第五十五話 地下へ
◇◇◇
水源池の奥へと続く獣道は、人の手がほとんど入っておらず、生い茂る枝を払いながら進んでいく。湿った土の匂いと、冷たい空気が肌を撫でる。
「この先に……何があるんだ?」
剣を構えたまま、リュシアンが低く問う。
「水源地のさらに奥に……」
先を歩くルシオは、静かに答えた。
「古い記録に残る場所があります。人の立ち入らぬ――地下洞窟が」
アリサは胸の奥がざわつくのを感じていた。 水の流れが、ここだけ不自然に重い。清らかであるはずの水が、何かに縛られているような感覚。
ほどなくして、岩壁に口を開けた洞窟が現れた。
「……ここね」
冷たく、澱んだ空気。松明の灯りが揺れ、壁に刻まれた古い紋様が浮かび上がる。
「この模様は何かしら……」
「見たことはないが……闇の精霊に関わるものかもしれないな」
洞窟は、想像以上に深かった。進むにつれ、地面を流れる水は黒く濁り、靴底にまとわりつく。
そして、視界がひらけたとき。
「……これは……」
巨大な地下神殿が姿を現した。
広い空間に崩れかけた石柱。そして、神殿の中央に広がる水場。
かつては清浄な水をたたえていたであろうその場所は、今や底知れぬ闇に黒く濁っていた。その上空に――ふわりと浮かぶ漆黒の玉。
「……っ!」
ぞわっと、一気に鳥肌が立つ。言葉にできない恐怖が、背筋を這い上がる。
「あれは……精霊……?」
アリサの声が、かすれる。
水と闇が絡み合うように混じり合っており、脈打つごとに周囲の闇が濃くなる。
そのときだった。
ざり……ざり……と、いくつもの足音が重なる。
神殿の奥、柱の影、崩れた壁の向こうから、 ぞろぞろと人影が現れ始めた。
黒衣の信徒たち。
「……最高の贄……」 「いと尊き神よ……」 「捧げよ……捧げよ……」
呪文のように呟きながら、視線は一斉に――アリサへ向けられる。
「っ……!」
「アリサ!」
リュシアンが前に出るのと同時に、信徒たちが一斉に襲いかかってきた。
必死に水の力を放つアリサ。剣を振るい、彼女を守るリュシアン。
だが――
「くっ……!」
二人の足元から、黒い靄が絡みつく。腕に、脚に、胸に。冷たく、重く、意識を侵す闇。
「身体が……思うように動けないっ……!」
アリサの視界が揺れる。恐怖、焦り、不安。 心の隙間に、闇が流れ込んでくる。
その様子を――
少し離れた場所から、ルシオは静かに見つめていた。助けに入るでもなく。祈るでもなく。
ただ、神殿の中心を。
闇の精霊本体が、不気味に震え始める。
水面が波打ち、空間そのものが軋む。闇が、歓喜するかのように脈動する。
「……おお……」
ルシオが、ぽつりと呟いた。
「ついに……目覚めるのだ……」
その声は、誰にも届かない。いや―― 闇だけが、それに応えていた。




