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第22話 わたしマグロ女だから


 ――そのとき、わたしは嫌な予感がしたんだ。


「私、やってみる! お姉ちゃんより上手くなりたい!」


「おぉ、さすがだな! さっそくこれから水泳教室に申し込もう」


「ふふっ、私の娘がオリンピック選手になったらどうしようかしら~」



 ちがう、そうじゃないでしょう。


 わたしを見て。わたしだけを見てくれるはずでしょう!?


 頑張ったの。頑張ったのは兄さんでも妹でもない。わたしなんだよ!?



「――どうして。そう思った。実際、妹はすぐに結果を出し始めた」


 絶望だった。

 わたしを見てくれたのは一瞬だけだった。


 もはや大会の応援も忘れていた。

 両親の視界から、再びわたしは消えた。



「だからわたしは、あの街から――魚住家から出た」


 水泳も高校を卒業と共にスッパリ引退してしまった。

 コーチや仲間たちからは「続ければその道で食べていくこともできる」と言ってくれたけれど。


 わたしはもう、水泳に楽しさや自由さを見出すことができなくなっていた。



「それで来音市に……?」


 堂森……ドーモ君はおっかなびっくりしながらそう訊ねてきた。


「まったく知らない街なら、もしかしたらやり直せるかもって。実際、この街は良い所だった」


 家族から目を向けられずに泣いていたわたし。


 周囲から水泳のスコアを期待されるわたし。


 どのわたしも知らないこの街だけが、受け入れてくれた気がしたんだ。



「新しくなったわたしは、新しい人生を始めた」


 水泳はやめたけど、代わりに魚を見るようになった。


 悠々と自由に泳ぐ彼らを羨ましくなったから?


 ううん。人間と違って、水から出たら死んでしまうもの。泳ぐことは彼らにとっての当然で、彼らはただ生きるために泳いでいる。そこに感情や自由なんてものはない。


 ……でも。


「その『ただ生きるために泳ぐ』ってのが、わたしにはできなかった。どうしても他人や成績に縛られてしまう」


「ウオミー……」


 わたしのように悩むことも迷うこともない。ただ純粋に生きることだけを考えている。


 そんな彼らを見ているときだけは、彼らと一緒に泳いでいる気分に浸ることができたんだ。



「だから魚が好きになったの?」


「そう。無口なところも含めて好き」


 自嘲っぽくそういうと、ドーモ君は口元をヒクつかせた。


 なにか言おうとして我慢したんだと思う。別に笑ってくれていいのに。


「今ならようやく分かった気がする。自分のやるべきことが」


 別にもう結果に焦らなくてもいいと思ったんだ。誰かに認めてもらうだけが人生じゃない。


 むしろ自分で自分を認めてあげたい。


 わたしから目を逸らしていたのは、わたし自身だったんだって気付けたから。



「それでね。わたしにも新しい夢ができたの」


 将来は魚類にかかわる仕事がしたい。


 研究職でも良いし、水族館のスタッフやペットショップ、魚屋エトセトラ。


 なんだっていい。まだ具体的なことは決められていないけれど、好きな魚を見ていられる仕事がしたい。


 もちろん、好きってだけで仕事になる甘い世界じゃないってのは薄々わかってる。だからわたしは今の大学で色々と学んでみたいんだ。



「魚住さんは立派な人間だと思う」


 ドーモ君はそう言った。


「大きな挫折を味わっても、それをバネにして新たな道を進んだ。しかも自分がやりたいことを見付けている。眩しいよ」


 いや、それは過大評価のしすぎだよ――と、わたしは思わず苦笑いを浮かべる。……表には出ていないかもだけど。


 でも彼の言いたいことは分かった気がする。



「ドーモ君は優しいね」


「い、いや! 俺なんてそんなんじゃ……」


 今度はわたしがやり返す番だ。すると彼はアタフタして顔をプイッと逸らしてしまった。


 昔好きだった教育テレビのキャラクターに似て、彼の顔は愛嬌があって好きだ。


「ふふっ。私もそう思うわ」


「……不本意だけど、お母さんに同意かも。むしろ優しさだけが取り柄って感じ?」


「砂霧親子まで!? っていうかミアちゃん酷くないかソレ……」


 わたしたちの会話を聞いていた砂霧さんたちも同意のようだ。


 事情はよく分からないけれど、この親子も何か訳アリみたい。


 半分どころか、倍以上の優しさの塊でできているドーモ君のことだ。わたしにしてくれたように、善意100%のお節介でもしたんだろう。この人はそういう人だから。


 そんな底抜けに優しいドーモ君だから、わたしも素直に話せるのかもしれないね。そんなことを考えつつ、わたしは席を立つ。



「それじゃあそろそろ行くね」


「……あぁ。もうこんな時間か」


 時計の針はもう15時を過ぎていた。バイトがあるし、さすがにこれ以上は申し訳ない。


 もうお開きかな……と思った矢先だった。ドーモ君が口を開く。



「……ウオミーさえ良かったら、また遊びに来てくれよ」


「お兄ちゃんが女の子を家に誘った……!?」


 その言葉にわたしと陽夜理は目を見開いて顔を見合わせた。


「い、いや。ヒヨリも懐いているみたいだしさ。俺も魚の飼育とか捌き方なんかも習いたいし……」


 そして思わず笑ってしまう。まさかそんなこと言われるなんて思わなかったから。


「……ドーモ君は友達。だから家に行くのは普通」


「お、おう。そうだよな、友達なら普通に遊びに来るもんな」


 ドーモ君は照れ笑いで頷いた。


 そんな様子を見ていた他の皆は、笑いを堪えるように目を逸らしている。



「今度はわたしがドーモ君をもてなす。来音市のマグロ女と言われるゆえんを見せる」


 ざわり、と空気が固まった。

 なぜか砂霧親子が恐ろしい目で私を見ている。


「あれ? またわたし、変なこと言った?」



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