第五十九話 祝福の雨
◇◇◇
アリサとリュシアンが姿を消してから数ヶ月。王都は深刻な水不足が問題になっていた。
最初に起こったのは、井戸水の異臭騒ぎだった。透明だった水に不純物が混じるようになり、徐々に淀んできたのだ。
最初は井戸の底に沈殿した泥や、雨が振らない一次的な水不足によるものだと誰もが思った。
だが、日を追うごとに井戸の水は濁りは増し、やがて異臭を放つようになる。雨もなく、噴水は色を失い、水路を流れる水は鈍く光を反射した。
リヴィエール教会と王室はありとあらゆる調査を行ったが、その原因はいまだ掴めていなかった。
ただ分かったのは、王都周辺の水源が何らかの原因によって汚染されているということ。そして──それは徐々に広がりを見せているということだった。
人々の不安は徐々に焦りへと変わり、それが怒りに変わるまで、そう長くは掛からなかった。
「飲める水をよこせ!」 「そうだ!リヴィエール教会だ!あそこなら綺麗な水があるはず――」
人々は綺麗な水を求め、王都中心に建つリヴィエール教会へと押し寄せた。
大神官は、神殿が保有する飲水を全て民へと分け与えた。だが、リヴィエール教会が管理している水源も汚染されたため、教会が配れる飲水の量は限られており、とてもではないが、水の供給が追いつかない。
人々は連日リヴィエール公爵家の門の前にも列を成した。だが、公爵家は静まり返っており、その門は固く閉ざされたまま。次第に、当主不在の噂が王都を駆け巡った。
水の加護を司る家。その当主の不在は、民衆をさらなる恐慌へと掻き立てる。
「リヴィエール家の当主はどこだ!」 「水の加護を持つ者を出せ!」
王都前の広場で、リヴィエール公爵家の前で、王都のありとあらゆる場所で怒号が飛び交い、今にも暴動が起きかねない空気が王都を包んだ。
一方、王宮もまたざわめいていた。
「こんなときにリュシアン殿下の姿が見えないのは不自然だ!」 「王家は何を隠している!」
貴族たちの詰問を前に、王はついに決断する。
「これ以上、二人の不在を隠すことはできない。私が直接民に話す。準備を進めてくれ」
「陛下!このような状態で民の前に姿を現すのは危険です!」
「このままでは収まるまい。これ以上異常が長引くようならば……王家として、責任を取らねばなるまい」
「陛下……」
国王の覚悟を前に、宰相が深く頭を垂れた。
◇◇◇
「王族は水を独り占めする気か!」
「リヴィエール公爵家の当主を出せ!」
王都では、王族と貴族のみがリヴィエール公爵家の水の加護によって綺麗な水を独占している、との噂がまことしやかに流れており、誰もがその噂を信じていた。王族や貴族たちは、自分たちだけがより澄んだ良い水を得るために、民の生活を犠牲にしたのだと。
王宮前広場。今にも民の暴動が起こりそうなその場所に、国王が姿を現した。その瞬間、一斉に怒号が飛び交う。
「国王は責任を取れ!」
「俺たちに水を返せ!」
押し寄せる民を必死でとめる兵士たち。
「陛下!やはり危険です!」
「これ以上はっ!」
──その時だった。
「――父上。遅くなりました」
混沌とした広場の前に、静かな声がはっきりと響いた。
ざわり、と空気が揺れる。
人垣を割って現れたのは、寄り添うように立つ二人の姿。リュシアンと、アリサだった。
「……良く戻った」
国王の低い声に、安堵が滲む。
「リヴィエール公爵家?」
「あの娘が……」
ざわめきが波のように広がると、広場が静寂に包まれた。みな、突然現れた二人を、固唾を呑んで見守っている。
アリサとリュシアンは互いに向き合い、そっと両手を重ねた。右手と左手を絡め、祈るように指を結ぶ。
次の瞬間――空が、光を宿した。
降り注いだのは雨だった。だがそれは、ただの雨ではない。柔らかな光を帯びた雫が、王都全体を包み込む。
噴水が澄み、井戸の水が透明に変わる。水路を流れる水が、かつての輝きを取り戻していく。
人々は呆然とその光景を見上げ、やがて――
「わあああ……!」
歓声が、王都に満ちた。
祝福の雨は静かに降り続け、やがて役目を終えたかのように止む。
アリサとリュシアンは、固く繋いだ手を離さずにいた。
だが、その背後で――
祝福の光が届かぬ場所に、別の影が静かに動き出していることを、まだ誰も知らなかった。




