第二十五話 王太子の決断
◇◇◇
王城の医務室に、夜の静けさはなかった。
白いカーテンの向こうで、医師たちが慌ただしく行き交う。薬草の匂いと、魔力を鎮めるための香が混じり合い、空気はひりついていた。
ベッドに横たわりながら、リュシアンは天井を見つめていた。すでに峠は越えたと告げられているが、身体の奥には、名残のような熱が燻っていた。
「殿下。もう一度確認いたします」
年嵩の医師が、慎重な声音で言った。
「今回の症状は、通常の酒精反応ではありません。おそらく、薬によるもの。それも、かなり純度の高い媚薬の類かと……」
その言葉に、隣に控えていた侍従が息を呑んだ。
「さらに――」
医師は言葉を切り、視線を落とす。
「通常であれば、王族の体質と魔力耐性を考慮しても、もっと深刻な状態に陥っていた可能性があります。ですが、殿下は急速に回復された。これは……何らかの外部要因によるものと推測します」
リュシアンは、静かに目を閉じた。
(やはり、そうか)
脳裏に浮かぶのは、庭のガゼボ。夜気の冷たさ。荒い息。そして――迷いなく差し出された、白い手。
異物に反応して体内で荒れ狂う魔力。リュシアンは暴走寸前の魔力を抑えるのに必死だった。
しかし、彼女が手を取った瞬間、体内を荒れ狂っていた熱と衝動が、ゆっくりと鎮められていった感覚を、リュシアンははっきりと覚えている。
「……彼女に助けられたな」
思わず、声が漏れた。医師と侍従が視線を向ける。
「彼女が解毒したかどうかは……当事者である殿下のご判断に委ねる形になりますが……医師でもない彼女にそんなことが可能でしょうか?」
リュシアンは、ゆっくりと身を起こした。侍従が慌てて支えに入るが、軽く手で制する。
「……私を救ってくれたのは、彼女で間違いない」
医師が驚いたように呟く。
「……彼女は体内に入った毒物の解毒が可能ということですか。一体どうやって……最初から解毒剤を持っていた可能性はありますか?」
「いや、彼女から薬を渡されたわけではない」
「そうですか……」
(怖くはなかったのか?)
ふと、胸に浮かぶ問い。
――俺は怖かった。
彼女を傷つけてしまうかもしれない自分が。
取り返しのつかないことをしてしまうかもしれない自分が。それでも、彼女は離れなかった。
「殿下」
侍従が、低い声で告げる。
「今回の件、どうなさいますか?公爵家での出来事であり、来賓の多さから……すでに様々な憶測が飛び交っています」
リュシアンは、静かに頷いた。
王太子に対する、明確な害意。王家としても、黙っているわけにはいかない。
「王家として今回の原因を追究する」
リュシアンは、はっきりと告げた。
「調査を開始しろ。公爵家内部も含めてだ。だが――」
一瞬、言葉を選ぶ。
「アリサ・リヴィエールに関しては、王家の保護下に置く。彼女に一切の疑いが向かぬよう、慎重に行動しろ」
侍従が緊張した面持ちで頷く。
「御意」
医師たちが下がり、部屋に静けさが戻る。窓の外には、夜明け前の空。まだ暗いが、確かに光は近づいている。リュシアンは、胸に手を当てた。
まだ、完全には消えていない鼓動の乱れ。だが、それ以上に、はっきりと残っているものがある。
(アリサ……)
リュシアンは、ゆっくりと目を閉じた。
次に目を開ける時、自分が進む道は、もう決まっている。




