第十五話 王太子は、静かに疑う
◇◇◇
王城の執務室は、いつもより重苦しかった。窓から差し込む光は柔らかい。それでも、空気は張り詰めている。
「学園内での小さな衝突が、増えています」
宰相の低い声が、静寂を切り裂いた。リュシアンは机に広げられた報告書に目を落とす。
決闘未遂。
不可解な言動。
理由なき怒り。
どれも大事には至っていない。だが、貴族同士の争いが“増えている”という事実が、王家にとっては何よりも不穏だった。
「偶然とは思えぬ、ということか」
「はい、殿下。偶然で片付けてしまうにはあまりにも不可解な事件が多くて……」
その言葉に、リュシアンはわずかに眉を寄せた。
人の心。それは、最も扱いづらく、そして最も危険なものだ。
「精霊絡みの可能性は?」
「確証はありません。ただ……」
宰相は一瞬、言葉を選ぶように間を置いた。
「古い文献にある“囁き”の記述と、似ている点があると」
リュシアンの胸が、かすかにざわついた。
――囁き。
精霊が人に干渉する際、力ある存在ほど直接姿を見せず、心の奥に言葉を落とすという伝承がある。
王家は精霊の存在を否定しない。だが、同時に深入りもしない。均衡を崩すからだ。
「調査は続けろ。ただし、表沙汰にはするな」
「御意」
宰相が一礼して下がると、部屋には再び静けさが戻った。リュシアンは椅子にもたれ、天井を仰ぐ。
(……学園、か)
脳裏に浮かぶのは、一人の少女。
アリサ。水の精霊に選ばれし存在。
それ自体は祝福であり、同時に試練でもある。彼女の周囲で、妙な“軋み”を感じ始めたのは、いつからだったか。
誰かが焦り、誰かが怒り、誰かが追い詰められている。それは彼女のせいではない。だが、彼女の存在が“引き金”になっているのも否定できない。
(守るだけでは、足りないのかもしれないな)
王太子として、国を守る立場として。そして一人の人間として。
ふと、窓の外に動く影が目に入った。白と黒。一瞬、猫のようにも見えたが、次の瞬間には消えている。
(……気のせいか)
だが、不思議と胸の奥が静まった。まるで、「見られている」のではなく、「見守られている」と感じたかのように。
リュシアンは静かに立ち上がった。闇が動いているなら、光もまた動かねばならない。王家は遅れてはならない。だが、焦ってもならない。精霊も、人も、選択の連続だ。
(俺は、どちらの選択をする王になる?)
答えはまだ、見えない。それでも彼は歩き出す。
王太子として。
そして――一人の青年として。




