風邪で寝込んでいて思った事
昨日まで風邪をひいて寝込んでいました。
風邪を引いて寝込むのは辛いですが、不思議と嫌いではありません。
足元からさざ波のように寒気がやってきて、全身がポカポカと暖かくなって、全身の免疫細胞が活性化していきます。私の身体が一丸となって病原菌を駆逐しようとしているのが分かります。
そうなってくると世俗的な欲望は消え果ています。私の全身が一つの意志となってただただ快復に向かおうとしています。
なんというか……そうやって体が快復に向かう事は「正しい事をしている」と言ったら変ですが「良い事をしている」「最善を尽くしている」と思えるのです。
例えば私が誰か困っている人を助けたとしても、その行為が良い結果を招くとは限りません。本人の自己満足で終わってしまっては良い事とは言えないでしょう。結果を無視して行為だけに視点を置いていては偽善を招いてしまいます。そう考えると、日常生活で「これは良い事だ」と自信を持って言える事は殆どありません。
しかし、体が快復に向かう動きというのはそれ自体が「良く生きている」という事であり、行為そのものを切り出して良いのではないかと私には思えます。快復した結果、私が生き地獄を味わったとしても、それでも快復に向かう動きそのものは肯定すべきではないかと思えるのです。……理屈では説明できませんが、幸福とか不幸とか欲望とは無関係に快復への意志があり、私はそのエネルギーににある種の神秘性を見出しているのです。
そんな一種の神がかり的な状況の中で、ずっと寝苦しさに押しつぶされていました。頭が痛くなり、悪夢のように同じ思考や映像が繰り返されていきます。頭痛が収まって来るとまたぼーっと心地よくなって、どこかに落ちていくような錯覚を味わったり、水を飲んだりして色んなことを考えます。死ぬときはもっと辛いんだろうなとか、もしかしたら治らないのではないか、このまま死んでしまうんではないだろうかとか……特に考えるのは、快復した時の私と今の私は本当に同一人物と言っても良いのだろうか、という疑念です。風邪で寝込んでいると何をしていても楽しいと思えませんし、食欲も全くありません。しかし、治ってしまえば色んな欲も出て来るでしょうし、いつものような生活を再開する事は想像に難くありません。加えて治ってしまったら病気の苦しみは半ば他人事の笑い話になってしまう事でしょう。殆ど他人と言っていいくらい自分の価値観が変わってしまうのです。そう考えると……人は今この瞬間しか生きられないのではないか、命は絶えまない生成と消失を繰り返しているのではないか。あるいは、我々は時間や生に対して大きな思い違いをしているのではないか……。
そんなとりとめない事を考えて夜を明かしていると、次第に食欲が出て、本調子とはいかないまでも調子が戻って来ました。良かったは良かったですが、少し寂しいような不思議な気持ちです。病の床以外でも「良く生きている」と自信を持って言えるような生き方が出来ればいいのですが。