第六話 静かな通告
◇◇◇
それは、ある日の夕食後のことだった。
「アリサ、少し話がある」
呼び止められた声は、ひどく事務的だった。
父――であるはずのその人は、アリサを一度も見ようとしない。
食堂には、すでにマリアの姿はない。継母だけが、にこやかな笑みを浮かべて席に残っていた。
(……ああ)
その時点で、察してしまった自分がいた。アリサは静かに椅子に腰掛け、背筋を伸ばす。どんな話が来ようと、驚いてはいけない。感情を見せてはいけない。
「お前も、もうすぐ成人だな」
父の言葉に、継母がゆっくりと頷く。
「ええ。ですから、将来のことを考えるとね。成人を迎えた養女をこのまま公爵家に置いておくのは、色々と都合が悪いことが出てくるの」
“養女”。
わざわざ強調するその言い方に、胸の奥がわずかに冷えた。
「そこで、良い話があるのよ」
継母は、慈愛に満ちた母親のような表情で言った。
「戒律の厳しい修道院ですけれど、とても由緒正しくて」「世俗から離れて祈りに身を捧げる生活は、あなたのような子にはぴったりでしょう?」
修道院。その言葉が意味するものを、アリサはよく知っていた。一度入れば、簡単には戻れない。外界との接触は制限され、社交界とも、貴族社会とも切り離される。
――つまり。
「……わたくしに、公爵家を出て行けと」
静かに確認すると、父は一瞬だけ視線を揺らした。
「そういう言い方をするな」 「これは、お前のためでもある」
(嘘)
喉元まで出かかった言葉を、飲み込む。
「マリアの成人後、彼女が正式に公爵家を継ぐ」 「その前に、余計な混乱は避けたいのだ」
余計な、混乱。アリサは、心の中で小さく息を吐いた。
「……承知いたしました」
そう答えると、継母の表情が満足げに緩む。
「聞き分けが良くて助かるわ」 「さすが、孤児院育ちは違うのね」
その言葉に、父は何も言わなかった。アリサは立ち上がり、一礼する。
「失礼いたします」
部屋を出たあと、足取りは乱れなかった。廊下を歩き、自室の扉を閉めてから、ようやく小さく息を吐く。
「……いよいよ、なのね」
窓辺に置かれたクッションの上で、黒猫が静かに尻尾を揺らした。アリサは膝をつき、猫を抱き上げる。濡れた噴水の冷たさとは違う、温かな重み。
「修道院、ですって」
猫は何も言わない。ただ、その金色の瞳が、すべてを知っているかのように静かに光る。
(間に合うかしら)
王太子殿下が動いていることは、うっすらと感じていた。けれど、それが“間に合う”とは限らない。修道院に入れられてしまえば、終わりだ。
それでも――。
「……大丈夫」
自分に言い聞かせるように、アリサは呟いた。
「わたくし、ちゃんと準備してきましたもの」
黒猫の額に、そっと額を寄せる。静かに、爪を研ぐ時間は、まだ残されている。
――そう信じて。




