空模様
正直に言って驚いたよ。
君が父親になると聞いたときは。
私の知る君は弱虫で泣き虫で、それでいて意地っ張りな幼い子供でしかなかったから。
寂しがりやだったのに同い年くらいの子の中に入っていくことが出来ず、遠巻きにじっと見つめていたね。
だけど、誰も君に気づかなかった。
そのことを泣きながら私に訴えていたよね。
覚えているかな。
あの時の私の言葉。
『君たちのような年齢ならまだ仕方ないよ。許してあげなさい』
当時の君は私の言葉に怒っていたけれど、すぐに君にも分かるようになるさ。
だって、君はこれから父親になるのだから。
私に手を引かれてようやく皆の仲間に入れた。
皆は君の姿に目を丸くしていたけれど、すぐに仲間に入れてくれたね。
良かったねと見送る私に不思議そうな顔をする君の姿がとても印象的だったよ。
それから少しして君は私が他の人には見えないことを知ったよね。
別に求めても居ないのに君は私が寂しいのではないかと気遣って、せっかく出来た友達との時間さえも削って私に会いに来てくれた。
それはとても嬉しかったけど、私は何度も言ったよね。
『こんなことしなくていい。君は皆と遊んでおいで。私なんか忘れて』
それでも君は何度もやって来た。
そして、私もまた幼かった君を明確に拒絶することは出来なかったよ。
ごめんね。
もっと時間が経つと君は何となしに私がどうなるかを理解したのか、あまりこちらに寄り付かなくなったよね。
それは寂しかったけれど、とても正しいことだと私は思ったよ。
だって、私は人と共に生きることが出来ない妖なのだから。
いつまで生きているのかも、いつになったなら死ぬのかも分からない。
それでいて世界を支配した人間に見えることがない哀れな存在。
時々、君のように私を見つけることが出来る人がいるけれど。
それでも、私は基本的には一人きりだ。
だから、君が寄り付かなかったことにも一種の安心感さえ抱いていたよ。
あぁ、だからこそ。
君が父親になるとわざわざ報告しに来てくれたのには驚いたよ。
もう私のことなんか忘れてしまったものだとばかり思ったから。
なぁ、君。
私は君のことを祝福したけれど。
それ以上に強い苦しみがあったんだよ。
聞いてくれよ。
私も君たちのように子供を産みたかったよ。
私も君たちのように子供を育てたかったよ。
私も君や他の人たちのように老いて死んでいきたかったよ。
そう話して今まで見せたことがないほどの感情を見せつけた時、君はようやく私と人間が違う存在だと理解してくれたね。
・
「消え去れ」
その言葉と共に僕の片腕は爪で思い切り引き裂かれた。
淡い初恋の形をしていたはずの彼女は今やおどろおどろしい異形のものと化していた。
「私が君を喰い殺してしまわぬうちに」
片腕に線が入ったような痛みが走る。
これが彼女なりの決別なのだと僕にはしっかり理解出来た。
「分かったよ」
僕はそう言うと踵を返して歩き出した。
こうなることを予想していなかったかと言うと嘘になるかもしれない。
けれど、こうなることを覚悟していたかと言えば間違いなく嘘になる。
ぽつり、ぽつりと雨が降ってきた。
しかし、空では陽光が照っている。
天気雨。
僕は涙をどうにか抑えながら、いつしか走り出していた。
・
踵を返した君の背に。
なけなしの妖気を使い雨を降らす。
二度とここへ来てもらいたくない。
いや、来てはいけないのだと伝えるために。
しかし、どれだけ力を込めようとも私にはもう往年の力はなく。
土砂降りどころか太陽の日差しを隠すことも出来ないほどの雨しか降らせられない。
そんな自分に呆れ笑いをしながら。
私は君に聞こえぬように別れの言葉を呟いた。
「元気でね」
空の模様は天気雨。
年老いた狐の化け物が出来る精一杯がこれというのも少し情けない。
けれど。
姿が見えなくなった君に向けて私はもう一度別れの言葉を呟いた。
「幸せに」