第3話:等活地獄・中層の脅威
目を覚ますと、体が軽くなっていた。
リュウジは立ち上がり、体を動かして確認する。
筋肉の痛みはほとんどない。疲労も大分回復している。
「よし……」
祠の外に出る。
等活地獄の風景は相変わらず変わらない。赤い空、黒い岩石、溶岩の川。そして遠くから聞こえる悲鳴。
だが不思議と、最初ほど恐怖は感じなくなっていた。
慣れたのか。
それとも、諦めたのか。
「……どっちでもいいか」
リュウジはインベントリを確認する。
補給は十分。回復薬も水も食料も揃っている。
「さて、次はどうするか」
外縁部はある程度探索した。
下級獄卒の強さも把握した。
一対一なら確実に勝てる。
ならば次は——
「内部に進むか」
リュウジは遠くに見える山を見上げる。
黒い岩石でできた巨大な山。頂上は雲……いや、煙に覆われている。溶岩が噴き出しているのかもしれない。
あの山の方向に進めば、等活地獄の中心に近づくはずだ。
そして中心には、秦広王がいる。
脱衣婆が言っていた、十王の一人。
試練を与える存在。
「まだそこまでは行けねえだろうが……」
リュウジは歩き始めた。
山の方向へ。
外縁部を抜けると、風景が変わった。
地面の亀裂が増え、そこから赤い光と熱気が強く吹き出している。
溶岩の川も太くなり、流れが速い。
そして——
建造物が増えた。
黒い石で作られた建物。大半は崩れているが、中には原型を留めているものもある。
牢獄のような建物。
拷問台のような装置。
巨大な刃が並ぶ通路。
「……何だこれは」
リュウジは慎重に進む。
建物の中には入らない。罠があるかもしれない。
そして——
亡者の数も増えた。
外縁部では数十人の集団だったが、ここでは数百人規模の群れがいる。
互いに殺し合い、蘇生し、また殺し合う。
永遠に繰り返される地獄。
「……見てられねえな」
リュウジは亡者の群れを避けながら進む。
だがその時——
亡者の一人がリュウジに気づいた。
「生者だ!」
叫び声。
一斉に数百の視線がリュウジに向く。
「……やべえ」
リュウジは即座に走り出す。
身体強化:速を発動。
全力疾走。
亡者たちが追ってくる。
狂気の表情で、手を伸ばし、叫びながら。
「来るな!」
リュウジは建物の間を縫うように走る。
角を曲がり、瓦礫を飛び越え、亡者たちを振り切ろうとする。
だが亡者の数が多すぎる。
四方八方から迫ってくる。
「ちっ!」
リュウジは溶岩の川に向かって走る。
川幅は十五メートル。
跳べるか?
いや、跳ぶしかない。
リュウジは身体強化:跳を追加発動。
跳躍力が極限まで高まる。
川の縁で地面を蹴る。
「はああああっ!」
空中を飛ぶ。
眼下には赤く煮えたぎる溶岩。
熱気が顔を焼く。
そして——
対岸に着地。
足が岩石を捉える。
体勢を立て直す。
成功だ。
振り返ると、亡者たちは川の手前で止まっていた。
跳べないのか。
それとも溶岩を恐れているのか。
「……助かった」
リュウジは息を整える。
身体強化を解除。
だがその時——
背後から声がした。
「よくぞ此処まで来た、人間よ」
低い、重い声。
リュウジは即座に振り向く。
そして——
絶句した。
巨大だった。
身長は五メートルを超える。
全身は赤黒い鱗に覆われ、筋肉が盛り上がっている。
頭は鬼そのもの。二本の角が天を突き、目は炎のように赤く輝いている。
手には巨大な金棒。人間の胴体ほどの太さ。
そして——
その鬼の周囲には、十体以上の獄卒が控えていた。
牛頭、馬頭。
全てが武器を構え、リュウジを見つめている。
「……何だ、お前は」
リュウジは蒼刃を抜く。
鬼が笑った。
「我が名は鬼将・業焔。等活地獄中層を統べる者」
鬼将。
下級獄卒を統率する、中ボス級の存在。
「生者がここまで来るとは珍しい。だが、ここが貴様の墓場となろう」
業焔が金棒を構える。
周囲の獄卒たちも武器を構える。
「……一対十以上、か」
リュウジは冷静に状況を分析する。
下級獄卒なら一対一で勝てる。
だが十体以上は無理だ。
そして鬼将——業焔は明らかに下級獄卒より強い。
「……逃げるか」
リュウジは即座に判断した。
ここで戦うのは無謀だ。
リュウジは身を翻し、走り出す。
業焔が吠える。
「逃がすな! 追え!」
獄卒たちが追ってくる。
リュウジは身体強化:速を最大まで引き上げる。
全力疾走。
建物の間を抜け、瓦礫を飛び越え、ひたすら走る。
だが——
獄卒の一体が前方に回り込んでいた。
「!」
棍棒が振り下ろされる。
リュウジは横に跳んで回避。
だが次の獄卒が横から攻撃してくる。
リュウジは蒼刃で受ける。
ガキィン!
衝撃で体が吹き飛ばされる。
地面に転がる。
すぐに立ち上がる。
だが周囲を獄卒に囲まれていた。
五体。
そして後方から業焔が近づいてくる。
「……まずいな」
リュウジは身体強化:全を発動させた。
速・力・跳・耐——全てのパラメータを極限まで引き上げる。
体が光を纏う。
「いくぞ!」
リュウジは最も近い獄卒に向かって突進。
獄卒が棍棒を振るう。
リュウジは下を潜り抜け、獄卒の脇腹を斬る。
深く刺さる。
獄卒が怯む。
その隙に、次の獄卒に向かう。
だが——
背後から棍棒が飛んでくる。
リュウジは避けきれない。
棍棒が背中を打つ。
「ぐあっ!」
吹き飛ばされる。
地面に叩きつけられる。
身体強化:耐で防御力を上げていたが、それでもダメージは大きい。
肋骨が折れたかもしれない。
呼吸が苦しい。
だが立ち上がる。
獄卒たちが迫ってくる。
リュウジは蒼刃を構える。
だがその時——
業焔が動いた。
巨大な金棒を振るう。
速い。
下級獄卒とは比較にならない速度。
リュウジは咄嗟に横に跳ぶ。
だが避けきれない。
金棒がリュウジの左腕をかすめる。
「がっ!」
腕が裂ける。
血が噴き出す。
痛みが走る。
リュウジはバックステップで距離を取る。
インベントリから回復薬(中)を取り出し、飲む。
傷が塞がる。
だが——
「……まだ終わらんぞ」
業焔が再び金棒を振るう。
横薙ぎ。
リュウジは地面に伏せる。
金棒が頭上を通過する。
そして——
リュウジは地面を蹴り、業焔の懐に飛び込む。
蒼刃を業焔の腹に突き立てる。
だが——
「硬ぇ!」
鱗が固い。
刃が弾かれる。
ほとんどダメージを与えられない。
「ふん、人間の武器など我には効かぬ」
業焔の拳がリュウジを打つ。
巨大な拳。
リュウジは剣で受ける。
だが衝撃で吹き飛ばされる。
五メートル以上跳ね飛ばされ、地面を転がる。
「ぐっ……」
立ち上がる。
だが体が悲鳴を上げている。
身体強化:全の反動。
筋肉が痙攣し、骨が軋む。
もう限界だ。
「……このままじゃ、死ぬ」
リュウジは周囲を見渡す。
獄卒が五体。
業焔が一体。
全てがリュウジを囲んでいる。
逃げ場がない。
ならば——
「……強行突破だ」
リュウジは最も薄い包囲網の方向を選ぶ。
獄卒が二体いる方向。
そこに向かって走る。
全力疾走。
獄卒が棍棒を振るう。
リュウジは横に跳んで避ける。
そしてもう一体の獄卒の脇をすり抜ける。
成功だ。
包囲網を突破した。
リュウジはそのまま走り続ける。
業焔の声が背後から聞こえる。
「逃がすな! 追え!」
だがリュウジは振り返らない。
ただ走る。
身体強化:速を維持したまま、ひたすら走る。
建物の間を抜け、瓦礫を飛び越え、溶岩の川を跳び越え——
そして——
ようやく追手を振り切った。
リュウジは大きな岩の陰に座り込んだ。
全身が痛い。
呼吸が荒い。
汗が止まらない。
「……はあ、はあ……」
インベントリから回復薬(中)を取り出し、飲む。
傷が癒える。
だが疲労は残る。
「……完敗だな」
リュウジは苦笑する。
鬼将・業焔。
下級獄卒とは格が違う。
速度、パワー、防御力——全てが上。
そして配下の獄卒を統率している。
一対一でも厳しい。
ましてや配下を従えた状態では勝ち目がない。
「……どうする」
リュウジは考える。
このまま進むのは無理だ。
業焔を倒さない限り、中層を抜けられない。
だが倒す方法が分からない。
「……作戦を立てるか」
リュウジは冷静になる。
冒険者の基本——敵を知り、己を知る。
業焔の特徴を整理する。
まず、鱗が固い。蒼刃では傷をつけられない。
次に、パワーと速度が高い。下級獄卒より遥かに強い。
そして、配下の獄卒を従えている。
「……まず配下を減らすか」
業焔単体なら、何とか戦えるかもしれない。
だが配下がいる状態では無理だ。
ならば——
「配下を一体ずつ倒していく」
時間はかかるが、それしかない。
業焔の配下は十体以上いた。
それを一体ずつ減らしていく。
そして最後に業焔と一対一で戦う。
「……地道だが、それしかねえな」
リュウジは立ち上がる。
だがその前に——
「回復が必要だ」
リュウジは安全な場所を探す。
外縁部に戻るか。
それとも近くに祠のような場所があるか。
リュウジは周囲を警戒しながら歩き始めた。
十分ほど歩いたところで、リュウジは建物を見つけた。
半壊した塔。
高さは十メートルほど。
入口は崩れているが、中には入れそうだ。
リュウジは慎重に中に入る。
内部は暗い。
松明を取り出し、火を灯す。
オレンジ色の光が内部を照らす。
狭い空間。
だが天井は高く、奥には階段がある。
上に登れば、見晴らしが良くなるかもしれない。
リュウジは階段を登る。
慎重に、一段ずつ。
そして最上階に辿り着いた。
そこは小さな部屋だった。
窓が一つあり、外が見渡せる。
リュウジは窓から外を覗く。
眼下には等活地獄の中層が広がっている。
建物、溶岩の川、亡者の群れ。
そして遠くに——
業焔の姿が見える。
配下の獄卒を従え、巡回しているようだ。
「……あそこか」
リュウジは業焔の位置を確認する。
ここからなら、業焔の動きを観察できる。
どのルートで巡回しているのか。
配下の獄卒は何体いるのか。
弱点はないか。
「……観察から始めるか」
リュウジは塔の最上階に座り込んだ。
ここなら安全だ。
業焔も獄卒も、この塔には気づいていない。
リュウジは窓から業焔を観察し続けた。
どれくらい経っただろうか。
時間の感覚がないため分からないが、体感では数時間は経った気がする。
その間、リュウジは業焔の動きをずっと観察していた。
そして——
いくつかのことが分かった。
まず、業焔は一定のルートで巡回している。
溶岩の川沿いを歩き、建物の間を抜け、また川沿いに戻る。
一周するのに、おそらく一時間ほど。
次に、配下の獄卒は十二体。
牛頭が八体、馬頭が四体。
全てが業焔の周囲に控えている。
そして——
時折、配下の獄卒が単独で行動する。
業焔の命令で、周辺を偵察するようだ。
その時、獄卒は一体だけになる。
「……そこだ」
リュウジは作戦を思いついた。
単独行動する獄卒を狙う。
一体ずつ倒していく。
業焔に気づかれないように。
そして配下を全て倒したら、業焔と一対一で戦う。
「……時間はかかるが、それしかない」
リュウジは立ち上がる。
インベントリを確認する。
回復薬、水、食料——全て十分。
武器も問題ない。
「よし、やるか」
リュウジは塔を降りた。
そして業焔の巡回ルートを避けながら、単独行動する獄卒を待ち伏せする場所を探す。
程なくして、リュウジは適した場所を見つけた。
建物の陰。
獄卒が偵察で通るルート。
ここなら業焔から見えない。
リュウジは身を隠し、獄卒が来るのを待つ。
そして——
足音が聞こえた。
ズシン、ズシンという重い足音。
牛頭の獄卒が近づいてくる。
単独だ。
リュウジは息を潜める。
獄卒が建物の陰を通過する。
その瞬間——
リュウジは飛び出した。
身体強化:速と力を同時発動。
蒼刃を振るう。
獄卒の首筋を斬る。
一撃。
深く刺さる。
「ぐおっ!」
獄卒が苦悶の声を上げる。
だがリュウジは止まらない。
二撃目。
三撃目。
首筋を何度も斬りつける。
獄卒が倒れる。
黒い煙が立ち上る。
成功だ。
そして倒れた獄卒の場所に、アイテムが残っていた。
水筒×1。
回復薬(小)×2。
リュウジはアイテムを回収し、即座にその場を離れる。
業焔に気づかれる前に。
リュウジは再び塔に戻った。
窓から業焔の様子を確認する。
業焔は気づいていない様子だ。
配下の獄卒が一体減ったことに、まだ気づいていない。
「……よし、続けるか」
リュウジは同じ作戦を繰り返すことにした。
単独行動する獄卒を待ち伏せし、一体ずつ倒していく。
それから——
リュウジは慎重に、そして確実に獄卒を倒していった。
二体目。
三体目。
四体目。
時間はかかったが、着実に配下の数を減らしていく。
そして——
五体目を倒した時、業焔が気づいた。
遠くから業焔の怒号が聞こえる。
「何者だ! 我が配下を殺す者は!」
業焔が巡回ルートを外れ、辺りを探し始めた。
「……まずいな」
リュウジは塔から出て、身を隠す。
業焔の索敵範囲は広い。
このままでは見つかる。
「……一旦、退くか」
リュウジは中層から離れることにした。
外縁部まで戻り、安全な場所で休憩する。
そして業焔が落ち着いたら、再び中層に戻る。
リュウジは身体強化:速を発動し、全力で走り出した。
業焔の索敵範囲から離れ、外縁部へ——
外縁部の祠に辿り着いた時、リュウジは深く息を吐いた。
「……はあ、何とか逃げ切ったか」
リュウジは祠の中に入り、座り込む。
疲労が襲ってくる。
だが——
成果はあった。
業焔の配下を五体倒した。
残りは七体。
まだ多いが、確実に減っている。
「……もう少しだ」
リュウジはインベントリを確認する。
回復薬、水——消費したが、獄卒からのドロップで補給できている。
このペースなら、あと数回で配下を全滅させられる。
そして業焔と一対一で戦う。
「……勝てるか?」
リュウジは自問する。
業焔の鱗は固い。
蒼刃では傷をつけられない。
ならばどうする?
「……急所を狙うしかねえか」
目、口、関節——鱗のない部分。
そこを集中的に攻撃する。
それしか方法がない。
「……やるしかねえな」
リュウジは目を閉じた。
休憩する。
体力を回復させる。
そして再び、業焔との戦いに挑む。




