第二十七話 ――セシリアの独白
◇◇◇
人は皆、誤解している。
欲望に突き動かされた者は、醜く、感情的で、愚かだと。だが本当に恐ろしいのは、静かに、理屈で選び続ける者だ。
私は、間違えたことなど一度もない。
窓辺に立ち、王都の街並みを見下ろしながら、そう思う。今日も空はよく晴れている。光は等しく降り注ぎ、誰を選ぶでもない。世界とは、元来そういうものだ。だからこそ、人が選ばねばならない。
――選ばれる側ではなく、選ぶ側として。
あの人――アリサの母、エリシアは、本家の一人娘だった。水の精霊に愛され、最初から後継者として定められた特別な存在。
線が細く、儚げで、いつも少し遠くを見るような目をしていた。守られることに慣れ、与えられることを当然とする女。
幼い頃に両親を失ったと聞いたが、その孤独さえ、周囲が埋めてくれたのだろう。
私は違った。分家の娘として生まれ、何も持たず、何も与えられなかった。
だからこそ、学び、磨き、選ばれる努力をした。王都の貴族学園で、誰よりも目立つために。
健康的に美しく、華やかで、社交的な令嬢。取り繕ったその姿に、男たちはみな、私に夢中になった。
それでも――水の精霊は、振り向かなかった。
精霊はきっと、弱いものを好む。庇護されるべき存在を。ただそれだけの話だ。
私が彼女の侍女になったのは、偶然ではない。近くで見て、確信したかったのだ。精霊に選ばれた女が、本当にその価値に相応しいのかどうかを。
答えは、明白だった。彼女は、弱かった。
後継者としての覚悟も、未来を切り開く意志もない。ただ、その高貴な血筋によって選ばれただけ。
──だから、代わってやったのだ。
あの夜のことを、罪だと呼ぶ人間もいるだろう。
公爵家の宴で、程よく酔っていた彼に、少しだけ手を加えた。ワインに混ぜたほんの一滴の媚薬。
具合が悪そうな彼を支えるように部屋まで送ったのも、全て計算通り。
翌朝、真っ青な顔で混乱する彼に、私は泣いて縋った。
「あんまりです。侍女とは言えまだ未婚の令嬢に、こんなことをするなんて!」
「もう生きていけない」
「責任を、取ってください」
ほんのちょっと涙を浮かべてみせれば、簡単にことは運んだ。
彼は気が弱く、矮小な男だ。だから、責任を取った。ここで私に金を握らせて黙らせるような男なら、最初から相手にしなかった。
同じ時期に、正妻と愛人が同じ男の子を孕む。貴族社会ではよくある事。エリシアも、その事実を静かに受け入れた。女として、腹立たしく思わないはずはない。けれど、生まれてくる子に罪はないと。その上十二歳になったら、養女として公爵家に迎える。それまでは、母子で静かに暮らせるようにと、屋敷に金まで与えられた。
――吐き気がする。いい人ぶって、なんて愚かなのかしら。
けれど彼女には感謝をしている。娘の三歳の誕生日も待たずに、予想以上に早く死んでくれたから。
本当に弱い女だった。
最後まで。
公爵代理の後妻として公爵家に入った私は、アリサを家から追い出すことに決めた。だって彼女がいたら、私たちはいつまでも日陰の存在になってしまうから。あの女はもういないのだから、親を亡くした子どもが孤児院にはいるのはちっともおかしなことじゃない。
むしろ、命を奪わなかっただけ感謝して欲しいくらいだ。公爵家の後継者には、私の娘のほうがずっとずっと相応しい。
今度こそ、私たちが選ばれる番なのだ。
けれど、あの子は戻ってきた。母親にそっくりなあの顔で。髪も、瞳の色さえも、忌々しいほどに良く似ている。
生まれながらに水の精霊に愛された者。――やはり、世界は不公平だった。
だからこそ、マリアに教えた。手段を選ばず、欲しいものを掴む方法を。小瓶を渡した夜、あの子は躊躇した。だが、それでいい。使っても、使わなくてもかまわない。選ぶのは、本人の自由だ。
けれどマリアは、私の娘だ。私の血を引き、私の意思を継ぐことができる唯一の存在。もし、彼女が罪を犯すなら――それは、私が正しかった証だ。
窓の外で、風が木々を揺らす。あまりにも静かだ。私がしてきたことに後悔はない。
何を切り捨てても欲しいものを手に入れることを選んだ。ただそれだけ。
――それが罪だというなら。
きっと、世界のほうが、間違っている。




