第四十九話 覚悟と約束の庭で
◇◇◇
リヴィエール公爵家の朝は、忙しい。
当主執務室の机には、今日も山のように書類が積まれていた。領地の水利報告、予算案、使用人の再編成案、そして――神殿から届いた形式ばった書簡。
「……問題があるとは思ってたけど。想像以上だったわ」
アリサは息を整え、軽やかにペンを走らせる。
「これは早急に手配してちょうだい」
「ああ、使用人の採用についてはエドガーに一任するわ」
迷いのない決断力で、次々に仕事をこなすアリサ。
「さすがです、お嬢様!いえ、当主様!」
張り切った声を上げたのは、執事のエドガーだ。 アリサが当主の座に収まってから、待ってましたと言わんばかりに次々と改革案を提示してくる。
「使用人は能力重視で再配置しました。古いしがらみは一掃しましょう」
「そうね。新しい使用人も、家柄よりも本人の能力と人柄重視で選んでちょうだい。私の采配に不満のある者は解雇して構わないわ」
「かしこまりました」
情に流されない判断。その冷静さに、エドガーは内心で何度も頷いていた。公爵家は新しい当主の元、活気に満ちている。
だが―― ひとつだけ、どうしても解けない謎があった。
(あの呪具のネックレス……)
マリアの手に渡った経路が不明のままだった。本物をアリサが持っているため、ただのイミテーションとして、作らせたのだと思っていた。誰が、いつ、何の目的であの呪具をマリアに渡したのか。公爵家の内部の人間か、それとも神殿か。
(あの時闇は真っ直ぐに玉座に向かった。真の狙いは公爵家ではないのかもしれない。リヴィエール公爵家を利用して、王家を狙う存在がいるとしたら……)
アリサはそれを、胸の奥に刻み込む。だが、恐れはなかった。
(どんな敵が来ようと――私が守ってみせるわ)
リヴィエール公爵家の正統なる当主として。
そのとき、控えめなノックの音が響いた。
「エドガー、お通しして」
「忙しそうだな」
扉を開けて入ってきたのは、リュシアンだった。リュシアンは学園を卒業してからも、忙しい合間を縫ってたびたび公爵邸を訪れており、今ではすっかり一緒にお茶を楽しむ仲になった。
「ちょうど休憩にしようと思っていたところですわ。ご一緒に、お茶でもいかがですか?……少し、気になることもございますし」
◇◇◇
庭のガゼボには、柔らかな陽光が降り注いでいた。白磁のカップから立ち上る湯気が、ゆっくりと揺れる。
「なるほど。私の方でも調査しておこう。過去に発見された呪具についても、所有者を洗い出す必要があるな。最悪、公爵家以外にも、似たような呪具が出回っているかもしれない。……問題は山積みだな」
リュシアンが難しい顔で呟いた。
「ええ」
アリサは頷き、少しだけ口角を上げた。
「腕が鳴りますわね?」
アリサの言葉にリュシアンは破顔する。
「ハハハ、君は本当に頼もしいな」
そして、目を細めた。
「だが、一人で抱え込まないこと。困ったことがあれば何でも相談してくれ。君の力になりたい」
「ありがとうございます、殿下」
「……リュシアンと呼んでくれるはずでは?」
アリサは一瞬、視線を逸らした。
「ふふ。なんだか照れくさくて……それに、お互いもう学生ではありませんもの。不敬ですわ」
短い沈黙の後、リュシアンが口を開く。
「……旅に出ると聞いた」
「エドガーったら」
アリサは苦笑する。
「今すぐではありませんわ。けれど、この国には、水の足りていない地域がまだ沢山ございます。王都から加護を与えるだけでは、辺境の村には届きませんの」
「いつ、出発するんだ?」
「できるだけ早い時期に。一日でも早く、水を届けたいのです」
「そうか……」
リュシアンは、静かに決意を宿した声で言った。 「私も共に行く」
「えっ!?」
アリサは目を見開いた。
「何を仰ってるんですか!王太子殿下が城を空けるなんて、とんでもない!」
「陛下は健在だし、城には有能な者が揃っている。私一人ぐらいいなくなっても、どうということはない」
「そんなわけないでしょう!」
珍しく感情を露わにするアリサに、リュシアンは一歩近づく。
「君に……また何かあったらと思うと、怖いんだ」
そのあまりに真剣な声に、思わずアリサも言い淀む。
「殿下……」
「もう、あんな思いは二度としたくない」
沈黙。そして――
リュシアンは、ゆっくりと片膝をついた。
「アリサ・リヴィエール」
真剣な声。
「私と結婚してくれないか?」
「……ええっ!?」
アリサは真っ赤になって立ち上がる。
「む、無理です! 絶対に無理!」
「……そんなに嫌われていたとは思わなかった……」
「ち、違います! 嫌いじゃありません!」
「では、好きではないと?」
「それは……すき、ですけど……」
消え入りそうな声。
「アリサ! 愛してる!」
勢い余って抱きつくリュシアン。
「きゃーーー!!」
「す、すまない! つい……」
「今日はもうお帰りください! 仕事が残ってますから!」
「では、また明日来よう」
「明日はだめです!」
「……照れているのか?」
「知りません!」
顔を真っ赤にして去っていくアリサ。その後を追うリュシアン。
ガゼボの陰で、白猫と黒猫は揃って欠伸をした。
――まだ世界には闇が残っている。だが、二人はもう、ひとりではない。
水は流れ、光は寄り添う。未来へと続く道は、確かにそこにあった。




