第五十二話 巡礼の道行き(二)
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アリサ達一行が最初に訪れたのは、小川の名残のような水路が集落を巡る、静かな村だった。
村の中央には古い井戸があり、その脇に小さなリヴィエール教の教会が建っている。石造りの壁は風雨に晒され、ところどころ欠けていた。
突然村にやってきた神殿の馬車を、遠巻きに見守る村人たち。しかし、ルシオが馬車から降りると、わっと歓声が上がった。
「ルシオ様だ!」
「ルシオ様いらっしゃい!」
口々に挨拶をしてくる村人たち。ルシオは一人一人にこやかに話し掛ける。
「やぁベン。膝の調子はどう?」
「キャサリン、お孫さんは元気にしてる?」
「ライラかい!驚いた!お母さんになったんだね」
「ルシオ様はこの村の人をよくご存知なんですね」
村人との距離の近さに驚くアリサ。
「ええ。この村は私の最初の赴任地だったんです。みな、家族のようなものですよ」
穏やかな声でそう言って、彼は自然に子どもたちの輪の中に入る。
木の枝を剣に見立てて振り回していた少年に目を留めると、膝を折って視線を合わせた。
「剣の持ち方がいいな。誰に教わったんだい?」 「お父さん!」
「そうか。私にも教えてくれないか?」
「いいよ〜!こうだよ!」
「凄いな!こうかい?」
子どもたちもすぐに懐き、ルシオの袖を引いては話しかけていた。
「凄いわ。ルシオ様は大人気ね」
アリサは子どもたちと鬼ごっこを始めたルシオをみて、ひとしきり感心していた。
(大神官様は威厳がある優しいお方だけど、ルシオ様は誰もが親しみやすい雰囲気を持っている。枢機卿と言う高い地位にありながら、少しも偉ぶった所がないのは、なかなか出来ることではないわ。私も見習わなきゃ)
貴族学園で散々貴族の傲慢さを見てきたアリサにとって、分け隔てなく庶民と共に過ごすルシオの姿は意外であり、嬉しい誤算であった。
ひとしきり子どもたちと遊んだルシオが、木陰で休憩をしているときを見計らい、アリサはそっと冷たい水を差し出した。
「ああ、これはお気遣いありがとうございます。実は喉がカラカラで」
「ふふ。子どもたち、容赦がありませんものね。リュシアン様なんて、あちらでずっと騎士ごっこをさせられていますよ。案外楽しそうですけど。ルシオ様は皆さんからこれほど慕われていて……正直羨ましいです。私は子どもの頃から一人でいることが多かったので、人との付き合い方が良く分からなくて……」
一瞬、彼は言葉に詰まり、困ったように笑った。 「そんなことは……。私には、これくらいしかできませんから」
そして、少しだけ声を落とす。
「私は侯爵家の次男でして。代々、軍人を出してきた家です。本当なら、剣を取る立場でした。ですが、魔力が少なくて。軍人には向かないと判断されました。なりたくて神官になったのでは無いのです。神官になるしか、道が無かった」
どこか自嘲を含んだ告白。
「ですが、神殿に入ってから思ったのです。力がなくても、人の話を聞くことはできる。寄り添うことは、できるのだと」
アリサは小さく頷いた 。
「……そうだったんですね。沢山の葛藤を乗り越えられたからこそ、今のルシオ様があるのですね。尊敬します。私も、ずっと価値の無い存在だと言われ続けてきました。だからこそ、誰かの役に立てる人間になりたいと、思うのかもしれません……」
その言葉に、ルシオはわずかに目を見開き、すぐに視線を逸らした。
「ねぇねぇ、お姉ちゃんも神官様なの?」
駆け寄ってきた小さな少女がアリサの手を引いた。
「ごめんね、私は違うの」
「じゃあ、あっちのお兄ちゃんが神官様?」
「うーん、あのお兄さんも違うのよ」
「じゃあ、何しに来たの?お兄ちゃんが聞いてこいって」
「あ!こら馬鹿!言うなよ!」
子どもたちはアリサとリュシアンが何者なのか気になるようで、先ほどからチラチラとこちらの様子を伺っていた。
「この方たちは……」
言いかけたルシオを、シッと唇に指を当てて止めると、目配せをするアリサ。
「お兄さんとお姉さんは、ルシオ様のお友達なの。ルシオ様のお供として村の人達のお手伝いに来たのよ。あっちのお兄さんは騎士で、お姉さんは魔法使いよ」
「凄い!魔法使いなの?どんな魔法が使えるの?」
魔法使いと聞いて、目を輝かせる少女。この国で魔法を使うことができるのはほんの一部の上位貴族のみ。平民の中から魔法使いが生まれるのは、本当に稀な……奇跡と言っていいほどの確率だった。
「魔法、見てみたい?」
「うん!」
「いいよ。じゃあ目をつぶってくれる?」
「わかった!」
少女がぎゅっと両目を閉じる。
「いいわよ」
少女が目を開けると、水で出来た蝶がひらひらと目の前を飛びたった。
「すごいすごーーーい!」
少女は飛んでいく蝶を追いかけていく。
ルシオはその光景を目を細めて見守っていた。
その後、三人は村の井戸へと向かった。
覗き込んで見ると、水位は低く、底の石が露わになっている。
「これは……想像以上にまずい状態だな」
リュシアンが呟くと、井戸まで案内してくれた村長が肩を落とした。
「ええ。ここ数日で一気に水位が落ちています。この先どうなるか不安で……」
「アリサ、頼めるか?」
リュシアンの言葉に力強く頷くアリサ。
アリサが指を組んで祈ると、澄んだ水音が井戸の奥から響き、冷たい水が溢れ出す。
「……おお……!」 「奇跡だ……!」
歓声が上がり、村人たちの視線が一斉に集まる。
さきほどまでルシオを囲んでいた子どもたちも、我先にと井戸へと駆け寄った。
その少し後ろで、ルシオは光に照らされた水面を、静かに見つめていた。
「本当に……こうして本物の奇跡を目の当たりにすると、感動してしまいますよね……」
どれほど人に寄り添っても。どれほど努力を重ねても。祝福という名の理不尽な力の前では、すべてが霞んでしまう。ルシオはその事実を、誰よりもよく知っていた。
やがて村を後にする一行を、村人たちは笑顔で見送った。手を振るルシオの表情は、変わらず穏やかだったが、その胸の奥に沈む無力感だけが、静かに、確かに残っていた。




