第2話 手を焼く兄、卵を焼く妹。
「ちょっとお兄ちゃん!! おーそーいー!! まったく何してたのよ、この寝ぼすけ!!」
黒い艶のあるツインテールの髪を上下に跳ねさせながら、俺に文句を叫び散らかす妹の陽夜理。
『コケーッッ!!!!』
そして彼女の胸元でけたたましく鳴いていたのは、真っ白な毛並みのニワトリだった。艶のある、ふわふわの羽毛が何とも美しい。
だがそいつもそいつで、俺をキッと睨んできている。主人に対して生意気な鶏め。
「悪いヒヨリ。今起きたわ」
「嘘つき! タバコの臭いがするもん!! どうせ一服する余裕はあったんでしょ!?」
俺の身体の匂いをスンスンと嗅ぐと、「うへぇ」と顔を顰めさせた。その匂いが相当ご不満だったのか「くっさいくっさい!」と言いながら、俺のお腹をペシンペシンと叩いてくる。
別に朝のタバコぐらいいいじゃないか。早朝からピーチクパーチクと五月蝿いい奴だな、陽夜理は。
『クケッ!? コケコケェーッ!!』
「あーはいはい、餌やりが遅れて悪かったよ。だがお前の卵は貰っていく。そこに一切の慈悲はない」
頬っぺたを膨らませている陽夜理の頭を撫でながら、フワフワボディをした白い烏骨鶏に話しかけた。
「お兄ちゃん、"シロミ"たちのお世話は陽夜理がもうやったよ! 他にも朝ご飯を待っている子がいるんだから、早く家の中に戻ろっ!」
陽夜理は新鮮な卵が入ったバスケットを俺に押し付けると、兄のお尻をグイグイと押して鶏小屋から追い出そうとする。
「分かった、分かったからケツを触るな!!」
「ぐへへ、良いケツしてるじゃねぇか兄ちゃん……」
「そんな言葉どこで覚えてきたんだよ……」
「学校!!」
……今どきの小学生はよく分かんねーな。
仕方なく、卵の入ったカゴを抱えて庭から家の中へと引き返す。
その途中、陽夜理は俺に手を繋ごうとせがんできた。
いいよ、と言う前に俺の手はもう奪われている。
陽夜理曰く、「カイロがなくても、こうすれば温かいでしょ?」という理屈らしい。まぁ、こちらとしても断る理由は無いのだが。
「(まだまだ子供だなぁ……なんて言ったらまた怒られるだろうけど)」
この妹はしっかり者に見えるが、まだまだ甘え盛り。このくらいのワガママは大目に見よう。身長も140cmちょっとなので、兄である俺が歩幅を合わせてやる。
家の中に入っても手を繋いだまま、2人で仲良く次の動物が居る部屋へ向かう。
「ヒヨリの手はあったかいな……」
幼女特有の体温の高さと、潤いのあるプニプニとした柔らかさがある。外気で冷えた手には、それが何とも心地良い。
「なぁに、お兄ちゃん。ヒヨの手をニギニギして。ほら、次はウサギの"きな子"に猫の"オハギ"と水槽の魚たちに――」
「はいはい、分かってる分かってる。大丈夫だからヒヨリは朝食の準備を頼むよ」
「ホントに大丈夫〜? ちゃんと餌は軽量カップで量ってからあげてね!? 水もちゃんと取り替えること! 人肌に温めてからね! あとは……」
口から出かけた「お前は神経質なシュウトメか!」というツッコミを心の中に仕舞いながら、「はいはい」と陽夜理に卵入りバスケットを返す。これ以上小言を押し付けられる前に、さっさと退散しよう。
俺は逃げるようにして、今度はウサギたちが生活している小動物ルームへ向かう。
背後から「もう、ちゃんとやってよね!」という声が掛けられるが、俺はシカトして歩く足を速めた。
言っても無駄だと分かったのか、彼女もプンスカと怒りながらキッチンへと小走りで駆けていく。
「コケて卵を落とさないと良いけどな。今日の朝食がスクランブルエッグになりかねん」
数日前に起きた、お皿いっぱいのスクランブルエッグ事件を思い出す。俺は苦笑いを浮かべながら目的の部屋に入った。
「さぁーて、おはようお前たち」
カップで量った餌を片手に、俺はウサギのいるケージを開けた。
『モヒモヒモヒモヒ』
「おう、おはよう。今日もよろしくな」
もうお気付きかもしれないが――ただの民宿であるはずの我が家には、多種多様な動物がいる。
犬、猫、ウサギに魚、鶏などなど。
ほとんどが何かしらの理由で迎え入れた子たちだ。
路地に捨てられていた仔猫や、やむを得ない理由で引き取った犬。更には俺たちの手で卵から孵した鳥なんてのも居る。さながら我が民宿は、小さな動物園のようだ。
――何故こんなにも、沢山の動物たちに囲まれるようになったのか。
俺が動物好きで、生物の教師になりたいというのもある。だが一番の理由は、妹である陽夜理のためだった。
口喧しい妹とは言ったが、一昨年までは口数も少ない、とても大人しい女の子だった。
元々内気だった陽夜理は両親が居なくなったことで、誰とも喋らなくなってしまった。それはまるで、感情が抜け落ちた人形のように。
勿論、俺だってその頃はショックで落ち込んでいたさ。
だけど……葬式やら手続きのゴタゴタを片付けて帰宅した時、俺は真っ暗なリビングで一人すすり泣く陽夜理を見てしまった。彼女の小さな背中を見て、兄である俺がどうにかしなきゃいけないと思ったんだ。
『俺が泣くのは、陽夜理が笑えるようになってからにしよう』
そう決意した俺は、陽夜理に笑顔を取り戻すことを第一に行動するようになった。一緒にショッピングに出掛けたり、アニメを観たり。彼女が好きそうなものは片っ端から試してみた。
……だけど心の傷を癒すなんて、そう簡単にはいかなかった。
カウンセラーに相談もして、できる限りのことを尽くしたが……結局、彼女が微笑むことは無かった。
だが、転機は突然現れた。
さすがの俺も心が折れかけていた、ある雨の日。
2人で近所のスーパーで買い物に出掛けたその帰り道で、俺たちは段ボールの中に捨てられていた2匹の黒猫を見つけたんだ。
「お兄ちゃん……」
「……あぁ。部屋ならいくらでも空いているしな。大丈夫、分かってるよ」
彼女が発したのは、たった一言だったかもしれない。だけど今まで感情を失いかけていた妹が、その時は珍しく何かを訴えるような表情をしたんだ。ずっと陽夜理を注意深く見てきた俺には、何を考えているかなんてすぐに分かった。
そうしてその日から、俺たち兄妹に新しい家族が増えた。
猫と触れ合ううちに、やがて陽夜理は再び笑うようになり、しばらくすると家の中には楽しげな声と、喧しげな猫の鳴き声が響くようになった。
それから様々な理由でペットを受け入れていくうちに、気付けば我が海猫亭には動物が溢れていく。
今までの反動なのか、陽夜理はとてもよく喋るようになった。俺と喧嘩するようになったのも、ある種の成長と言えるだろう。
……いや。陽夜理がそこまで大きく変わったのは、猫の他にもキッカケがあるのかもしれない。
それは他でもない、兄である俺だ。
俺には悩みごとがあった。
両親のことだけじゃない。教師になる夢を追うか、民宿を継ぐかで選択を迫られていた。
陽夜理が大きくなるまで、養育費を稼がなくてはならない。妹の面倒を見るかたわらで、そんな悩みに心を苛まれていた。
そんな俺を元気付ける為に、彼女なりに明るく振る舞ってくれたんだと思う。まだ小学生の、あんなに小さな女の子が。
「はぁ~、お前らは本当に可愛いなぁ……」
ちょっとだけしんみりしながら、ウサギの"きな子"をモフる。まるで悩みなんか無さそうな顔で、一心不乱にカリカリのエサを貪っている。そんな彼らを見ていると心から癒されていく。
「おにいちゃーん! どこにいるのー!?」
おっと、ついボーっとしていたか。
「“きな子”のとこにいるぞ~」
「朝ごはんできてるよ! 今日のメニューは、ヒヨリちゃん特製のハムエッグトースト! 冷めちゃうから早く来てー!!」
――どうやら卵は床にぶちまけることなく、食卓に上れたようだ。
俺はフフッと笑みを溢す。
「あぁ、今行くよ!」
何だか騒がしくも平和な一日が始まりそうだ。
他の動物たちの世話を手早く済ませ、自慢の妹が待つリビングへと急ぐのだった。
作者「妹キャラは一度曇らせてから笑顔にさせると、より尊さを増すのじゃ(妄言)」