第四十二話 交わる守護者
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漁師村に、見慣れぬ一団が現れたのは、昼を少し過ぎた頃だった。
白を基調とした法衣。胸元には、水の紋章。 だが、その歩みには祈りの静けさも、敬虔さもない。
「……ここか」
先頭に立つ男が、苛立たしげに舌打ちする。
「噂に聞いた“水の村”ってのは。ずいぶんと、みすぼらしいじゃないか」
村人たちは戸惑いながら道を空けた。 その視線の先で、洗濯物を抱え、井戸のそばに立っていた少女が顔を上げる。
「あの娘じゃないか?」
無言でツカツカとアリサに近づく男たち。
「……何か?」
警戒するアリサに、男は面倒そうに顎をしゃくった。
「お前か?最近この村に流れ着いたっていう娘は」 「……」
「私たちと一緒に来てもらおう。大神官様のご命令だ。大人しく従え」
命令口調に、アリサは思わずムッとした。
「行きません。洗濯の途中ですので、失礼します」
アリサの態度に神官が吠える。
「貴様!教会に逆らうのか!村娘のくせに偉そうにっ!」
男がアリサの腕を掴もうとした、その瞬間。
――フーッ。
低く、鋭い威嚇の音。アリサの足元で、黒猫が毛を逆立て、男たちを睨みつけていた。
「……なんだ、この獣」
「ただの猫だろ。どけ」
もう一人の男が足を進めた刹那。
「――その手を、離せ」
低く、凛とした声が、村に響いた。
男たちが振り返る。
そこに立っていたのは、旅装の青年だった。だが、その佇まいは、明らかに“ただ者”ではない。
彼は迷いなく、少女の前に立ちはだかる。
「彼女に、触れるな」
「お前は何者だっ!」
「名乗る必要はない。ただ――」
青年の視線が、男たちを射抜く。
「これ以上、彼女に近づけば、相応の対応を取る」
剣呑な空気。互いに睨み合う中、青年――リュシアンの胸には、強い不信が渦巻いていた。
(リヴィエール教会の神官がなぜここに?下っ端のようだが……まさか……こいつらが、彼女を害したのか?)
そのとき――。
「お待ちください!!」
年老いた声が、切迫した調子で割って入った。 道の向こうから、白髪の大神官が息を切らして駆け寄ってくる。
「ま、間に合いましたか……」
そして、彼は―― 少女を一目見た瞬間、息を呑んだ。
溢れる水の気配。澄み切った、濁りなき精霊の祝福。
次の瞬間、感極まった大神官はその場に膝をつき、深く頭を垂れた。
「……おお……」
震える声で、言葉を絞り出す。
「間違いない。お待ちしておりました。あなたこそ――私たちが、長年待ち望んでいたお方……」
「え、え……?」
アリサは目を見開き、慌ててリュシアンの袖を掴んだ。
「こ、この方は?どういう……あの、やめてください。せっかくのお召し物も汚れてしまうわ」
アリサは老大神官の手を取り、支えて立ち上がらせると、神官服に付いた汚れを優しく払う。
「おお、この老いぼれになんとお優しい……」
あまりの光景に、リュシアンも言葉を失う。 先ほどまでの緊張が、一気に霧散した。
「だ、大神官様!?」
少女の前にひざまずいた大神官を見て、下っ端の神官たちが、青ざめる。
「貴様ら……!」
大神官は神官達を睨みつけると、怒声を放った。 「神官ともあろうものが、女神の娘に無体を働くとはなんたることだ!!貴様らは破門だっ!わしの前から永遠に消え失せろ!」
「ち、違います!我々は、ただの村娘だと……!」 「愚か者!!」
杖を打ち鳴らし、激しく叱責する。
「例え身分がなくとも、水の精霊に愛されし御方だ!触れることすら、畏れ多い!!それが分からんのかっ!」
そして、大神官は深く頭を下げた。
「神殿として、ここに宣言いたします。あなた様こそ――私たちがお仕えすべき、“水の加護を受けし女神の娘”です」
その場が、静まり返る。
リュシアンは一歩前に出た。
「では、私からも名乗ろう。私の名はリュシアン・ルミエール。この国の王太子だ」
その声音に、威厳が宿る。
「そして、彼女の名前は、アリサ・リヴィエール。リヴィエール公爵家の、正統なる後継者だ」
どよめきが起こる。
アリサは、ぎゅっと拳を握りしめ、一歩前へ出た。まっすぐに、前を見据えて。
「私の名前は、アリサ・リヴィエール。以後、お見知りおきを」
大神官の目に、涙が浮かんだ。
「リヴィエール……おお……精霊は、この国を、リヴィエール家を見捨てたのではなかった……」
声を震わせ、深く頭を垂れる。
「我らは水の女神の下僕。リヴィエール教会の者。リヴィエール家の後継者に、ご挨拶申し上げます」
やがて、大神官に付き従っていた中堅の神官が恐る恐る問いかけた。
「で、では……後継者として紹介されていた、あの少女は一体何者なのですか……?」
アリサは、唇を噛みしめる。
奪われた名。奪われた立場。奪われた居場所。
「……奪われたものは」
静かに、しかし強く。
「必ず、取り戻します」
大神官は、力強く頷いた。
「公爵家の内部にも、良からぬことを考える輩がいるようですな。教会までも謀ろうとは、我らも舐められたものよ。必ず、お力になります。この命に代えても」
こうして――。 水の精霊に愛されし少女は、王太子と、教会という二つの守護を得た。
その帰路、リュシアンはそっと彼女の隣に立つ。 「……無事で、本当に良かった」
その声は僅かに震えていた。
(こんな辺境の村まで、殿下自ら駆け付けてくれるなんて……)
アリサの胸にも、リュシアンに再び逢えた喜びが溢れる。
「はい。……迎えに来てくれて、ありがとうございます。──実は、王都へどうやって帰ったら良いのか分からなくて、困っていたんです」
「──っ!そうだったのか!もっと早く迎えにこれなくてすまない!」
「ふふっ、大丈夫です。結構楽しくやってました。村の人達にも本当に良くしていただいて。──自分のやるべきことが分かった気がします」
「そうか……でももう、突然君がいなくなるのは勘弁してほしいな……心臓に悪すぎる」
「殿下……」
「リュシアンと、呼んでくれないか?」
「……リュシアン、様?」
(くっ、これはこれで心臓に悪いな)
漁師村に生まれた小さな奇跡は、ついに王都へと向かう。 それは、運命が再び動き出した証だった。




