第七話 沈黙の裏で
◇◇◇
リュシアンは、窓辺に立ったまま中庭を見下ろしていた。噴水の水音は、遠くからでもはっきりと聞こえる。
(……あの場所で、彼女は笑った)
ふわりと、何かを諦めたようで、それでも確かに強い光を宿した微笑み。
あの表情が、胸の奥に引っかかって離れない。
「ただの姉妹喧嘩ですわ」
あれは、嘘だ。少なくとも、すべてを語らないための言葉だった。
――なぜ、彼女はいつも自分を責めるような言い方をするのか。
――なぜ、傷ついているのに助けを求めないのか。
「……放っておけるわけがないだろ」
王太子としてではなく、ひとりの人間としても。誰に聞かせるでもなく呟いた声は、静かな決意に変わっていく。
リヴィエール家。その中で、不自然なほどに押し殺された存在――アリサ。彼女の髪と瞳の色。水の精霊に愛されし者の証。かつて王家と深く関わった、女公爵の血。
「……調べさせろ」
その一方で――。
◇◇◇
「……っ、なんなのよ……」
マリアは、自室の鏡台を拳で叩いた。爪が食い込み、白い跡が残る。噴水の前で見た光景が、何度も脳裏に蘇る。
ずぶ濡れのアリサ。王太子殿下に肩を掴まれたときに見せたあの顔。
(あんな顔……今まで一度も……!)
自分の前では、決して見せなかった。怯え、黙り、従うだけの養女が。
――殿下の前では、あんなふうに微笑むなんて。
「……許せない」
胸の奥で、黒い感情が膨れ上がる。
あの女は、奪う。自分の立場を。自分の婚約者を。自分が当然持つはずの、すべてを。
「……最初から、あの女さえいなければ」
リヴィエール家に孤児など、必要なかった。愛されるのは、自分ひとりでよかった。マリアの瞳に、歪んだ光が宿る。
「調子に乗らせないわ……」
囁きは、呪いのように甘く、冷たく。
◇◇◇
その夜。王太子の執務室には、信頼する近侍がひとり呼ばれていた。
「極秘で調べてほしい人物がいる」
「……承知いたしました。お名前は?」
一瞬の沈黙。それから、静かな声。
「アリサ・リヴィエールだ」
運命の歯車が、音を立てずに噛み合い始める。




