第六話 グラウディー≠アンドレアス
居た。
ドグさんの言っていた通り、男が居た。
事前に不審者が居ると分かって自ら会いに来たとしても、いざ目の前にすると、心臓の鼓動が一段階速くなる。
昼くらいに寝ていた俺は気付けば夜中、深夜まで寝ていたらしい。
そして深夜、俺はドグさんに起こされた。
『寝ているところを起こしてすまんのぉ。教会に人が入るのを見たんじゃ。すまぬが対応してもらってもよいかの?』
俺は迷う事なく、承諾した。
モーテルから出る前に、騎士団の人にも念の為に来てもらうか一瞬悩んだが、深夜ということもあり、迷惑だろうと声をかけるのをやめた。
左手にある護身用にとドグさんから渡された木製の棍棒を強く握り、重い足を動かして教会へと入る。
入ってすぐ、左右を確認。左右には人影はなし。そして前を見る。
屈んだロングコートを着た男、その後ろにも誰かいた。
俺は右手に持ったランタンを目の高さ辺りに持ち上げながら、ロングコート男に話しかけた。
「ここで何をしている」
「……………………」
ロングコート男は屈んだままの状態でこちらを見ているだけで反応はなかった。まるで時が止まったかのように。
だがしかし、俺が教会内に足を踏み入れた瞬間、時は動き出した。
「アリス、いいぞ」
ロングコートの男が言葉を発したすぐ後、俺の後ろでガルル……と獣が威嚇するような声が聞こえ、すぐに振り向いた。
そこにいたのは犬だった。
俺はすぐに後ろに下がり、犬と距離を取って左手に持った棍棒を構える。
決して犬が嫌いとかではない。むしろ好きだ。野良犬が目の前にいたらモフって餌を与えるくらいに。
だが目の前にいる犬は自分が生きてきた中で、初めてのタイプの犬だった。
圧倒的殺意。
目の前の犬が俺に対して殺意を放っているのをひしひしと感じた。
もちろん殺意的な犬に全然会わなかったわけじゃない。だが今までとレベルが段違いすぎて、鳥肌が立つレベルだ。
犬だから傷つけたくないとか油断したら、間違いなく殺られる。
五秒くらい犬との睨み合いが続いていた時、不意に右脇腹に痛みを感じながら、左の壁に体が飛ばされて衝突した。
ずるずると床に倒れながら状況を把握すると、さっきまで七メートル先くらいに居た男が俺がいた場所くらいに立っていた。俺は男に右脇腹を蹴られたみたいだ。
床に尻餅をついた俺を休ませることもなく、今度は犬が動き出す。
鋭い牙を剥き出しにして、俺の方へとダイブする。
俺は無意識に棍棒でガードするように端と端を握り、前へ突き出した。すると上手い具合に犬の口に棍棒が入り、ガードには成功した。
「痛ッ!」
だがしかし、牙は防ぐ事には成功したものの、前足の爪は防ぐ事はできず、爪の引っ掻きを喰らってしまった。
普通の犬ならば軽い擦り傷で済むが、目の前にいるのは普通の犬よりも大きな犬だ。当然、爪もかなり大きく、爪一つ一つが果物ナイフ相当だ。まともに食らえば擦り傷で済まない。
俺は無我夢中で犬の腹付近を左靴の底で何回もスタンプした。
だがしかし、ひと回りでかい犬を押し退けるには力が足りず、びくともしなかった。
クソッと心の中で吐き捨てると同時くらいにバキバキバキバキッ!!!と床が音を立てて崩れ落ちた。
床が抜けたおかげで犬との乱闘から脱出することができ、そのまま床下へと逃げた。
どっちが北か南か普通ならわからない状況だが、ここの管理を任されてから床上から漏れる光でおおよその場所は把握できた。
目的の場所へと歩みを進めていると、床上からロングコートの男であろう声が聞こえてきた。
「おい、聞こえているんだろう?お前はそこのガキのなんなんだ?一瞬、死神の使いっ走りだと思ったが、そうじゃないんだろう?まさかシリウスの使いか?」
死神?シリウス?何を言っているんだ?
俺は息を殺しながら匍匐前進で進む。
「…………そうか、無視か。そりゃあそうだよな。私もお前の問いかけに無視をしたしな。さっきは悪かった、謝ろう。状況を理解したい。話し合わないか?」
両腕が血だらけに負傷した今、面と向かって話し合うつもりはない。
一刻も早くこの場から逃げたかった。その為にも拘束されている子を助けなければ。
目的の穴下に到着し、顔だけ床から覗かせ、周りの状況を確認した。
犬と取っ組み合いをした場所からは激しい火柱が立ち、火災が発生していた。火元は俺が持っていたランタンによる火災だろう。
本当に早く教会から出なくてはと床下から体を出して、女の子をお姫様だっこで持ち上げると、腕の中の女の子が活きのいい魚のように暴れ出す。
「ん゛?!ん゛ッ――――!!」
腕の中で暴れ回る少女を落ち着かせようと声をかける。
「俺は君を助けようとしている!だから暴れないでくれ!」
俺の意思は伝わったらしく、女の子は大人しくなってくれた。
女の子が落ち着き、よし!と男と犬を確認しよう犬と交戦した場所を見ると、そこには誰も居なく、真後ろ付近で声が聞こえてきた。
「そいつから目を離すわけないだろ」
その言葉と共に俺は背中を強く蹴られ、体制を崩し、抱えた女の子を床に落としながら派手に二転、三転して転がる。
床に落ちてしまった女の子から呻き声のような音が漏れていた。
体の回転を強引に止め、片膝を付く状態に持っていった。ぐらんぐらんに視界が回り、平行感覚が正常ではなかった。
そんな状態で男と犬の視認、女の子は無事か確認しようとしたら、早歩きでこっちに迫る男。咄嗟に両腕をクロスして防御体制にするが、そんな行動は虚しく、俺は男に首を掴まれてしまう。
男は首を掴んだまま、後方の壁に叩きつけた。
掴まれた首をなんとかしようと男の右腕を両手で強く握るが、顔色一つ変えずに俺を凝視していた。
「別に息苦しくないだろ?首根っこを掴んでいるだけのはずだ」
「少し力入れたら窒息させられる状況には変わりはないだろ」
男はフフフ……と少し笑い、俺を見つめ直す。
「そうだな」
左側でゴォー!と炎が激しく動いた。まだボヤ程度の燃焼だが、火事になるのは時間の問題だろう。
男も燃える炎を一瞥した後、口を開いた。
「今、自分がどんな状況かくらい分かるだろ?大人しく俺の質問することに答えろ」
「…………なんだよ」
「シリウスの関係者か?」
「シリウスなんか知らない」
「……死神の関係者か?」
「死神も知らない」
二回の質問に答えると、数秒の沈黙の後に男は質問を再開した。
「……じゃあ、お前は何しにここに来た」
「不審者が…いると聞いて、来たんだよ」
「…………それでお前は縛られているガキを助けようと首を突っ込んだ、ということか?」
「そうだよ」
男は呆れた様子だった。
「そうかそうか。要するに見ず知らずの奴を救おうとした馬鹿ってわけだな、お前は」
足が床から浮いた。
男の力は異質だった。二五歳である俺を軽々と片手で持ち上げたのだ。
「俺がこの世で嫌いな人種が二種類いる。お前はその中の一つだ。他人のために命を懸ける死にたがり野郎」
男はロングコートの内ポケットからダガーナイフを取り出し、ぎろりと刃が光る。
(ヤバい!殺され――)
急に男の手が首から離れ、そのまま俺は床に倒れた。
何が起こったのか分からなかった。なんで男が解放したのか。
だが、そんなことを考えている時間はなかった。
男が落としたナイフを握り、ゆらりと立ち上がる。
こちらを見る男の顔には冷や汗が垂れ、化け物でも見たかのような形相だった。
腰を低くし、臨戦対戦の男が睨みながら口を開いた。
「……お前、なんだ?」
男の問いの意味が分からなかった。
だけど、そんなのはどうでもいい。男が離れ、戦える状態になった。
もうヘマはしない。あの時みたいに。
ナイフを強く握り締める。
「お前、の……言うとおり、俺は死にたがり、野郎だよ。ヒーローに憧れる……人種だよ」
男はアクションを起こさないまま、固まっていた。
ならば、こっちからアクションを起こそうと俺は動き出した。
男めがけてナイフを突き刺そうとしたが、後方へとステップし、男は軽々と躱した。
男への攻撃を止めずに再度近づき、次はナイフを振るった。
男はナイフが当たる寸前で赤黒い煙と化し、少し離れた場所で人間の姿に戻った。
(この男、加護者か?)
人智を超越した力を、この世に誕生した際に与えられた人。
神に仕えし者、呪われた者、勝ち組。人によって捉え方は様々ではあるが、一つ言えるのは、普通の人間が加護者に勝つことは不可能ということ。
明らかに手も足も出ない状態は明白なのに、男は攻撃を躱わすだけで何もしてこなかった。
ただただ腰を低くして、俺を凝視していた。
この膠着状態がいつまで続くんだと思っていたら、ついに男も動き出した。
「いつまで一般人のフリをするつもりだ?ペテン師くん」
「……?」
どういう意味だ?と顔をしかめると、男はイライラした口調で続けた。
「俺を一瞬で消そうとしてんのはバレてんだよッ!!」
「……何を言ってんだ?」
「チッ、仕方ないか……」
何かが腰回りに触れたと見ようとしたら、急激に後ろへと引っ張られ、壁と衝突して止まった。
何が起こったのかと腰回りを見ると、ウネウネした触手のような生き物が巻き付いていた。
ナイフで斬ろうにも右腕を上げる形で拘束されていた。
なんとか生き物の拘束から逃れようと左手で触ろうとするが、ヌルヌルベタベタの体液を分泌しており、まともに触ることが不可能だった。
そんな俺を傍観しながら、男はゆっくりと床に転がった少女に近づいた。
屈んで少女の腕を掴むと少女が「ん゛ん゛ッ!!!」と暴れたが、男は無関心だった。
チラッと男が俺を見て睨んだが、何も言うこともなく、下半身部分を煙状態にすると、床を滑るように教会の出入り口へと向かった。
出入り口まであと少しのところで、男が目の前に人影を視認した。
だが男は止まることなく、移動速度を上げる。
出入り口を抜ける瞬間、男は盛大に後方へと弾かれて壁に当たった。女の子も男の手から離れ、二、三回床をバウンドして穴が空いた床下に落ち、悲鳴のような声が漏れていた。
舞い上がる塵や土を手で払いのけ、陥没した壁から男が起き上がる。
「次から次へと来やがって」
教会に侵入してきた人物は、アルバートさんだった。
何故か上半身裸で下半身はスパッツ姿ではあったが、とても頼もしい感じがした。
「アルバートさん!」
アルバートさんに向かって叫ぶと、俺の存在に気づいたアルバートさんが、こちらを見る。
「大丈夫か?」
パキパキパキ……と床が部分的に凍っていき、俺に辿り着くと触手部分だけ器用に凍らせた。
凍らされた触手に力を加えると、面白いくらいに粉々に砕けた。
動ける状態となり、二対一の構図となる。
続けてアルバートさんは、右側で教会を燃焼し続けている炎に手をかざした。燃える炎を見ることもなく、一瞬にして氷山が出来上がった。
神業を目の当たりにし、アルバートさんが加護者だと瞬時に理解した。
「おい、お前。グラウディー≠アンドレアスだろ?」
グラウディーとされる男はロングコートに付いた埃や土を手で払い、黒いネクタイを締め直しながらアルバートさんを見た。
「だったらなんだ?」
「エッティアって奴、お前の仲間なんだろ?」
「仲間……ではないが、知り合いではあるが?」
「奴は今どこにいる?」
アルバートさんの問いにグラウディーは面白そうに笑った。
「なんだ?あのガキとトラブったか?だがぁ……あのガキが目ぇ付けた奴は生きているはずがないんだがなぁ……。もしかしてあのガキのお気に入――」
「御託はいいからぁッ!どこに居るか言えぇぇッ!!!」
さっきまで冷静だったアルバートさんが、言葉を荒げてグラウディーの言葉を遮った。
言葉を遮られたグラウディーは面白くなさそうに冷めた顔つきで告げた。
「…………あのガキが今現在、どこで何をしているのか知らないし、興味もない。だが確実に言えるのは、どっかでご馳走でも喰ってるって事だけだ」
グラウディーの回答を聞き、アルバートさんが右の手のひらを前へ出した。すると、アルバートさんの手の前で何も無い空間から氷が出現し、カチコチと音を出しながら細く左右に伸びていく。
気づいたら槍の形をした一本の氷が完成し、アルバートさんが力強く握った。
腰を落とし、槍を構える。
「お前を拘束する。痛い目に遭いたくなかったら、無駄な抵抗はやめておけ」
「…………」
グラウディーは無言で顔付近まで手を上げると、中指と親指で指を鳴らした。
それが合図となり、戦いの火蓋が切られた。