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公爵家の養女は静かに爪を研ぐ 〜元々私のものですので、全て返していただきます〜  作者: しましまにゃんこ


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第三十九話 水の噂


◇◇◇


 最初にその村の変化に気づいたのは、隣村の女だった。


 干上がりかけた村の井戸。何日も洗っていない汚れた服。支給された僅かな水はとうに飲みきり、幼い子ども達も水不足に喘いでいた。真水を求めて水桶を抱えて村を出たものの、貰える当てなどない。近隣の村はどこも似たような有様だからだ。


 重い足取りで海沿いの道を歩いていたとき、ふと目にした光景に足を止める。 小さな漁師村の井戸の周りに、人が集まっている。 それだけなら珍しくない。だが――。

「嘘だろ、あんなに水が……それに、なんだい、あの水は……」

 井戸から汲み上げられる水は、異様なほど澄んでいた。 陽の光を反射し、まるで淡く光っているように見える。


「ここだって水が枯れかけてたはずじゃ……」

 そのとき、水桶を担いだ女に気付いた村人が女に声をかけた。

「姉さん、水が欲しいのかい?ほら、持ってきな!」

「い、いいのかい?こんな貴重な水、よそ者の私が貰っちまって」


「いいんだよ。水は後から後から湧いてくるんだ。ほら、好きなだけ持ってきな。今、村の女たちが総出で洗濯してるんだ。あんたもついでに洗っていくかい?子どもたちはこっちで水浴び中だ」

 風呂桶代わりの大きな樽では、子どもたちが嬉しそうに水を掛け合っている。


「突然なんだってこんな……雨だってろくに降っちゃいないだろ?」

「それがよ、急に井戸に水が戻ったんだ」

「戻ったどころじゃないさ。前よりずっと、いい水だ」

 村人たちは誇らしげにそう言う。 勧められるまま、恐る恐る水を口にした女は、思わず息を呑んだ。


 ――冷たくて甘い。  

今まで生きてきて、こんなに美味しい水を口にしたのは初めてだった。

「……どうして、こんな……なんで、ここだけ……おかしいじゃないか」

 その問いかけに、村人たちは言葉を濁す。

「まぁ、ちょっと色々あってな」

「色々ってなんなんだい!頼むから教えてくれよ!」

「でもなぁ」

 気まずそうに顔を見合わせる男たち。余計なことは言うなとばかりに圧力をかける女たち。


 そこに居合わせた村の年寄りがポツリと呟いた。

「この村を救ってくださったのは女神様じゃ」

 女神の御業。そんな馬鹿なことを信じるとでも?その言葉に、女は思わず笑いかけ── 井戸の縁に残る、淡い光の名残に目を見張る。

 昔、遠い昔に、見たことのある水の精霊たち。まだ水が豊かだったとき、水面にキラキラと光る光の残照を、大人たちはこう呼んだ。

「……リヴィエールの、水の加護……?」


◇◇◇


 噂は、風のように広がった。

 水を分けてもらった者が、次の村へ。 次の村から、さらに奥へ。


「枯れた井戸に水が戻った」「豊かな水に恵まれた村」「水の加護を与える少女」


そして、

……リヴィエールの女神の再来


 年寄りたちが、遠い昔の記憶を掘り起こす。

 水不足に苦しんだ村々を救った、水の精霊に愛された少女の話。


「……じゃあ、その娘も、同じ力を持ってるってことかい?」

「確か、水の女神の名前を貰って、リヴィエール家の当主になったんじゃ無かったか?」

「ずっと前にご当主様が亡くなったって言う公爵家の……」

「そう言えば、そのころから井戸の水が減り始めたんじゃなかったか?」

「それって加護を与える人がいなくなったせいで、井戸が枯れ始めたってことなのかい?」


 答えは出ない。だが、噂は次第に真実味を帯びて行く。


◇◇◇


 その頃、漁師村では。


 大量の洗濯物を洗うおかみさんの横で、洗い物を抱えて動き回るアリサの姿があった。


 井戸の水を使って、溜め込んだ鍋や布を洗う。以前なら、どこの家もこんなふうに水を使う余裕はなかったのだろう。張り切って洗ったものが山のように積み重なっていく。


「悪いねぇ、こんなことまで手伝って貰っちまって。ここはもういいから、お嬢さんはあっちで休んでなよ」

「平気です。お手伝いさせてください」

 そう言って、袖をまくり、せっせと手を動かすアリサ。ぎこちないが一生懸命な様子に、おかみさんは目を細めた。

「ほんと、謙虚で律儀な子だねぇ。……あの子たちに愛される理由が分かるよ」

「あの子たち?」

首を傾げるアリサ。


「水の精霊たちさ。小さな精霊くらいなら、昔は綺麗な水辺なんかでたまに見かけたもんさ。だが、最近はちっとも見なくなってたんだ。精霊を見たのは本当に久しぶりさ」

「おかみさんにも精霊が見えるんですね」

「ああ、私たちも水の民の端くれだからね。まぁ、お貴族様みたいに力があるわけでも無けりゃ、誰もが見えるわけでも無いけどね。不思議と女たちの中に見える者が多かったね」

「水の民……ですか?」

「聞いたことないかい?最初に水の精霊と契約したのは、水の民の少女だったんだ。私たちはいつだって、水とともに生きてきたからね」

「そうだったんですね」


(もしかして、私のご先祖様は水の民だったのかしら)


◇◇◇


その日の夕暮れ。

 アリサは、干し終えた布を見上げて、小さく息をついた。潮風に揺れる白い布。井戸のそばで交わされる、穏やかな笑い声。

「……少しは役に立てたのかな」

 自分のしたことが、自分の存在が、誰かの“今日”を少しでも楽にしたなら。


 ――それでいい。


 けれど、水の噂は静かに、それを“管理すべきもの”だと考える人々の耳にも届き始めていた。


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