席するのを待って、巫女服の教師は黒板に文字を大きく書いていく。
神谷一姫。
「神谷一姫だ、浄霊を教えることになる。取り合えず一年のうちは浄霊と除霊の基礎講習が中心になるが、きちんと聞いておけよ」
喋り方がいくらか男っぽい気もするが、どことなく親しみを覚えやすい。たぶん、この人もいい先生なんだろうな。
「さて、早速だが授業を始めるとしよう。まずは確認したいのだが、君たちは悪霊と幽霊の違いが分かるか?」
悪霊と幽霊? パッと思いつくのは、生きている者に害をなすかただいるだけかの違いだと思うけど、ほかにあるのか。
「ふぅむ、では上月。ためしに答えてみろ」
「あっ、はい。えっと…悪霊は人に敵意を持っているってことですか」
やっぱりみんなもそう思ってるんだ。まぁ、悪霊って言うぐらいだしな。
「だいたい正解だが、悪霊だけが敵意を持つと言うのは少々語弊があるな。教科書の九ページを開いてくれ」
幽霊の性質と題されたページを開く。
神谷先生も、黒板に表題として同じ言葉を書いていた。
「まずは幽霊と言うのがどういうものなのか、そこから説明しよう」
黒板に大きく、標識に書かれているような人型を書き、その中心に魂と円で囲ってある言葉を書き足す。
「知ってのとおり、この魂と言う物は未だに解明がすんでいない。諸説はいろいろとあるが、最も有力視されているのは本能説と、理力の入れ物説だ。詳しくは、理力の授業のときに習うだろうから、今はこの二つの説だけを把握しておいてくれ」
そういえば沙耶は、本能が強ければ魂の総量も大きい奴が多いって言ってたな。だとすると、結構この説も的を得ているのかも。
「次に、霊体の説明をしておこうか。教科書だと太字で書いてあるから、赤線を引いて置けよ。霊体というのは幽霊の身体、と言う印象が強いが、霊体は我々でも持っている」
先生の身体を黄色い膜が覆う。
「今見えているこれが、私の霊体だ。おそらく、黄色い陽炎が私を覆っているのが見えているんじゃないか?」
陽炎? むしろ俺には、膜というか球体が先生の身体を覆っているようにしか見えない。
どうしよう、この辺のこと聞いておいたほうがいいかな。
「このように、魂があれば誰でも持ってるのが霊体だ。各々が持つ霊体を可視化すること、これが霊能力者の初歩と言ってもいいな。幽霊は、霊体と魂のみになった霊能力者と捉えればいいだろう」
あっ、駄目だ。もう幽霊の話に移ってる。仕方ない、授業後に聞くとしよう。
「では、ここでちょっとした問題だ。人間の体の部位で、思考をつかさどっている部分は何だ? 関口、答えてみろ」
「えっと…脳、でしょうか」
「うん、正解だな。心とか感情とか、そういう不確定の物をのぞいて考えれば、腕を動かしたり夕飯の献立を考えるのは脳だ」
先生は黒板に書いた人の絵に、脳という文字を書き加える。
「まぁ、君たちも知ってのとおり脳とは体の一部だ。だが…」
黒板に赤いチョークで、もう一つの人型を書き出す。胸のところには魂と、隣の人型と同じように書く。
「肉体を持たない霊体には、脳が存在しない。けれども、事実として幽霊や悪霊たちは思考し、対話している…まぁ、中には言語として成り立っていない者もいるがな。まぁ、そういった例外はさておき、どうしてだか分かるか?」
「本能、ですか」
ぽつりと、特に意識しないで口から言葉が漏れた。
「ほぅ、よく分かったな。えっと、雪村か。誰かに聞いたことでもあったか?」
「ええ、まぁ」
別段、沙耶のことを詳しく話すこともないので適当に答えておく。
「雪村の言うとおり、霊体を体とする幽霊たちの意思を司るのは魂が持つ本能だ」
本能と黒板に書き加える先生。どうやら、沙耶のことよりも授業の進行が優先みたいだ。
「本能と言うと、獣じみた衝動を思い浮かべる者が多いが、こと幽霊に限ってはその限りではない」
教科書を見てくれの言葉に従って、手元の教科書に視線を移す。大きな円グラフで、幽霊となる生き物の比率が書かれている。
「その表を見てもらうと分かりやすいが、幽霊の中でもっとも数が多いのが人間だ。これは、個体数の多さも勿論あるが、一番の要因は残念――未練、と言ったほうが分かりやすいな」
なしえる事の出来なかった目的。届かなかった夢。残された家族への思い。
虐げられた者の憤怒。裏切られたことへの憎悪。殺した者への呪詛。
陰陽、正邪。問わず、すべては残念――未練となる。
「教科書に書かれているとおり、未練は多用だが、根幹自体はどれでも大差ない。単純に、もっと生きたいと言う意思だ。…今のところは霊能に生きる以上、必ず覚えておかなければならないことだ、忘れないようにしておけ」
先生が読み上げた内容に、全員が教科書にラインを引いていく。
確かに、霊能力者がもっとも相対することが多いのは幽霊だ。なぜ、どんな未練を残しているのかを知ることが出来れば浄霊への負担も減るだろう。
「以上を踏まえた上で、魂が持つ本能の話に戻る。便宜上、本能と言う呼び方をしているがこれは、生きたいと言う意思と置き換えてもいいな」
本能と意思。二つの言葉が、黒板に書き込まれた。
「本能、意思は生きたいと言う願いを、あるいは未練を晴らすために動く。その時に重要なのが、霊体を維持するために使われる理力…人間なら霊力だな」
霊力と黒板に書き込む。乱雑にいろいろと書いてるけど、正直どれをノートに取ればいいのか分かりづらいな。
「一般の人が保有する霊力は、数値化するとおおよそで二十。たいして、霊体を維持するのに必要とする霊力は、霊体の規模にもよるが、十ちょっと…これでは直ぐに足りなくなってしまう。霊力が足りないと存在することが出来ない。だが、霊力を回復させるためには霊体を休ませなければいけないが、肉体のない魂は霊体という殻を失えば自分を保つことが出来なくなる。さて、どうすればいい?」
幽霊と悪霊の分類の仕方が、敵意の有無と言う答えでは半分正解だって言ったのが、ようやく理解できた。
つまり、
「生まれたての幽霊と言うのは、多かれ少なかれ何かを襲っている。自我が芽生えるのは、一定以上の霊力を確保し、半ば妖怪化してからだ」
幽霊も妖怪の一種であり、人を襲わない霊はいないと言うことだ。
「以上のことから、幽霊として存在している以上は敵意の有無に関係なく全てが浄霊の対象となる。かといって、力ずくでの浄霊を推奨するわけではないからな」
言ってから、先生はちらりと黒板の上にある時計を見る。授業開始から三十分。気づかないうちに、結構な時間がたっていたみたいだ。
「残り三十分か。それじゃあ、ここからは教科書を中心に進めていくが、質問等があれば幾らでも進行を止めてかまわないからな」
質問か…個人的に聞きたいことは授業後にしておくべきだよな。
「では、次のページを浅井に読んでもらおうか」
授業の終了を告げるチャイムが鳴る。
「ん、ちょうどいいな。号令を頼む」
「起立…礼。着席」
臼井さんの声にあわせて、生徒たちが一斉に動く。
授業開始の号令が俺で、終了の号令は臼井さんが担当だ。
先生の礼にあわせて、クラス中が騒がしくなる。やはり、初めての霊能に関した授業と言うこともあって皆が思うところがあるようだ。
おっと、先生に確認することがあったな。
俺は、話したそうな矢口君に謝ってから先生の後を追った。
「神谷先生」
「ん、雪村か…なにか質問か?」
俺の声に気がついて、先生が黒いポニーテールを揺らして振り返った。
むっ、距離があって気づかなかったけど、近くで見るとかなりの美人だと言うのがわかる。
その上、背丈が俺と同じくらいだ。はたして、先生が高いのか俺が低いのか…多分、先生が高いんだよな。
「はい。実は、先生が授業中に霊体を可視化したときなんですけど」
関係の無い思考は脇においておいて、取り合えず聞きたいことを聞くとしよう。
「ああ、あの時か。何だ、よく見えなかったのか?」
苦笑い気味に、形のよい唇の端を持ち上げて、先生は霊体を可視化してくれた。
今度は授業中のときとは違い、膜というよりも甲殻という表現が似合いそうなほどに硬そうな殻が作り出されている。
「どうだ。先ほどよりも強めに霊力を込めてみたが…」
「あっ、すいません。見えなかったわけじゃないんですよ。
ただ、先生が言ってたのと俺が見えたののが違ったもので」
「なに」
先生の目が、ピクリと釣りあがった。うわ、なんか知らんが微妙に威圧感を感じる。
「どのように見えたいや、今はどのように見えている」
「えっ、えと…さっきはシャボン玉が先生の身体をそうような感じで覆ってました。今は、甲殻って言うか鎧、ですかね? が覆ってるように見えます」
一応、授業中に見えたものも答えておいた。
俺の答えを聞いた先生は、驚いたように眼を見開いて、まじまじと俺の顔を見てくる。
「驚いたな。入学したてで、もうそこまで視えるのか。
誰かに霊視の師事を仰いでいたのか?」
「一応、妖怪の知人に少しは教えてもらってます。ただ、霊視はほとんど完成してるって言うんで、あまり深くは教わってないですね」
「そうだな、その人の言うとおりだろう。雪村の眼は、すでに完成系に近いだろうな」
それって、これ以上の発展は望めないってことか。だとしたら、
特訓のメニューを変えないとな。
「もう少し詳しく教えたいところだが、あいにくと私も次の授業があってな…放課後は空いているか?」
「すみません。クラス委員になったんで、委員会があります」
俺も出来ることなら、聞いておきたかったけど。仕方ない、次の機会にしておこうか。
「そうか…ならば仕方ないな。機会があったら、何時でも職員室に来てくれ。私も、可能な限り時間を作ろう」
「ありがとうございます」
素直に、頭が下がる思いだ。ここまで生徒に親身になってくれる先生は、少なくとも中学までの間で出会ったことは無かったしな。
「気にするな。これが仕事だからな…さて、そろそろチャイムがなるから教室に戻ると言い」
「はい。それでは、失礼します」
もう一度頭を下げて、俺は真っ直ぐに教室に戻った。
「へぇ、私が忙しく校舎内を歩き回っている間に真琴は新しい女を引っ掛けてたんだぁ。へぇ、そうなんだ〜」
そんな沙耶の睨むかのような眼光が、俺を出迎えるとも知らずに………