第六十話 最後の闇
◇◇◇
王都を包んでいた歓声が、ゆっくりと遠ざかっていく。
祝福の雨に濡れた広場を背に、ルシオは一人、石造りの階段を下りていた。足音が、地下へと続く回廊に低く響く。
人々の喜びも、感謝も、彼にとっては無価値だった。
「――やっと、だ」
辿り着いたのは、リヴィエール教会の地下深く。水源のさらに下、古代の神殿跡。
湿った空気の中、水面は黒く揺れている。祝福の雨が王都を浄化する一方で、ここに溜め込まれていた闇は、なおも脈打つように膨れ上がっていた。
「辺境の神殿と同じ……いや、それ以上だ」
ルシオは胸元のペンダントに手を伸ばす。
黒曜石のような宝石が鈍く光り、周囲の闇に呼応する。
「育ったな。実に――美しい」
呪具は、闇の精霊と繋がる器。人の負の感情、生命力、絶望を糧として力へと変える。
信徒も、巡礼者も、仲間でさえも。すべては、この瞬間のための“餌”に過ぎなかった。
だが。
「まさか、王都にもこのような場所があったとはな」
背後から、低く澄んだ声が響いた。
ルシオはゆっくりと振り返る。そこに立っていたのは、寄り添うように並ぶ二人の姿。
「……ご無事で何よりです」
口元に、いつもの穏やかな笑みを浮かべる。
「うるさい。お前が敵であることは、もう分かっている」
吐き捨てるように言ったのはリュシアンだった。アリサもまた、静かな怒りを湛えた瞳でルシオを見据えている。
「敵だなんて、とんでもない」
ルシオは肩をすくめた。
「本心ですよ。あなた達は、私に力を与えてくれる最高の餌ですから……」
次の瞬間、ペンダントから闇が溢れ出した。
漆黒の奔流が神殿を満たし、光を、音を、すべてを飲み込んでいく。
「今度こそ、食べ尽くしてあげますよ。跡形も残さずにね……なっ!」
闇が二人を包み込んだ――かに見えた、その時。
暗闇の中心に、小さな光が灯った。
淡く、温かい光の玉。
それは闇を拒むことなく、静かに――吸い込んでいく。
「な……なんだ、それは……っ」
ルシオの顔から余裕が消えた。
「ぐっ……力が……奪われて……!」
闇は次々と光へと吸収され、光の玉は太陽のように輝きを増していく。
やがて、乾いた音とともに――
ぴしり、と。
ペンダントに亀裂が走り、砕け散った。
「わ、私の……ペンダントが……!」
「これまで、どれほどの人が犠牲になったんだ……」
リュシアンの呟きは、重く、静かだった。
光の玉は役目を終えたように消え、神殿には静寂が戻る。
「くそっ……終わったと思うなよ!」
ルシオは後退りながら叫ぶ。
「まだ闇は育っているんだ!人の心がある限り、いくらでも――」
「いや」
きっぱりと、リュシアンは言った。
「すでに、すべて浄化してきた。ここが最後だ」
言うなり、二人は互いの手を強く握る。
光と水が絡み合い、神殿全体を包み込むように広がった。
闇は抵抗する間もなく洗い流され、消えていく。
「確かに闇は消えない」
アリサが、静かに告げる。
「人の心に、悩みや悲しみ、憎しみが生まれる限り」
そして、微笑む。
「けれど――いつだって、光はそこにあるから」
地下神殿は、再び澄んだ水音だけを残して静まり返っていた。




