第十九話 澄んだ水に映る影
◇◇◇
教室に入った瞬間、アリサはわずかな違和感を覚えた。ざわめきは、いつもと変わらない。挨拶の声も、椅子を引く音も、朝の学園そのものだ。
――けれど。
(……視線が、違う)
向けられる目の数が増えた。それだけなら、最近では珍しくない。実技で目立つようになってから、注目されることには慣れつつあった。
だが今日は、どこか重い。
好奇の視線に混じって、探るような、測るような目がある。そして、ほんのわずかな――怯え。
(気のせい……では、ないわよね)
席に着き、ノートを開く。背筋を伸ばすと、自然と肩の奥に、あの微かな熱を感じた。水の精霊の祝福は、彼女の中で静かに息づいている。
授業が始まると、教師の問いに答える声が、いつもより少しだけ教室に響いた。魔力理論、精霊史、応用制御。答えを口にするたび、空気が一瞬、止まる。
「……正解だ、リヴィエール」
教師の声は変わらない。けれど、周囲の反応が、微妙に遅れる。
(……どうして?)
昼休み、廊下を歩いていると、ひそひそとした声が耳に届いた。
「でも、あの力……」 「本当に、制御できてるのかしら」 「だって彼女、平民出身でしょう?」
足を止めるほどの言葉じゃない。振り向くほど、露骨でもない。だからこそ、胸に刺さる。
アリサは何も言わず、歩みを続けた。
窓から差し込む光が、床に淡く揺れている。
(……私、何か間違ったことをした?)
精霊に選ばれたのは、望んだからじゃない。逃げずに、受け取っただけだ。噴水のそばで、ふと足を止める。水面を覗き込むと、そこには以前と変わらない自分の顔が映っていた。けれど、目だけが違う。もう、うつむくことを知らない目。
(……怖がらせているのなら)
一瞬、心が揺れる。この力は隠すべきなのか。抑えるべきなのか。そのとき、足元で小さな気配が動いた。黒猫が、いつの間にかそこにいた。金色の瞳が、まっすぐにアリサを見上げている。
「……心配しなくていい、って顔ね」
猫は答えない。ただ、静かに尾を揺らした。
水面に、さざ波が広がる。その揺らぎの中で、アリサは決意する。
力を持つこと。目立つこと。そして、それでも折れないこと。
向けられる疑念も、不安も――まだ、形になっていない影だ。アリサは背筋を伸ばし、顔を上げた。
(大丈夫。私は、逃げない)
澄んだ水は、曇ってもなお、水である。その中に映る影さえ、見据える覚悟を胸に。
彼女は、次の授業へと歩き出した。




