第十八話 静かな疑念の芽
◇◇◇
白磁のカップから、かすかに湯気が立ちのぼっていた。午後のサロンは穏やかで、柔らかな笑い声が行き交っている。誰もが、これが“いつものお茶会”だと疑っていなかった。
マリアは微笑みを浮かべながら、そっとカップを置いた。
(……まただわ)
窓際で話題の中心になっているのは、アリサだった。以前なら、そこに彼女の姿があること自体、考えられなかったのに。凛と背筋を伸ばし、うつむくことなく会話に加わるアリサ。最近彼女は明らかに変わった。存在感が、光が、周囲の空気さえも。
「さっきの実技、本当に見事でしたわね」 「ええ、あれほど滑らかな魔力操作、見たことがないわ」
称賛の言葉が、当たり前のように飛び交う。
――面白くない。
マリアは胸の奥で、黒い感情が静かに蠢くのを感じた。
努力してきた。学んできた。貴族として、正しく在るために。それなのに、平民の孤児だった妹が、いとも簡単に“特別”になってしまう。
(違う……違うのよ)
これは嫉妬なんかじゃない。姉としての、当然の心配だ。
「……ねえ、皆さま」
マリアは声を落とし、少しだけ視線を伏せた。自然と、周囲の注意が彼女に集まる。
「わたくし、少し……気になっていることがあるの」
ざわめきが、ふっと静まる。
「アリサの力のことよ。とても美しくて、素晴らしいと思うわ。でも……」
言葉を切り、指先をぎゅっと重ねる。不安に揺れる姉の仕草を、演じる必要はなかった。半分は、本心なのだから。
「彼女、貴族の子女のように、幼い頃から魔力制御を学んできたわけじゃないでしょう?」
誰かが、小さく息を呑んだ。
「もし、感情が乱れたら。もし、制御を誤ったら……あれほど強い力が、どうなるか……」
――ほら。
囁きが、耳元で甘く響く。
(正しいわ。あなたは、間違っていない)
(皆に、考えさせてあげなさい)
(これは、守るための言葉)
「わたくし、怖いの。姉として……貴族の一員として」
マリアは顔を上げ、困ったように微笑んだ。
「もちろん、アリサが危険だなんて言うつもりはないわ。ただ……“大丈夫だ”と、誰が証明できるのかしら?」
一瞬の沈黙。
「確かに……」 「言われてみれば……」
最初は否定的だった声が、少しずつ揺らぎ始める。疑念は、疑念として投げかけられた瞬間、もう消えない。マリアはそれを、はっきりと感じ取っていた。
(……これでいい)
誰かがアリサを責める必要はない。
疑うだけでいい。不安を抱くだけでいい。
やがて、その感情は膨らみ、形を持つ。
カップの中で揺れる紅茶を見つめながら、マリアは静かに息を吐いた。
囁きは、満足そうに、さらに深く――彼女の心に根を張っていく。
(そう……それでいいのよ)
まだ、始まったばかりなのだから。




