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公爵家の養女は静かに爪を研ぐ 〜元々私のものですので、全て返していただきます〜  作者: しましまにゃんこ


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第十七話 水は応える

 ◇◇◇


 その日は、朝から空気がざわついていた。学園の演習場に集められた生徒たちは、いつもより少し緊張した面持ちで立っている。

「実技評価だって」

「合同演習らしいよ」

 小さな囁きが、波紋のように広がっていく。


 アリサは、静かに深呼吸をした。胸の奥で、澄んだ何かがゆっくりと満ちていく感覚がある。

 それは不安ではなく――確信に近いものだった。

(大丈夫。私は、ちゃんと向き合える)

 演習の課題は、模擬魔獣の制圧。複数人での連携が求められる、難易度の高い内容だ。だが、開始の合図と同時に事態は崩れる。


「きゃっ――!」

 前衛に立っていた生徒が弾き飛ばされ、魔獣が暴走した。結界が軋み、観覧席から悲鳴が上がる。

「後退しろ!」

「間に合わない――!」

 一瞬の混乱。誰もが動けずにいる、その刹那。

 アリサは、一歩前に出た。

 うつむいていた少女の面影は、そこにはない。背筋を伸ばし、顔を上げ、真っ直ぐに魔獣を見据える。その瞳は澄み切っていて、揺るぎがなかった。


「――静かに」

 小さな声。けれど、確かに“届いた”。空気が変わる。足元に、淡い光を帯びた水が生まれ、流れ、重なり合う。

「な……っ」

 誰かが息を呑む。水は荒れ狂うことなく、意思を持つかのように形を成した。

 刃となり、盾となり、そして――鎖となる。魔獣の動きが、ぴたりと止まった。

 アリサは一歩も退かない。恐れも、迷いもない。

「暴れなくていい。ここは戦う場所じゃないわ」

 水が応えるように、静かに締め上げる。

 魔獣はやがて力を失い、演習場に沈黙が落ちた。


 ――終わった。

 次の瞬間、周囲からどよめきが起こる。

「今の……一人で?」

「精密制御……あれは……」

 教師たちですら、言葉を失っていた。アリサは、ゆっくりと手を下ろす。水は霧となって消え、何事もなかったかのように演習場は元に戻った。

 アリサに、視線が集まる。

 驚愕、尊敬、そして――憧憬。

 女の子たちが、思わず息を止めて見つめているのが分かった。誰かが、ぽつりと呟く。

「……綺麗」

 アリサは、その言葉に少しだけ戸惑いながら、静かに目を伏せた。

(目立つつもりは、なかったのに)

 けれど同時に、胸の奥が温かい。

 ――私は、逃げなかった。

 ――水は、私を拒まなかった。

 それだけで、十分だった。

 人々の視線の中で、アリサ・リヴィエールは凛と立つ。


 その背に、知らぬ間に――羨望と、そして嫉妬が絡みついているとも知らずに。

 遠くで、誰かの視線が鋭く揺れた。

 静かな水面の下で、別の感情が、確かに波打ち始めていた。

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