夜の散歩
陽はとうの昔に姿を消しており月の灯りもおぼろで遠くまで見渡すのは難しい。あなたの住む閑静な住宅街はその全体が寝静まっているかのようで物音一つも聞こえない。あなたに話しかけるものも存在しない。街灯の微かな光だけを頼りにゆっくりとした、だけど迷いのない足取りであなたは歩を進める。
表通りからは外れたやや遠慮がちに見えるくらいの幅を有する道の両脇に建ち並んだ一軒家や小さなアパートたちが、あなたがゆったりと目の前を通り過ぎて行くのを見送った。
あなたは半開きのまぶたの下から覗く瞳をさほど動かさず、視界の後方に流れゆく景色に特に感情を抱く事もなく、静かにただ淡々と両の足を前に進めて行く。
T字路に差し掛かり角にジュースの自動販売機がその姿を現した。あなたはその物を言わぬ商売人の前に立つ。だがその立った時間も一瞬で、商品ディスプレイの光の視線を投げた後に彼も今まであなたを見送った行列の一員に加わった。
あなたは角を左に曲がった。そしてまた歩き続ける。財布を持たずに外に出たあなたに買い物をする意思はなかった。やがて行く手に神社が現れた。昼間なら道路から奥まで見通せるくらいの広さで鳥居をくぐってあなたはその中に入って行く。
神社の境内の漆黒の闇が支配する空間であなたは立ち尽くした。僅かに差し込む街灯を頼りに目を凝らせばどうにか歩けるといった暗闇の中で、寝巻きを着たあなたは何もせずにただ茫然としていた。この夜の世界では誰もあなたに声をかけるものはなく……
「……おい」
薄い意識の中であなたが振り向くと、そこには先輩と思しき人物が立っていた。
「おい。お前、まさかとは思ったが……」
あなたの先輩は呆れたような表情を作って肩をすくめた。
「夢遊病だったんだな。寮から様子を見ながら後をつけてきたんだが」
先輩は確信を持って言い放った。
「しかし、こういう時は無理に起こさない方がいいんだよな。しばらくは見守るか……」
数秒の間を置いてから、呆れたような困ったような苦笑まじりだったその表情を突然真顔に変えて先輩はあなたの顔をまじまじと見詰めた。
「全く、お前には心底参ったよ。今度演じる役柄が夢遊病者だからって、本当に夢遊病になってしまうなんてな……なんて役者魂だよ。本当に尊敬するよ。お前は素晴らしい役者だよ」
二人称で書いたというだけの一発ネタ的な話です。『あなたは』で話を進めていくにはどうすればいいのか? と考えて書いた物で、あなたと言ってる割には行動に自由が効かないその理由として、操られている等を考えましたが、夢遊病という一種の笑える要素のものにしました。
夢遊病とは結構怖いもので、無理矢理起こそうとして暴れたり、殺人事件に発展したという話もあるようです。同じ劇団(?)の人達だからそういった事も勉強していたという設定ですね。
余談ですが、二人称というのは大変珍しい書き方ですが、一時期ブームになったゲームブックでは二人称で書かれる事がほとんどでした。