すべてとは
白い紙は、いつもそこにあった。
机の上に置かれた一枚の用紙は、蛍光灯の光を反射して淡く輝いている。インクの染み一つなく、折れ目も皺もなく、ただ真っ白だ。私はペンを握ったまま、長いことその紙を見つめていた。ペン先は紙に触れず、宙に浮いたまま微かに震えている。
「無も全も選んでいる自分に、いかにして満足いく繋がりができるか」
これは、かつて誰かが言った言葉だったのか、それとも私が今、この瞬間に思いついたものなのか、もう判然としない。ただ、この言葉だけが、空白の紙の上に浮かび上がっては消え、また浮かび上がる。
私の名は青木透。四十二歳。職業は小説家。だが、正確に言えば「かつて小説家だった男」と呼ぶ方が適切かもしれない。最後の原稿を出版社に送ってから、すでに三年が過ぎている。その間、私は一文字も書けなかった。書けなかったのではなく、書かなかった。いや、書こうとして、書けなかった。どちらでもいい。結果は同じだ。白い紙が積み重なり、机の引き出しは未使用の原稿用紙で埋まった。
今夜も同じだ。窓の外は雨。七月の終わりの、湿った空気が部屋に入り込んでいる。時計は午前二時を回った。妻はもう寝ている。隣の部屋で、規則正しい寝息が聞こえる。子供たちは成人して家を出た。この家には、私と妻と、白い紙だけが残っている。
ペン先を下ろす。紙に触れる瞬間、私は息を止めた。
最初の一文字は「無」だった。
無。
その文字を書いた瞬間、紙の白さが少し変わった気がした。無が生まれたことで、紙はもはや完全な無ではなくなった。無を選んだ私は、同時に「無以外のすべて」を選ばなかったことになる。選択とは、そういうものだ。一つを取れば、他を捨てる。だが、白い紙の上では、話が少し違う。
私は次の文字を書いた。
全。
無と全。矛盾する二つの漢字が並んだ。無も全も、同時に選んでいる。白い紙はそれを許す。現実の世界では許されないことが、ここでは可能になる。紙の上では、私は神であり、同時に無力な観察者でもある。
私は続けて書いた。
ある男がいた。彼は毎朝、同じ時間に目を覚まし、同じ道を歩き、同じ会社に通い、同じ席に座り、同じ仕事をした。夜になれば同じ道を帰り、同じ食事を摂り、同じ時間に眠りについた。彼の人生は、完璧に管理された無だった。何も起きない。何も変わらない。喜びも悲しみも、波立たない水面のように静かだ。彼はそれを「安定」と呼んでいた。周囲の人間も、彼を「問題のない人」と評した。
ある日、男は会社の帰り道で、一枚の白い紙を拾った。風に舞っていた紙が、彼の足元に落ちたのだ。紙には何も書かれていなかった。ただの白紙。男はそれを拾い上げ、ポケットに入れた。家に帰り、机の上に広げた。白い紙は、部屋の明かりの下で静かにそこにあった。
男はペンを取り、紙に何か書こうとした。だが、何を書けばいいのかわからなかった。日常の報告? 今日の出来事? 未来の計画? どれも、紙の白さに対してあまりにも貧弱に思えた。彼は長いこと座り込み、やがてこう書いた。
「私は、何も選ばないことを選んでいる」
その瞬間、紙の上に小さな亀裂が入ったような気がした。無を選ぶこと自体が、一つの選択だった。男は気づいた。自分の人生の「無」は、実は積極的に選ばれたものだったのだと。何も起きないように、何も変わらないように、彼は毎日、無数の小さな選択を積み重ねていた。朝、目覚ましを止めるか止めるまいか。会社に行くか行かないか。妻に「おはよう」と言うか言わないか。すべてを「無」の方向に寄せていた。
男は次に、こう書いた。
「私は、すべてを選ぶこともできる」
紙がわずかに震えた。全を選ぶ。それは、朝、目覚ましを止めずに二度寝をすること。会社を休むこと。妻に「今日はどこかへ行こう」と言うこと。見知らぬ街へ電車に飛び乗ること。道端の花を摘むこと。雨の中を走ること。誰かに恋をすること。誰かを憎むこと。書くこと。捨てること。生きること。死ぬこと。すべてを、同時に、あるいは順不同に選ぶこと。
男は笑った。紙の上では、それが可能だった。彼は無と全を、両方とも自分のものにした。そして、その両方を選んでいる自分自身と、どう繋がればいいのかを考え始めた。
繋がり。
それが問題だった。無を選ぶ自分と、全を選ぶ自分は、同じ一人の男の中に共存している。だが、彼らはお互いを知らないふりをしていた。無の自分は、全の自分を「危険だ」と避け、全の自分は、無の自分を「退屈だ」と見下していた。紙の上で、二人は初めて向かい合った。
男は書いた。
「私は、無の自分を許す」
「私は、全の自分を許す」
「そして、その両方を抱えたまま、明日を生きる」
満足いく繋がり。それは、どちらか一方を捨てることではなかった。どちらも捨てないことでもなかった。どちらも選び、どちらも認め、どちらも自分だと認めることだった。白い紙は、そのための場所だった。現実では両立しないものを、仮初めに両立させ、そこから現実に持ち帰るための橋だった。
私はペンを置いた。
机の上の紙には、今、長い文章が連なっていた。無から始まり、全へ至り、男の物語を経て、再び私自身に戻ってくる。青木透という男が、三年間書けなかった理由も、ここにあったのかもしれない。私は無を恐れていた。書くことが「全」を選ぶことだと勘違いし、書けない自分を「無」だと軽蔑していた。だが、本当は、書かないことも、書くことも、どちらも選択だった。白い紙の前に座る私は、すでに無も全も選んでいたのだ。
雨の音が少し強くなった。隣の部屋で、妻が寝返りを打つ気配がした。私は紙を見つめ、静かに微笑んだ。
この小説は、ここで終わる必要はない。白い紙はまだ余白を残している。私は続きを書いてもいいし、ここでやめてもいい。どちらを選んでも、私は私だ。無も全も選んでいる自分と、満足いく繋がりができた気がした。
ペンを再び握る。次の一文字を、ゆっくりと紙に下ろす。
「続きは、明日」
その言葉を書いた瞬間、紙の白さが、少し優しく見えた。
私は明かりを消し、部屋を出た。廊下は暗く、雨の匂いがした。寝室のドアを開け、妻の横に横たわる。彼女の寝息は変わらず規則正しい。私は天井を見つめ、目を閉じた。
夢の中で、私は再び白い紙の前に座っていた。だが、今度は怖くなかった。紙は空白ではなく、可能性そのものだった。無も全も、そこにあった。そして私は、その両方と、静かに繋がっていた。
朝が来たとき、私は起きて机に向かうだろう。紙はまだある。ペンもある。書くか書かないか。それもまた、選択だ。どちらを選んでも、私は自分に満足できる。それが、小説の極意だと、今は思う。
白い紙に、無も全も選んでいる自分に、いかにして満足いく繋がりができるか。
答えは、書くことにあった。書かないことにあった。そして、その両方を生きることにあった。
私は眠りに落ちた。雨はまだ降っていた。世界は、静かだった。




