呪われた聖女と呼ばないで
アルヴェリア王国は、魔物の湧く「ホール」が国の端に存在する。
この国が、他国と変わらぬ平穏な暮らしを維持できているのも、魔物を退ける聖女の力があってこそだ。
聖女は、必ずしも聖女の血筋から生まれるわけではないが、聖女の血を引く者は力が強くなる。
祖母、母と続けて聖女だったアリーシャ・エルディアは、強い聖女の力を受け継いだ。
だからこそ、アリーシャには聖女の血を次代へ繋ぐことが強く求められていた。
国を守り、子を産む。
それが、聖女アリーシャの使命だった。
アリーシャは、王宮の長い廊下を歩く。
7歳で聖女として覚醒してから、厳しい鍛錬を続けてきた。
その甲斐もあって、聖女としての力はかなり安定している。
聖女としては順風満帆。
ただ一つ、問題があるとすれば――結婚相手がいないことだ。
これまで、三人の男性と婚約した。
一人目は、聖女の婚約者になったことで自信をつけ、身の丈に合わない魔物討伐に参加した。
しかし、そこで魔物に襲われ、大怪我を負ってしまう。
幸いにも一命は取り留めたものの、なぜかアリーシャを恐れるようになり婚約破棄となった。
二人目は、聖女との婚約をきっかけに、自分まで大きな権力を得たつもりになった。
職務上の立場を利用して不正に手を染め、それが明るみに出て没落。
当然、婚約破棄となった。
三人目は、婚約してから毎日のように腹を下した。
彼は珍しい食材を好む趣味の持ち主だった。
聖女の治癒能力に頼ろうとしていたようだが、聖女の力は人間には効果がない。
最後まで話が噛み合わず、婚約破棄となった。
――念のため言っておくが、元婚約者たちの不幸に、アリーシャは何一つ関係していない。
なのに、国内ではおかしな噂が広まった。
『聖女と婚約すると、不幸になる』
『呪いの類では…?』
『呪われた聖女だ』
「私に変な二つ名をつけないでよ!」
アリーシャは憤慨した。
いろいろと思い出しているうちに目的の場所に着いた。
今日は国王に呼び出されているのだ。
謁見の間へ入り、国王と王妃の前に立つ。
「アリーシャ」
顔をあげると深刻な表情を浮かべた国王と目が合う。
「四人目の婚約者を用意した」
アリーシャは深いため息をついた。
「もう国内に婚約者候補は残っていないはずでは?」
「一人だけいる」
国王は重々しく息を吐いた。
「ラウレンツ・ヴァルディーン辺境伯だ」
ラウレンツは、国随一の剣術の使い手。
かつて誰も討ち倒せないと言われた、最強の魔物を単独で討ち倒した男。
その功績と彼自身に残された傷からついた呼び名は――
「呪われた辺境伯」
アリーシャが呟くと、国王がぎくりと身を固くした。
「……呪いに呪いをぶつけようというのですか?」
アリーシャが睨みつけると、国王は慌てて手を振った。
「そ、そうではない」
「……」
「『聖女』であるお前には、それに相応しい身分の相手を選ばねばならん」
「では、他国から婿をとるのはどうですか?」
アリーシャの提案に国王は首を振る。
「お前が『呪われた聖女』と呼ばれているという噂は、もはや他国にも広まっている」
「……」
「それでも婿に来ようとする者がいるとすれば、『アリーシャ』よりも、聖女やこの国との繋がりに価値を見出している者だろう」
「……それは嫌です」
アリーシャは、むっと唇を尖らせた。
多少のことには目を瞑るつもりだ。
けれど、自分自身ではなく、聖女という肩書きや国との繋がりだけを見られるのは嫌だった。
「わかってくれ。三代にわたって受け継がれてきた聖女の血を、ここで途切れさせるわけにはいかないのだ」
「……」
今、この国にいる聖女はアリーシャただ一人。
新たな聖女がいつ現れるかは誰にもわからない。
たとえ新たな聖女が生まれたとしても、アリーシャほどの力を持つことはないだろう。
「わかりました。ヴァルディーン辺境伯に会います」
アリーシャは渋々頷いた。
国王は真剣な顔で頷く。
「何が何でも辺境伯と縁を結び子を成せ」
「仰りたいことはわかりますが、私は家畜ではありません!」
思わず声を荒らげる。
すると、それまで黙っていた王妃が悲しげに目を伏せる。
「……ごめんなさい、アリーシャ。あなた一人にこのような重責を背負わせてしまって」
アリーシャは首を振る。
「そんな、王妃様【は】お気になさらないでください」
「……最強の聖女でなければ、牢獄行きだぞ」
国王が小声でぼやく。
王妃はそんな国王を気にした様子もなく、優しく微笑む。
「アリーシャにはいつも感謝しています」
「もったいなきお言葉です」
「子を成すことだけを望んでいるわけではありません。あなた自身が幸せになれる相手と、夫婦になってほしいと願っているのです。国王も同じ気持ちですよ」
「……はい」
アリーシャは小さく頷いた。
わかっている。
子を成すことだけが目的なら、三度も婚約を破棄する必要はなかった。
けれど、国王はそのたびにアリーシャの意思を尊重し、婚約破棄を認めてくれた。
国のことを第一に考えなければならない立場でありながら、アリーシャの気持ちを優先してくれていたのだ。
本当は気づいている。
国王も王妃も、アリーシャをただ「聖女」として見ているわけではない。
「ありがとうございます」
アリーシャは国王と王妃をまっすぐに見つめ、深く頭を下げた。
新たな婚約者候補との顔合わせの日取りを聞き、謁見の間を後にした。
「……呪われた辺境伯、か」
辺境伯であるラウレンツが王都へ赴くことはほとんどなく、人との関わりも避けているようだった。
さらに、彼は人前では常に仮面をつけている。
そのため、これまで何度か同じ場所にいたとしても、話したこともなければ、素顔を見たこともない。
人々は『呪い』の詳細を語ろうとはせず、話題にすることさえも恐れている。
「……もしかして、彼も根も葉もない噂を立てられているのかしら」
アリーシャは、そんなことを考えながら廊下を歩いていった。
◇
「君と婚約はできない」
対面するなり、そう言われ、アリーシャは目を瞬いた。
「……え?」
目の前に座っているのは、黒い衣服を身にまとった長身の男。
ラウレンツ・ヴァルディーン。
そして彼の顔には、仮面がつけられている。
「私が『呪われた聖女』だからですか?」
「そうではなく――」
ラウレンツの声を最後まで聞かず、アリーシャはがっくりと項垂れた。
最後の砦にまで断られてしまった。
「国王様、王妃様、ごめんなさい。私が最後の聖女になりそうです」
いや、まだ諦めてはいけない。
この国には聖女が必要だ。
なるべく長生きをして、次の聖女が生まれる可能性に賭けるか。
アリーシャがぶつぶつと呟いていると、ラウレンツが声をかける。
「話を聞いてくれないか」
ラウレンツの声に、アリーシャは顔をあげる。
「あなたが嫌な訳ではない」
ラウレンツは、静かに仮面へ手をかけ、一瞬ためらうように指を止める。
それから、意を決したように仮面を外した。
「……!」
アリーシャは息を呑んだ。
顔の半分だけが、人の肌ではなかった。
硬く、黒に近い鱗。
まるで魔物の皮膚そのものだ。
「これが、私にかけられた『呪い』だ」
ラウレンツは淡々と告げた。
「戦いの最中に魔物の毒を浴び、このようになった」
「……」
「恐ろしいだろう」
「いいえ」
アリーシャは、はっきり答えた。
「それは、この国を守ろうとした証です。感謝こそすれ、恐れることなどありません」
アリーシャはラウレンツの隣へ腰を下ろし、鱗のようになった頬へ、そっと手を伸ばす。
「……!」
ラウレンツは反射的に、その手を振り払った。
「すまない」
ラウレンツが立ち上がる。
「……触れてはならない。もし毒がうつったら――」
「うつりません」
「……え?」
「仮にうつるものだとしても」
アリーシャは今度こそ、両手でラウレンツの頬を包み込んだ。
「魔物の毒は私には効きません」
「……」
「ほらね?」
アリーシャは目を細めて笑う。
「私に治す力があれば、あなたが悲しい思いをせずに済むのに」
アリーシャは、ラウレンツを見つめた。
「ごめんなさい。何もできなくて」
ラウレンツの瞳に、一瞬だけ古い痛みのようなものがよぎった気がした。
「……何もできなくなどない。君が聖女として覚醒してから、明らかに魔物の力が弱くなった」
「まぁ、歴代最強の聖女ですからね」
アリーシャは、少し得意げに笑った。
「感謝している」
「辺境伯様こそ。あなたが強いので、私の担当地区が減ったんです。ありがとうございます」
互いに頭を下げる。
そして顔を上げた二人は、思わず笑い合った。
「……君は本当に私のこの顔が、恐ろしくないのだな」
「はい。むしろ、顔は好みです」
にっと笑うアリーシャ。
ラウレンツは目を見開く。
「……まぁ、断られたので諦めますけど」
そう言って、アリーシャはラウレンツから手を離し、立ち上がろうとする。
「待て」
ラウレンツはアリーシャの前に膝をつき、真っ直ぐにアリーシャを見上げる。
「……何?」
「聖女アリーシャ。私と結婚してほしい」
「…………」
アリーシャの思考が止まった。
数秒の沈黙の後、ようやく口を開く。
「さっき婚約はできないって言いましたよね!?」
「私を恐れず、私の身を案じてくれる人に出会ったのは初めてだ」
「……」
「君の強さも、優しさも好ましいと思っている。……もう、君を手放したくないと思った」
ラウレンツはアリーシャの手を取り、手の甲に口付ける。
「私を選んでくれ。君に呪われたとしても構わない」
「呪いません」
「そうだな」
ラウレンツは静かに微笑んだ。
その表情を見て、アリーシャの口元にも自然と笑みが浮かぶ。
呪われた聖女と呪われた辺境伯。
二人が結ばれれば、一体どんな不幸が起きるかと、人々は好き勝手に噂するだろう。
「……まあ」
アリーシャは少し身を屈め、ラウレンツの頬をなでる。
「何とかなりますよね」
その日、二人は初めて、自分たちの『呪い』を恐れることなく、ただ一人の人間として自分を見てくれる相手と巡り会ったのだった。
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