第二十一話 視線の先
◇◇◇
公爵家の大広間は、華やかな音と光に満ちていた。水晶のシャンデリアが煌めき、楽師の奏でる旋律が、夜の空気を柔らかく包み込む。公爵家の令嬢の十八歳の成人を祝う誕生日――それにふさわしい、盛大な宴だった。
リュシアンは王太子として定められた位置に立ち、周囲に目を配っていた。貴族たちの笑顔、計算された挨拶、探るような視線。慣れ親しんだ光景のはずなのに、今夜はどこか落ち着かない。
(……来ていないな)
無意識のうちに、入口へと視線が向かう。彼自身、その理由を否定しようとしなかった。やがて、ざわめきが広間の一角から波紋のように広がった。
空気が、ふっと変わる。
視線の先――
そこに、アリサ・リヴィエールが立っていた。
一瞬、言葉を失う。
淡い水色のドレスは、華美ではないのに目を引いた。柔らかな光沢が、彼女の動きに合わせて波のように揺れる。露わになった首筋と肩のラインは気品に満ち、銀色の装飾が、まるで水滴のように控えめに輝いていた。
うつむきがちだった少女の面影は、もうない。
背筋を伸ばし、前を見据えて歩く姿は凛としていて――それでいて、どこか儚い。
(……やはり、よく似合う)
リュシアンは、思考より先に足を運ばせていた。
周囲の視線を一身に集める彼女の前に立ち、自然と微笑む。
「よく似合っている」
それだけの言葉だった。アリサは少し照れたように小さく微笑んだ。
「ありがとうございます、殿下」
その声に、胸の奥が静かに震える。リュシアンが贈ったドレスだと、彼女は気づいているだろう。だが、それを公の場で口にすることはない。その慎み深さが、余計に彼の心を掴んだ。
――と、そのとき。
鋭い視線が突き刺さるのを感じ、リュシアンはわずかに顔を上げた。マリア・リヴィエールが、少し離れた位置でこちらを見ていた。
その目が、アリサのドレスをなぞり、次いで――リュシアンへと向けられる。一瞬で理解した。
(気づいたな……)
誰がこの装いを用意したのか。マリアの表情が、ほんのわずかに歪むのを、彼は見逃さなかった。
マリアの指先が、そっと胸元へ伸びる。
ドレスの内側――そこにあるものを、確かめるように。
(……?)
胸の奥に、小さな違和感が生まれる。だが、それが何なのかを考える前に、次々と貴族たちが声をかけてきた。
「殿下、今宵は――」
形式的な応答を返しながらも、リュシアンの視線は、自然と二人の少女を追っていた。
アリサの周囲には、人が集まり始めている。称賛、羨望、そして――ほんの少しの警戒。
(注目されるというのは、祝福であり、同時に刃だ)
彼女は、まだそれを十分に知らない。だからこそ、守る必要がある――そう思った瞬間。再び、マリアと目が合った。
今度は、はっきりとした感情がそこにある。
焦り。苛立ち。
そして、何かを決断しかけている者の目。リュシアンは、静かに息を吐いた。
(……視線の先にあるのは、羨望か、それとも――)
音楽は続き、宴は華やかさを増していく。だが彼の胸には、嫌な予感が渦巻いていた。
リュシアンは、グラスを手に取りながら、もう一度アリサを見つめた。
守るべき存在を、はっきりと心に刻みながら。




