第五十四話 水源に潜む影
◇◇◇
湖は、不気味な静けさに包まれていた。湖畔に立つ黒衣の男たち。その足元で、一人の男が小瓶を傾ける。
――とろり。
透明だったはずの液体が湖に落ちた瞬間、その周囲の水がじわりと濁っていく。まるで、生き物のように闇が広がっていく様子に、アリサは息を呑んだ。
「……あれは……」
「お前たち、何者だっ!」
鋭い声と同時に、リュシアンが前へ出る。黒衣の男たちは一斉に顔を上げ、不気味な笑みを浮かべた。
次の瞬間。男たちが同時に踏み込み、常人離れした速さで襲いかかってくる。
「ちっ……!」
剣を抜いたリュシアンが応戦するが、男たちの動きは異様だった。一撃一撃が重く、力の質がどこか歪んでいる。
「危ない!アリサ様、こちらへ!」
ルシオがアリサの腕を引き、戦場から遠ざけようとする。だが、アリサは首を振った。
「いえ。私も……戦います!」
そう言って、ルシオの手を振りほどくと、湖へと向き直る。アリサが両手を掲げると、水が応えるように揺れた。
「清き水よ――」
光を帯びた水流が走り、男たちを弾き飛ばす。
だが、倒れたはずの男たちは、すぐに立ち上がった。
「……普通じゃない」
リュシアンが歯噛みする。
男たちの身体には、黒い靄のようなものが絡みついている。力を振るうたび、その闇が脈打つのが見えた。
「あれは……闇……」
アリサの声に、ルシオが静かに頷く。
「やはり……この者たちは、闇の信徒です」
「闇の……信徒?」
リュシアンが一瞬だけ視線を向ける。
「ええ。闇の精霊を信仰する者たちです」
ルシオは、戦況を見据えながら、低く語った。 「彼らは各地に潜み、水や土地を汚染し、闇を育ててきました。リヴィエール教会は、長年彼らと戦ってきたのです」
アリサは驚いたように目を見開く。
「そんな人たちが……」
「実は、今回の巡礼の旅の目的の一つも、彼らの本拠地を探し出すことでした。闇の精霊の力を、完全に封じるために」
その言葉に、リュシアンは剣を握り直す。
「つまり……ここは、その入口というわけか」
「その可能性は高いでしょう」
再び男たちが迫る。 だが今度は、二人が並び立った。
「殿下、一気に片付けましょう」
アリサがリュシアンに視線を向ける。
「そういうことなら、遠慮はいらないな」
二人の力が、交差する。
水と光。
闇の信徒たちは、次々と地に伏していった。
最後に残った男が、悔しげに叫ぶ。
「これで、終わったと思うなよ……」
そう言い残し、男そのまま森の闇へと消えていった。湖畔に、再び静寂が戻る。だが、汚染された水は消えない。アリサは湖を見つめ、静かに呟く。
「……放っておけないわ。すぐに跡を追いましょう」
「ああ」
「この先に神殿があります。恐らく、奴らはそこに逃げ込んだのでしょう」
「ルシオ枢機卿、案内を頼めるか?」
「お任せください」
「では急ぎましょう!」
前を向いて走り出す二人。ルシオの唇が微かに歪んだことに、二人は気付かなかった。




