第二十四話 わたしは悪くない
◇◇◇
――静かすぎる。
つい先ほどまで、あれほど華やかだった公爵家の広間が、今は別の場所のように感じられた。音楽も、笑い声も、すべてが遠い。マリアは自室の椅子に腰掛けたまま、両手を膝の上で重ねていた。
指先が、冷たい。
小瓶を握っていた感触が、まだ残っている気がする。硝子のなめらかさ。栓を外したときの、わずかな音。あれは――ほんの一瞬の出来事だったはずなのに。
「……違うわ」
小さく呟いて、マリアは首を振った。
何も起きていない。そう、まだ何も。殿下は少し体調を崩しただけ。パーティーの席ではよくあること。大勢の来賓に囲まれ、気疲れしただけかもしれない。
そう思おうとした、そのとき。
「王太子殿下は、城へお戻りになったそうです」
廊下から聞こえてきた使用人の声に、マリアの心臓が跳ねた。
「侍従の方が大慌てで……」 「パーティーの途中だというのに」
声が遠ざかっていく。代わりに、胸の内側がざわつき始めた。
――城に?
そんな大げさな。ほんの少し、ほんの一滴だったのに。
「……大丈夫よ」
誰に言い聞かせるでもなく、マリアは呟く。
母の言葉が、ふと脳裏をよぎった。
『愛されるためには、手段を選ばないことよ』
そうだ。これは、必要なことだった。殿下と自分の未来のため。公爵家の娘として、正しい選択だったはずだ。
それに――。
「私が悪いわけじゃない」
自然と、そう思っていた。
もし何か問題が起きたのだとしたら、それは殿下の体調のせい。あるいは、周囲の配慮不足。決して、自分のせいではない。
――あの子が、悪いのよ。
アリサ・リヴィエール。
平民の孤児でありながら、王太子に近づき、不自然なほどの魔力を持つ少女。彼女がいるから、こんなことになる。
「……」
再び、廊下が騒がしくなる。
「アリサ様が殿下に付き添っていたそうよ」 「庭で倒れかけていたところを――」
その言葉を聞いた瞬間、マリアの胸がきしんだ。
また、あの子。
どうして、いつも。
せっかくの誕生日。精一杯着飾って、殿下の隣に立つはずだったのは、私なのに。
唇を噛みしめる。爪が掌に食い込み、痛みが走った。
「……おかしいわ」
声が震える。
あの子が、殿下に何かしたに違いない。そうでなければ、説明がつかない。だって、私は――。
――私は、殿下のためにしただけ。
殿下のお命に別状はない。使用人の一言に、マリアは思わず息を吐いた。
……よかった。
そう思ってしまった自分に、遅れて気づく。
「……あ」
胸の奥が、ひやりと冷えた。
もし、本当に何かあったら。もし、取り返しのつかないことになっていたら。
そこまで考えて、マリアは慌てて思考を止める。
違う。考える必要なんてない。
小瓶は、もう空だ。戻ることはない。それでも――。
「……わたくしは、悪くない」
言葉にすることで、かろうじて自分を保つ。
震える指を、強く握りしめながら、マリアは目を伏せた。




